2026-05-28
Vol.27
文脈デザイン研究者、ブランドコンサルタント
玉利康延 氏(後編)
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美味しさをかたちづくる三層
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ノーマが味噌に求めた救い
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家庭料理は究極のカスタム知
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文脈デザインの核心
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ルーツという拠り所
肌の不調を身体からの警告と捉えるOSAJIブランドファウンダーの茂田正和と、地質や遺伝子の視点から食の文脈を紐解く玉利康延さん。一見異なる領域を歩むふたりの探求は、ひとつの交差点に辿り着く。
玉利さんの近著「和食人類学」が示すのは、自らのルーツを知り、本能に向き合うことの重要性だ。それは情報の海を漂う自己を、再び確かな風土へとつなぎ止める試みといえる。美容と食。その垣根を超えた対話から、現代において「文脈を編み直す」ことの真意を浮き彫りにする。
前編はこちら

料理の美味しさとは、究極的には「つくる人間の量子力学」のようなもの(茂田)
——現代の日本の食文化は、玉利さんの目にどう映っていますか。
玉利康延:スーパーマーケット業界を敵に回す意図はありませんが、効率的な流通を経て食卓に届くものからは、どうしても「魂」が抜け落ちていると感じてきました。東北を10年以上取材し、漁師や農家の暮らしに触れるなかで、産地で食べるもののエネルギーの入り方は、鮮度以上に何かが決定的に違う。だからいま、私は足柄の農家を月に一度訪ね、野草やタケノコを分かち合います。流通ベースではタケノコは年中「水煮」で買えますが、それを春先に灰汁(あく)を抜きすぎない状態で食べることにも意味があると思います。冬の間に身体に蓄積したものをデトックスしていく感覚がある。農家の人たちのところへ行くとそうしたことがすべてわかるんです。このような時間軸に対する理解も、食の文脈をつなぐことだと思っています。
——それが、玉利さんがしばしば使われる「魂が喜ぶ食体験」という言葉の真意ですね。
玉利:そうです。美味しさとは何か。私はそれは3つの地層でできていると考えています。ひとつ目は、数千年前からその土地に生きた先祖の記憶である「先天的・遺伝的な記憶」。ふたつ目は、幼少期からの家庭料理などの「後天的な体験」。そして3つ目が、生産者の苦労や物語を脳で咀嚼する「文脈の認知」です。この3つのバランスこそが、その人の「美味しい」をかたちづくっています。
——茂田さんにとっての「美味しい」の定義は何でしょうか。
茂田正和:食材そのものの美味しさと、料理としての美味しさは、感知するセンサーが別物だと思っています。食材に関しては「正しい雑味」があるかどうか。日本料理は雑味を削ぎ落とすことに心血を注ぎますが、ワイルドな状態に近づけば近づくほど、そこにはテロワール(風土)としての雑味が宿る。それが本来の食材の力です。一方、料理の美味しさとは、究極的には「つくる人間の量子力学」のようなものだと思っています。
——量子力学、ですか。
茂田:つくり手の思いは必ず味に乗る。化粧品の開発でも、優しい人がつくった処方には「優しさ」が宿るんです。私の料理教室でも、同じレシピでいっせいにつくっても、でき上がる味は一人ひとりまったく違う。イライラしながらつくれば、味はどこか刺々しくなります。和食がユネスコ無形文化遺産になった背景には、菊乃井の村田吉弘さんらが守り抜いた、万物に神を見出す八百万の神の思想、あるいは「禅」の精神があります。京都の食文化が格別なのは、つくり手が禅の思想に近づき、生きとし生ける命をいただくという切実な意識を持っているからではないでしょうか。自分が表現したいものをつくるのではなく、使い手や食べ手を思い、素材と対話する。そこに、僕のものづくりのルーツがあります。

