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茂田正和

レコーディングエンジニアとして音楽業界での仕事を経験後、2001年より母親の肌トラブルをきっかけに化粧品開発者の道へ。皮膚科学研究者であった叔父に師事し、04年から曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業のヘルスケア事業として化粧品ブランドを手がける。肌へのやさしさを重視した化粧品づくりを進める中、心身を良い状態に導くには五感からのアプローチが重要と実感。17年、皮膚科学に基づいた健やかなライフスタイルをデザインするブランド「OSAJI」を創立、現在もブランドディレクターを務める。21年、OSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」、22年にはOSAJI初となるレストラン「enso」をプロデュース。23年、日東電化工業のクラフトマンシップを注いだテーブルウエアブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI代表取締役CEOに就任。26年、茂田個人のプロジェクトである一棟貸しの宿泊施設「しらかば荘」を群馬県・猿ヶ京温泉に、OSAJIの複合型グローバルコンセプトストア「お匙 京都」を京都・御所南に開業。同年、日本固有の美意識をルーツとしたフレグランスブランド「soca」を発表。近年は肌の健康にとって重要な栄養学の啓蒙にも力を入れており、食の指南も組み入れた著書『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)や『食べる美容』(主婦と生活社)を刊行し、料理教室やフードイベントなども開催。

つねにクリエイティブとエコノミーの両立を目指し、「会社は、寺子屋のようなもの」を座右の銘に、社員の個性や関わる人のヒューマニティを重視しながら美容/食/暮らし/工芸へとビジネスを展開。文化創造としてのエモーショナルかつエデュケーショナルな仕事づくり、コンシューマーへのサービスデザインに情熱を注いでいる。

理想論とは 理想論とは

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    2026-08-27

    Vol.30

    アートディレクター、デザイナー
    上原テツヤ 氏(後編)

    • ロゴに潜むさじ加減と篠田桃紅
    • 青臭い夢の着地点
    • 直感と嗅覚のタイマン勝負
    • 先を見据える眼光

    専門的なデザイン教育やビジネスの体系的な学びを経ず、自らの直感と独学だけを武器にストリートから駆け上がってきたふたりがいる。OSAJIブランドファウンダーの茂田正和と、その盟友でありデザイナーの上原テツヤさんだ。90年代の高崎のストリートカルチャーのなかでめぐり会い、衝突や挫折、さらに約6年間の不通期間を乗り越えて生み出されたふたりのクリエイティブは、いま、確かなかたちとなって世に広がりを見せている。
    理想と現実、クリエイティブの情熱と経済と成長の間で葛藤し続けながらも、決して青臭い夢を捨てなかったふたりの歩み。 “独学の悪ガキ”たちが切り拓いてきた、デザインとブランドの真実に迫る。

    前編は こちら

    篠田桃紅の作品を見て、カズのなかにある華道や茶道、日本的な美意識にドンピシャでハマるはずだと確信した(上原)

    ——17年に茂田さんは新たに「OSAJI」を立ち上げます。そこでもふたりは協働しています。

    茂田正和:それまでいくつかの化粧品ブランドをつくってきましたが、問屋や小売店が間に入るとどうしても自分たちの本当に伝えたいプロダクトの魅力が削ぎ落とされ、思ったものと違うものになってしまいます。問屋や小売店が強かった時代であればそれでも商売になるので辛抱できたけれど、Amazonのようなネット通販業社が急速に力をつけ、問屋や小売店が強いポジションを維持できなくなるにしたがい、仲のよかった人たちがどんどん去っていってしまったんです。そこで「自分たちで直接リテール(直営店舗)までやる」という覚悟で立ち上げたのがOSAJIです。

    ——上原さんはどんな役割を担ったのですか?

