2026-09-17
Vol.31
山名八幡宮 第27代宮司、群馬県議会議員
高井俊一郎 氏(前編)
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仕事ではなく、使命
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潜在課題がつないだ縁
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「欠けている」という人間力
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地方創生のリアルな現場を共に
「伝統はそのまま守るだけでは、いつか朽ち果ててしまう」――851年の歴史を背負い、神社の慣習にとらわれない発想で境内にパン屋やカフェを誘致し再興を果たしてきた山名八幡宮第27代宮司・高井俊一郎さん。一方、化粧品ブランド「OSAJI」を立ち上げ、今春には245年続いた酒蔵の建物を引き継いだ新店舗を京都に開くなど、歴史の継承と経済循環の両立を果敢に実践する茂田正和。
「子どもの紫外線対策」という身近な問いから始まった出会いは、子育て支援やまちづくりといった地域課題に向き合う地道な取り組みを経て、古代の「虫」や遺伝学「マイクロキメリズム」が交差する創作へと広がる。「変えないために、変わり続ける」という共通の想いを胸に、ふたりは伝統のバトンをどう次世代へつないでいくのか。「歴史・デザイン・心」の真髄を語り合う対談から、現代社会における変革と継承のあり方を探る。

神社というパブリックな場を運営してきて痛感したのは、「お金を追いすぎてもダメになるけれど、お金がなさすぎても回らなくなる」ということ(高井)
——高井さんはいま、山名八幡宮の第27代宮司と群馬県議会議員という主にふたつの肩書きをお持ちです。それぞれの仕事とどのくらいの割合で向き合っていますか。
高井俊一郎:実は、神社のほうは自分のなかで「仕事」という意識があまりないんです。もちろん宮司としてのミッションとして、例えば月次祭(つきなみさい)がある毎月1日と15日は必ず6時前には昇殿し、前日には境内を全部掃除して神様にお供え物をする。そういう営みは欠かさずやっていますが、それらを「仕事としてこなしている」という感覚が自分のなかにないんです。
——宮司としてのルーティンは生活そのものという感覚でしょうか。
高井:そうですね。そもそも私は、神社から給料をもらっていません。神社で生じた利益は、働いてくれている職員のみんなで分配すればいい。私自身は給料をもらって働く労働というよりは、この場所と歴史を守る使命感というか。「お祭りを絶やさず続けていく」という義務でやっている感覚に近いです。

——山名八幡宮の再興に乗り出されたのが25歳頃だと聞きしました。当時はかなり苦しい状況だったようですが、その頃も「仕事」という感覚ではなかった?
高井:ぶっちゃけて言うと、当時はまったく食えなかった(笑)。とはいえ、神社を切り離して自分だけ外に働きに出ようという選択肢は、そのときも頭にありませんでした。ここ(山名八幡宮)と一心同体というか、この場所で腹をくくってやっていくしかない、と。だから仕事というより、まさに「ミッション(使命)」という言葉がしっくりきます。給料が高かろうが安かろうが、出ようが出まいが、ここで生きていくしかないという気持ちでした。
——県議会議員の仕事はまた性質が異なりますね。
高井:そうですね。政治家という仕事は、選挙に落ちてしまえば、続けたくても続けられなくなるわけです。でも神社の宮司という立場はぜったいに辞められないし、自分から切り離すことができません。
ただ、両者に共通している点もあります。共に「パブリックファクター(公共的要素)を運営する」という領域であることです。県議もそうですし、市長や知事といった首長もそうですが、パブリックな領域を運営する仕事というのは、株主に利益を還元してアウトカムを最大化するような純粋なビジネスとは異なります。
私がこの25年間、神社というパブリックな場を運営してきて痛感したのは、「お金を追いすぎてもダメになるけれど、お金がなさすぎても回らなくなる」ということでした。その絶妙なさじ加減やバランス感覚は、まさにこの神社で苦労しながら泥臭く学んできた経験が生きていると感じています。