郷土料理に出会うと、どうしても自分で再現したくなる。そして、再現を試みるなかで、逆説的に再現不能な要素が浮き彫りになるのが面白い(玉利)
茂田:食と向き合う姿勢を考えたとき、あるドラマが思い浮かびます。天狗の末裔(まつえい)が自給自足の生活を送る「天狗の台所」という作品です。面白いのは、精進料理のような伝統食だけでなく、ピザやカレーもつくり、通販でバターも買う。現代的な生活を享受しながらも、根底には自然食材への深い敬意がある。このバランスが、日本人にはひじょうにしっくりくる世界観なのです。
かつて北欧の「ノーマ(*1)」が世界一のレストランと称されましたが、彼らが実践していることは、テロワール(風土)や発酵の重視など、実は日本料理の基本ばかりです。日本と北欧、歩んできた道は違えど、食のノーマ、インテリアのジャパンディに象徴されるように、いま、両者の思想は顕著に融合しはじめています。こうした八百万の神に通じる思想こそが、料理であれ化粧品であれ、ものづくりに宿る「優しさ」の正体ではないでしょうか。
——食における日本と北欧の親和性。玉利さんは、そのつながりの背景をどう見ていますか。
玉利:私の理解では、ノーマはむしろ文脈が完全に断絶してしまったからこそ、日本から学ぼうとしたのだと考えています。彼らの著書によれば、スカンジナビアの伝統食が一度失われ、何もない状態になった。そこで外部から新たな知を再導入しようと、まずは日本へ味噌のつくり方を学びに来た。これはひじょうに人類学的なアプローチです。
対照的なのが、ペルーの「セントラル」というレストランです。彼らはスペインによる征服で地中海化される以前の、アンデス山脈に埋もれたインカの叡智を掘り起こそうとしている。これは、自分たちの足元にある根源を辿る民俗学的なアプローチです。外に知を求めるノーマか、足元を掘るセントラルか。手法は異なりますが、どちらも失われた文脈を未来へつなごうとしている点では共通しています。


——玉利さん自身も、料理を通じてそうした文脈を辿ることがあるのでしょうか。
玉利:そうですね。郷土料理に出会うと、どうしても自分で再現したくなる。一時期はこの仕事場が東北の食材で溢れかえっていたほどです。そして、再現を試みるなかで、逆説的に再現不能な要素が浮き彫りになるのが面白い。
——再現不能、とは。
玉利:例えば「水」です。あの柔らかい水があって初めて、関西の出汁の味が出る。実際に京都の水道水をペットボトルに詰めて運び、東京で再現を試みたこともあります。あるいは「風」。干物をつくる際は、その土地特有の風がなければ、ただの「ミイラ」のように干からびてしまう。完全なコピーは不可能であるという事実を知ること。それは、その土地に固有の気候風土が、いかに地域の食の文脈を支配しているかを痛感する作業でもあるのです。
私から茂田さんに伺いたいのは、美容の専門家である人が、なぜこれほどまでに「食」へ関心を注いでいるのかという点です。SNSで拝見する料理の数々も、並大抵の興味でないことがわかります。
——茂田さんの場合、美容の延長線上に食があるというより、両者が同時多発的に存在しているように見えます。
茂田:僕のなかでは美容と食に垣根はありません。それを分断しているのは社会が勝手に貼ったレッテルです。「茂田は化粧品の人だ」という捉え方自体、僕の認識とは異なります。化粧品をつくることも、料理をつくることも、僕にとっては至極自然で地続きの行為なのです。