    上原テツヤ:ブランド名の相談をカズから受けたときに、最初に頭に浮かんだのは「さじ」でした。薬品を測るスプーンのイメージです。同時に、彼の生き方や仕事ぶりを見たときに、ビジネスもアートもデザインもすべてにおいて「さじ加減」が抜群に上手い。だからぜったいに「さじ」がいいと提案したんです。ただ「さじ」だとメジャーすぎて商標やドメインが取れない。「じゃあ、どうする?」と議論するなかで、ほぼ同タイミングで「へりくだった言い方で『おさじ』はどう?」となったんです。調べたら江戸時代の将軍や大名に仕える医者の呼び名だということがわかり、「これだ!」と。

    茂田:ブランドの方向性を決めるためのキックオフミーティングを行ったときも、いろんなクリエイターがパワポでスタイリッシュな提案してくれるなかで、テツさんだけが抽象画家の篠田桃紅(*1)のアートワークをスクリーンに映し出し、「結局、カズがやりたいことはこういうことだろ」と言ったんです。その瞬間、部屋全体が「シーン」となり、そこにいたみんなが「確かに」となって会議が終わった(笑)。

    上原:当時、篠田桃紅は100歳を超えてなお現役で創作活動をしていて、書と日本画が融合したモダンさに「すげえな、この婆さん」と興味を惹かれたんです。篠田桃紅の作品を見て、カズのなかにある華道や茶道、日本的な美意識にドンピシャでハマるはずだと確信しました。

    茂田:テツさんの提案によって篠田桃紅の存在が完全に自分の思考にインストールされましたね。彼女は42歳で単身ニューヨークへ渡り、アメリカの新しい文化や考え方を吸収し、墨による独自の抽象表現を確立したんです。そういう意味で、モダンとトラディショナルを行き来した彼女のスタイルは、自分が培ってきた美意識や目指す世界観とピッタリ符号しました。江戸時代の医術からスタートし、そこに現代のライフスタイルやサイエンスの考えが融合するOSAJIのブランドイメージが、「篠田桃紅だ!」と言われた瞬間、「そうだね」となったのは当然の成り行きでした。OSAJIの世界観の根底にはいまも篠田桃紅さんの美学が脈々と流れています。

    20年間、青臭い夢を捨てずに紆余曲折を乗り越えてきた素人ふたりが、40歳を過ぎてようやく報われた(茂田)

    ——上原さんはOSAJIのロゴもデザインされていますね。

    上原:ロゴについてはできるだけシンプルにしたいと考えていました。ただ、「さじ(=スプーン)」というシンボルはどうしてもデザインに盛り込みたかった。そこは「使命感」と言ってもいいぐらいこだわり、どうしたらうまくおさまるかたくさんバリエーションをつくった気がします。
     試行錯誤の過程を人に見せるのって、本来デザイナーとしては恥ずかしいことだと思っていて。だからいまもそういうものはほとんど人に見せない。でも、OSAJIのときはさまざまなアイデアをカズに見せて、出てきた意見を踏まえ、またデザインを練り直すみたいなことを何度もしました。自分だけのデザインではないというのはもちろんだけれど、やっぱり彼との信頼関係がそういう行動に向かわせたんでしょう。

    茂田:そうしてでき上がったロゴが、18年に日本の優秀なロゴを集めたデザイン集(「実例つきロゴのデザイン」ピエブックス刊)に収録されたんです。

    上原:あのときは感無量だった。美大も芸大も出ていない高崎の悪ガキとその仲間が、独学で道を登っていった結果が世間に認められた。「俺たちでもやれるんだ」と心底思いました。

    茂田:20年間、青臭い夢を捨てずに紆余曲折を乗り越えてきた素人ふたりが、40歳を過ぎてようやく報われた瞬間でした。ひとつの大きな山を登り切った感覚がありました。それまでもいくつかの化粧品ブランドをつくってきましたが、つくりはするけれども売れない。そんな不毛の時代を経て、ようやく「求められるものをつくれた」という実感が湧きました。

    ——今年4月にOSAJIが京都に出店した「お匙 京都」のロゴは上原さんではなく、前回の「理想論」に出ていただいたアートディレクターの田中せりさんが手がけています。なぜ、上原さんに頼まなかったのでしょう。