「協力してもらえませんか」とお願いしに行ったのが最初の出会い(茂田)
——ふたりの最初の出会いはどのようなきっかけだったのでしょうか。
茂田正和:始まりは「子どもの紫外線対策」に関する市民公開講座でした。当時、僕の子どもがまだ小さかった頃で、ふと気づくと公立小学校の校則で「日焼け止めを学校に持ってきてはいけない」というルールがあったんです。
過剰反応したいわけではないけれども、統計学的なデータで見ると、現代の子どもたちが幼少期に浴びる紫外線量は、僕らが子どもだった頃に比べて圧倒的に増えています。紫外線は浴びた瞬間に病気になるわけではなく、数十年にわたってダメージが肌に蓄積され、50代などになってから皮膚がん等の健康被害として現れる厄介な性質を持っています。だからオーストラリアなどでは、学校の教室の入り口にバケツのようなサンスクリーン(日焼け止め)が置かれているのが当たり前なんです。
ですが日本の小学校では持参禁止。しかも当時、子どもが安心して毎日使えるように設計されたスキンケア視点の日焼け止め自体、市場にほとんどありませんでした。そこで「子どもの紫外線対策の重要性」を世の中に伝えるための市民公開講座をやろうということになり、群馬大学の皮膚科の先生に協力いただくことになったんです。その講座を成功させるために、地域で活動されていて、共通の知人でもあった高井さんに「協力してもらえませんか」とお願いしに行ったのが最初の出会いです。高井さんは当時すでに市議会議員をされていました。
——高井さんはそのときの茂田さんの印象を覚えていますか。
高井:めちゃくちゃ覚えていますよ。300席ある大きな会場をいっぱいにしたいから協力してほしい、と言われて。私はSNSで発信したり周りに声をかけたりしたくらいだったんですが、実際に蓋を開けてみたら、300席のホールが満席になって立ち見まで出ていたんです。青年会議所の活動などでそのホールのイベントは年中やっていたのでわかりますが、あそこの300席を自力で埋めるのって相当大変なんです。それを簡単に——本人は大変だったかもしれませんが——達成してしまうのを見て、「すごいパワーとエネルギーを持っている人だな」と感銘を受けました。
茂田:特別な仕掛けがあったわけではなくて、それだけ潜在的に課題感を感じていた保護者の方が多かったんだと思います。あとは、僕たちの取り組みの社会的な意義に共感して協力してくれた企業がいたことも大きかったですね。

完璧な人間じゃないからこそ、周りのみんなが集まって、自分を助けてくれる(高井)
——YouTubeにアップされていた動画で、奥様が高井さんについて「周りにすごくいい仲間がいて、そうした人たちの助けを借りながら課題を解決し、前に進んでいる」と話されていました。その仲間のひとりである茂田さんから見て、高井さんの周りに素敵なプレイヤーが集まってくる理由、高井さんの人間力はどこにあると思いますか。
茂田:世の中の人間って、大きく2種類に分けられると思っているんです。「常識を常識として捉えて、その常識に順応できる人」と、「その常識自体、なんかちょっとおかしいんじゃないの?と疑問を投げかける人」。比率で言ったら前者が8割で、常識そのものに違和感を持つ人は2割くらいでしょう。高井さん自身はもちろん、高井さんに引き寄せられる人たちって、まさにその「2割の人たち」なんです。僕自身も「なぜそれを前提条件としてスタートするんだ?」と根本から考え直したいタイプなので、そこにすごくシンパシーを感じています。
——高井さんが常識を疑っている人と考える理由は何でしょう。
茂田:だって常識的に考えたら、草木がうっそうと茂って誰も人が立ち寄らなくなっていた神社にパン屋をつくろうなんて考えるわけがないですよね。古い時代の神社にあった公民館的な機能を現代に取り戻すなんて、常識的な発想からは生まれないでしょう。でも、そういう常識の枠から外れたところにしか、実は本質的な解決策はないんです。

高井さんのエピソードでいまでも強く印象に残っている話があります。境内の2階にある「ミコカフェ(*1)」で、小学校帰りの子どもたちが宿題をやっていたときのことです。ある日、学校の先生がカフェの外までやって来ました。校則で「寄り道禁止」になっているのに、家に帰らず神社に寄って宿題をしているから注意しに来たわけです。子どもたちは「怒られるんじゃないか」とザワザワ動揺していました。そのとき、高井さんは子どもたちに向かって「大丈夫、先生と話をつけてくるから。みんなは安心して宿題をやりなさい」と言って、真っ先に外に出て行ったんです。
校則は確かにルールです。けれど、当時の高崎周辺は学童保育のキャパシティが足りず、学童に入れない子どもがたくさんいました。同時に、共働きをしなければ生活が成り立たない世帯が多いという社会的な事実もある。その現実を鑑みたときに、既存のルールのほうが世の中にそぐわなくなっているわけです。ミコカフェは、まさにそうした親子のための民間認可の学童のような役割を果たしていました。
——そんな高井さんの姿を見て、茂田さんは何を感じましたか。
茂田:不条理なルールだけを押し付けても建設的な解決にならないなかで、大人としてどう対話して子どもたちを守るのか。まさに、その姿勢を見せられた瞬間でした。多くの人は「学校のルールだからしょうがない」と諦めて疑おうとしませんが、高井さんは「もっと人がより良く生きるためのルールがあるはずだ」という素直で率直な疑問を持ち、変えていくことをいとわないし、そのために即座に行動する。その強いエネルギーと姿勢に、人が引き寄せられるんだと思います。
高井:まあ、一言でいうなら「欠けている部分がいっぱいある人間だから」だと思います。完璧な人間じゃないからこそ、周りのみんなが集まって、自分を助けてくれるんだろうなと。