    茂田:京都の新店舗は、主語が「僕」ではなく「OSAJI」だからです。そうなると当然、関わるスタッフの想いも含め、民主的な進め方が必要となります。そこが大きな理由です。
     最近のOSAJIは僕個人の手を離れ、ブランド自体が「ひとつの人格」として歩き始めています。実際、僕がやりたいと思う企画を出しても、OSAJIという人格から駄目出しされることがけっこうあります(笑)。多くの人が遊べる公園をつくれたという意味では、「やり切った」という思いがある反面、自らがつくった公園で自分は遊べないのかという気持ちもあって、少し複雑です……。

    上原:お匙 京都については、「OSAJIが、お匙になったんだ」という感じで見ていました。カズの手から離れ、OSAJIという人格でいろんなことが動きはじめているんだなと。それはブランドが健全に成長している証でしょう。以前までは自分とカズがちょこちょこ何かやっていたんだけれど、OSAJIに関してはもうそういう必要はないと思っています。

    人生の1周目は得意じゃないことから逃げて、タイマンで張れる自分のセンスだけでやってきた(上原)

    茂田:僕がOSAJIでやってきたことに関して自分を褒めてあげるとすれば、テツさん側からのクリエイティブの圧と、親父からのエコノミーの圧のちょうど中間に立ち続けてきたことだと思います。完全にクリエイティブ側に流れていたら、いまのようなテツさんとの関係は維持できなかったし、それ以前にブランドが破綻していたはずです。どちらか一方に傾倒するのではなく、その両方に抗い、時に順応してきたバランス感覚みたいなものがOSAJIというブランドの個性なんです。

    ——中間に立ち続けたからこそ、茂田さんは両方を喜ばせることができるエンターテイナーなんでしょうね。

    茂田:そうかもしれませんね。

    ——ふたりはデザインやビジネス、化粧品を専門教育で学ばず、「独学」で道を切り開いてきました。若い世代から「美大や専門学校に行くべきでしょうか?」と相談されたらどう答えますか?

    上原:「行ったほうがいい」と即答するでしょうね。

    茂田:僕もまったく同じ。行けるならぜったいに行ったほうがいい。

    上原:実はいま、自分の息子が美大に行きたいと言っていて。もともとはアニメーター志望だったんだけれど、高校の美術の授業で彫刻作品をつくったら先生にすごく褒められたらしく、「美大に行く!」と急に言い出した。親としては「勉強できないのに大丈夫か?」と思いつつ、でも、そうやって他人に褒められて行きたいという気持ちが芽生えたなら行かない理由はない。「いましか行けないんだから、思い切ってやればいい」と背中を押しています。

    茂田:それはすごくラッキーな体験ですね。僕らは若い頃に誰からも評価されず、気づいた頃には時すでに遅しで、いまから大学に通うわけにもいかない。ただ、僕らみたいに専門的な学校を出ていなくても教壇に立てるという事実をここで言い残しておきたいと思うんです。
     最近、小学校や高校で授業を受け持つ機会が増えていて、それがいちばん嬉しいし、やっていて楽しい仕事なんです。この前も母校の東京農業大学第二高等学校で僕の講義を受けたい子たちが、定員20名のところに50名近く応募してきてくれて。1時間半ほど調香のワークショップの授業をしました。調香自体も楽しんでもらえたけれど、生徒たちには「将来のビジョンや目標を考えすぎるのをやめたほうがいい。そんなの明日には変わっていたりするものだから。それよりも、とにかく今自分が興味あること、熱中できることに対して妥協せず思いっきりやったほうがいい」と伝えました。そうしたら、後で「将来のためにいま何をすべきかずっと考えてきた結果、何をしていいかわからなくなっていたけれど、茂田さんの話を聞いてすごく勇気をもらえた」という感想を書いてくれた子がかなりいて。それは、僕とテツさんがやってきたことの本質でもあるので、そこが伝わったなら、すごく意味があったなと思います。

    上原:「今日やりたいことを徹底的にいまやれ」というのはまさにその通りだよね。明日はどうなるかわからないんだから。ただ、自分の場合、人生の1周目は得意じゃないことから逃げて、タイマンで張れる自分のセンスだけでここまでやってきました。もし2周目があるならぜったいに違うことをやる。寿司屋に弟子入りして修行する人生もいいかなと思うよ。

    ——上原さんの言う「センス」とは?

    茂田:テツさんのセンスは、たぶん嗅覚なんでしょうね。テツさんが「いい」と言ったものは、数年後に必ずブームというかたちで現象化するんです。「これいいから聴いてみな」と言われて、「はぁ?」と思ったものでも数年経つとちゃんと売れている。そういう鼻の利き具合がテツさんの言うセンスなんです。きっと1年でアリゾナ(*2)を閉めず、いまでも続けていたらふたりともレジェンドになっていたでしょう。そういう意味で、僕らには先見の明があった。ただ、それが持続しないというだけで(笑)。

    上原:まだインターネット黎明期でSpotifyも何もない頃に「これからはCDじゃなくMP3の配信で音楽を売る時代が来る」と予言していたからね。「配信が主体となり、フィジカルなCDはおまけにしかならない」と言って。実際その通りになっているでしょ。

    知的リソースで自らを更新していく価値観や旅のフォーマットはぜったいにこれから来る(茂田)

    ——先見の明に長けたふたりに聞きます。いまこの時代に「5年先を見据えて仕掛けるべきこと」は何だと思いますか?

    茂田:テツさんにロゴをデザインしてもらった「しらかば荘(*3)」というプロジェクトがまさにそれに当たります。しらかば荘は、ただ温泉に浸かって3食昼寝付きで休むバケーションではなく、体験を通じて新たなインスピレーションを得て、次の日からのライフスタイルや仕事への向き合い方が変わる「エデュケーショントリップ(学ぶ旅)」を楽しむ場なんです。世界的にそうした旅の需要は高まっていますが、日本は遅れているせいかまったく予約が入りません(笑)。でも、知的リソースで自らを更新していく価値観や旅のフォーマットはぜったいにこれから来ると思います。

    ——上原さんはエデュケーショントリップについてどう思われますか?

    上原:カズの言いたいことはわかります。温泉が目的じゃなく、行った先で学べるものがある旅をつくりたいという。ただ、自分のプライベートの過ごし方は完全に真逆です。Netflixで観るのは超C級・B級の日本の恋愛ドラマだし、流行りの縦型ショートドラマばかり観ています。自分はトレンドに乗るタイプなんです。

    茂田:僕は休みの日にカジュアルなものはあまり観たくない。アイデアやインスピレーションが沸いたり、次のビジネスのネタになったりするものしか興味が湧かないんです。流れているものを受け身で観るぐらい時間が無駄なことはないと思ってしまう。

    ——「故郷に錦を飾る」という言葉があります。一定の成功を収めたいま、茂田さんのなかで上原さんと組んで再び高崎の街を盛り上げたいという気持ちはありますか?

    上原:さっき外で立ち話をした際、「アリゾナのビルを買ってもいいかな」と言っていたよね。カズがアリゾナのあったビルが建つワンストリート全部を仕切ったりしたら面白いんだけれど。

    茂田:もうそんなエネルギーはないよ(笑)。でも、僕らの知っている90年代の高崎は本当に面白かった。小道という小道に路面店がぎっしり詰まっていて、肩と肩がぶつかっちゃうくらい多くの人が街を歩いていたんです。「ここは原宿か?」と思うくらい熱気があり、伝説的な古着屋もいくつかあったので、遠方からわざわざ若者が集まるような街でした。