地方で何かを始めようとすると、机上の空論では思ってもみないような手前の課題でつまずく(茂田)
——ふたりはこれまでいくつかのプロジェクトを共にされていますね。
茂田:子どもの紫外線対策から始まって、日焼け止めだけでなく、紫外線対策ウェアをつくるアパレル事業をうちの会社(日東電化工業)で立ち上げたんです。当時、会社にシングルマザーのスタッフが何人かいて、みんなアパレル出身だったんです。彼女たちと一緒に「こういう服やセレクト商品を提案できる店をどこかでやりたいね」という話になったとき、僕のなかで直感的に「山名八幡宮でやれたら絶対に面白い」と思いました。安産・子育ての神社だし、高井さんの活動も魅力的でしたから。すぐに高井さんに「山名で僕たちがチャレンジできる場所はないですか?」と相談して、境内の下の会館スペースにセレクトショップ「Osoto」をつくらせてもらい、2017年から2年間ほど運営しました。これを境に高井さんとの距離がグッと縮まった感じです。
高井:建築家の永山祐子さんたちが手がけた境内の大規模リノベーションがひと段落した頃でしたね。
茂田:高井さんが境内に天然酵母のパン屋「ピッコリーノ(*2)」を開いて1年後くらいのタイミングだったと思います。
高井さんとは損得勘定や利害関係を抜きに、いろんなことを一緒にやりました。地元の農家さんを巻き込んだ6次産業化のプロジェクトを仕掛けたり、山名周辺の空き店舗にどんなコンテンツが入ったら地域が面白くなるかを夜な夜な語り合ったり……。そうしたまちづくりや6次産業化の実践を通して、地方創生のリアルな難しさを身をもって体験させてもらいました。

高井:茂田さんはすごくいい言い方をしてくれますけれど、大半は私からの無茶振りの連続でしたよね(笑)。
茂田:東京でプロジェクトを立ち上げる場合、ある程度、知的リテラシーや前提条件が揃った人たちが集まってスタートします。だからスムーズに進むことが多いのですが、地方で何かを始めようとすると、リテラシーも背景もバラバラな人たちが集まってくる。そうすると、机上の空論では思ってもみないような手前の課題でつまずくんです。「お金が尽きた」という問題以前に、参加しているプレイヤーが「思ったのと違う」「美味しい汁が吸えると思ったのに違った」と言って途中でいなくなってしまったり(笑)。
知的リテラシーの違うチームで何かを成し遂げることの難しさと、本当の意味での「多様性」とは何かを学ぶ、貴重な経験になりました。さらに、このときの経験があったからこそ、6次産業の出口を化粧品づくりにつなげたら面白いんじゃないかと着想することもできた。それがベースとなっていま、群馬のみなかみで国産原料100%のヘアオイルをつくるために始めたひまわり栽培の活動が動き出しています。
後編 につづく(2026年9月24日公開予定)


*1_ミコカフェ
山名八幡宮の境内に、2010年代半ばの境内リノベーションに伴いオープンしたキッズ・マタニティーカフェ。地産地消の食材を取り入れ、子ども連れや妊婦も安心して過ごせる空間づくりを徹底。単なるカフェの枠を超え、かつての神社が担っていた「地域の公民館」としての機能を果たし、放課後の子どもたちの居場所や子育て世代の交流拠点として親しまれている。
*2_ピッコリーノ
山名八幡宮の境内に位置するパン屋。子育て世代へ食の安心安全を届けたいと考えた高井さんが、当時、高知県でパンづくりをしていた伊藤幹雄さん、けい子さん夫婦のもとへ直接赴き、出店を働きかけたことで2016年に誘致が実現した。群馬県産小麦と自家製天然酵母、水、塩のみで焼き上げる素朴で力強いパンを追求。参拝客や地域住民が日常的に足を運ぶきっかけを生み出し、神社に新たな賑わいをもたらしている。
Profile
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高井俊一郎(たかい・しゅんいちろう)
1975年群馬県高崎市生まれ。國學院大学文学部神道学科卒業後、海外生活を経て、2002年に山名八幡宮へ奉職。12年に山名八幡宮の第27代宮司に着任する。「神社を地域社会のハブに」という想いのもと、境内にパン屋やカフェ、認可外保育施設を誘致するなど常識にとらわれない持続可能な再興策を牽引する。早稲田大学大学院政治学研究科(公共経営修士修了)やグロービスで経営・ビジネスの知見を深める一方、高崎市議会議員を経て、19年に群馬県議会議員に初当選(現在2期目を務める)。神職と政治家という異なる視点を併せ持ち、歴史の継承と地域課題の解決に多角的に挑んでいる。
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茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年、OSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」、22年にはOSAJI初となるレストラン「enso」をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かしたテーブルウエアブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。26年、茂田個人のプロジェクトである一棟貸しの宿泊施設「しらかば荘」を群馬県・猿ヶ京温泉に、OSAJIの複合型グローバルコンセプトストア「お匙 京都」を京都・御所南に開業。同年、日本固有の美意識をルーツとしたフレグランスブランド「soca」を発表。
著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催している。
Information
山名八幡宮
群馬県高崎市に鎮座する神社。安産や子育ての神として古くから信仰を集め、851年の歴史を誇る。2015年前後から、建築家の永山祐子氏らを招き、大規模な改修・リノベーションを本格化。ロゴや授与品のデザイン刷新に加え、敷地内への天然酵母パン屋・カフェの誘致など、伝統の重みと現代の視点を融合させた空間づくりを推進してきた。単なる祈りの場にとどまらず、地域の人々が集い、心を整える新たなコミュニティ拠点として息づいている。
https://yamana8.net/
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撮影:小松原英介
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文:上條昌宏
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