    上原:すごかったよね。古着屋が全盛で。

    茂田:そういう意味では時代や文化のかたちが変わっても、この街を見つめてきた僕らだからこそできることが何かあるのかもしれない。自分たちが本当に面白いと思えるカルチャーやプロダクト、場所を、僕らなりのやり方でかたちにしていけたら面白いなと思っています。こうやってじっくり話してみると、出会った頃から僕らの根っこは何も変わっていないんだなと改めて実感でき、面白かったです。

    上原:こちらこそ、楽しかったよ。

    *1_篠田桃紅
    1913年生まれの美術家(2021年没)。書道の手本を離れ、文字のかたちを超えた独自の抽象表現を確立。40代で渡米し、ニューヨークを中心に国際的な評価を得る。和紙と墨、銀箔などを用いたモダンかつ繊細な作品は、伝統的な日本美と現代アートを融合させた唯一無二の美学として知られる。100歳を超えてなお現役で創作活動を続け、OSAJIのブランドコンセプトや世界観の形成にも決定的な影響を与えたことが今回の対談で明かされた。

    *2_アリゾナ
    1999年12月末から約1年間営業していたアパレル(1階)とライブハウス(2階)からなる複合ショップ「arizona forty-five degrees」。開業前に1年をかけて上原さんや茂田らがフルリノベーションを実施。鉄板の切断から電気配線までを自ら行い、空間をつくり上げた。 建物は高崎市本町156に現存するものの、当時の様子を窺い知ることはできない。

    *3_しらかば荘
    昭和38年に建てられた旧学習講堂を再生した、1日1組限定の一棟貸し宿。群馬県利根郡みなかみ町の猿ヶ京温泉に位置する。単なる観光やリフレッシュではなく、滞在中のあらゆる体験を通して新たなインスピレーションを得る「エデュケーショントリップ(学ぶ旅)」を提案。樹齢150年の一枚板が佇む象徴的なキッチンで手料理を愉しみ、薪で焚く本格サウナや源泉掛け流しの湯で自身に適した「塩梅」を探るなど、日常から少し離れて五感と向き合う上質な余白時間を味わうことができる。

    Profile

    • 上原テツヤ(うえはら・てつや)

      1973年群馬県生まれ。90年代初頭、スケートカルチャーやタトゥーの図柄を描いた手描きのTシャツがストリート界隈で話題を呼び、アパレルデザインの道へ。98年に初の個展を開催。額装の制作を茂田正和に依頼したことから意気投合し、99年末に高崎市内に1階がアパレル、2階がライブハウスの複合ショップ「arizona forty-five degrees」を共同で立ち上げる。この頃から独学でデジタルツール(Mac)やDTP、印刷技術を習得し、ショップの運営と並行し、デザインワークを始める。その後、日東電化工業の社内デザイナーを経て2006年に独立。11年にマウンテンネームを設立し、現在同社代表を務める。17年の「OSAJI」立ち上げ時には、ブランド名の命名からロゴ、パッケージ、グラフィック制作全般を担当。近年の作品に、「kako -家香-」「HEGE」「しらかば荘」のロゴデザインやブランディング制作などがある。型にはまったデザイン理論にとらわれず、持ち前の直感と嗅覚で相手の本音や時代の空気感をすばやく察知。飾らない泥臭さと鋭い感性で、つくり手の想像を超えるかたちへと昇華させるアプローチを得意とする。事務所名の「マウンテンネーム」は、出生地である高崎市山名町の地名に由来する。
      https://mountain-name.com
      Instagram:@t28uehara

    • 茂田正和

      音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年、OSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」、22年にはOSAJI初となるレストラン「enso」をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かしたテーブルウエアブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。26年、茂田個人のプロジェクトである一棟貸しの宿泊施設「しらかば荘」を群馬県・猿ヶ京温泉に、OSAJIの複合型グローバルコンセプトストア「お匙 京都」を京都・御所南に開業。同年、日本固有の美意識をルーツとしたフレグランスブランド「soca」を発表。
      著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催している。

    • 撮影:小松原英介

    • 文:上條昌宏

    • 撮影場所:本町しもたや

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