文脈はあくまで補助線であり、答えではない。そこを見失った表現者は、進むべき道を誤る(茂田)
茂田:いま、僕のなかで大きなテーマとなっているのが「ウェルエイジング」です。先日、ストックホルムの美容チームから興味深い話を聞きました。一時欧州でも韓国コスメやプチ整形が流行しましたが、いまはそれらを元の状態に戻すサロンが盛況だというのです。「アンチエイジング」という老いに抗う生き方は、見た目が整っても心が豊かにならない、という気づきが広まっているようです。
年齢を重ねることを「悪」とする風潮が、美容文化を歪めてきました。美容のために「これを食べてはいけない」といった強迫観念を、料理の世界から払拭したいのです。例えばビバリーヒルズ発のスーパーフードが、群馬出身の日本人に合うのか。メディアや流通の恣意的な情報操作に、そろそろ歯止めをかけるべき時期にきています。それよりも、多様な文化が混じり合い、自然発生的に融合してきたもののなかにこそ、現代のウェルエイジングの鍵がある気がしています。ベトナム料理がインドシナ、フランス、中国の文化を融合させて独自のフォーマットをつくったように。
——「古き良きもの」が正統である、という考え方についてはどう思われますか。
茂田:オリジンやオーセンティシティが常に「正」であるとは思いません。いまの日本人が着物ではなく洋服を着て、刻々と環境が変化しているなかで、古い形式をなぞるだけでは不十分です。日本的デザインとして、侘び寂びや茶道をフォーマット化して提示することは、単なる過去へのオマージュに過ぎない。むしろ、現代のマンガやボカロ文化のほうが、いまの日本人のリアリティを反映したオーセンティシティだと言えるはずです。
美容の世界も同じです。若く見えることだけを正義としてきた価値観をリバイス(再構築)する。過度に対象療法的なアンチエイジングに走るのではなく、どのような食生活を送り、どのような生き方をすれば、その人本来の魅力が立ち現れるのか。それを真摯に考えることこそが、これからの美容の本質だと考えています。
——和食人類学の視点から見て、玉利さんは美容や化粧品の世界をどう捉えていますか。分断された文脈をつなぎ直すことで、本質に辿り着くことは可能でしょうか。
玉利:茂田さんの話を聞いていると、結局は同じところに行き着くのだと感じます。肌質もまた遺伝の影響が大きく、食べ物の「先天性」と不可分です。私自身の例で言えば、新潟にルーツを持つ「北国体質」が強く、真夏でも熱いものを食べないと食事をした実感が持てません。私の体質だと、お弁当のような冷めた料理は、身体が拒絶してしまうんです。これは先祖から受け継いだ抗いようのない性質です。個々に身体の成り立ちが異なる以上、カロリー計算のような数値に頼る近代栄養学で一律に「正解」を定義することには、やはり無理がある。それが本を書くなかで見えてきた世界です。


——マスプロダクションが宿命づけられる化粧品におけるものづくりで、「個人の特性」に向き合うことは可能でしょうか。
玉利:それこそまさに茂田さんが解決すべき問いであり、その挑戦を興味深く注視しています。食の世界ではいま、腸内細菌の研究が進んでいます。イスラエルでは、糖尿病患者でもチョコレートを食べて血糖値が上がらない人がいることが研究でも指摘されています。人によってエネルギーの変換効率は異なるようです。今後、個人レベルでの分析が進めば、人はより情報に基づいて食べるものを選ぶようになるでしょう。しかし、人類史においてその役割を最も精密に担っていたのは、数値ではなく「母」の眼差しでした。子どもの微細な変化を見極め、供される家庭料理こそが、究極のカスタムメイドだったのです。
——効率を重視した「サプリメント」のような存在についてはいかがでしょうか。
玉利:数値管理のみで栄養を摂取し、料理を疎かにする。そんな未来の兆しに、私は強い危惧を抱いています。同様に、過去の叡智を無視し、自身の空っぽな頭だけでひねり出す創作料理も、心を空虚にするだけです。それは「無文脈の極み」ともいえるタワーマンションの内装や、魂のない街づくりにも共通するでしょう。だからこそ、私は自らの仕事場に、賃貸であっても無垢材を敷き詰める。不自由な枠組みのなかでも、やりようはあるはずです。
——なぜ現代はこれほど無文脈なものづくりが横行するのでしょうか。
玉利:戦後社会が加速させた、ある種の断絶が影響しているのでしょう。
茂田:それは表現の「ガラパゴス化」かもしれません。90年代は、無文脈なイノベーションが許された幸福な時代でした。音楽の世界が最も顕著ですが、あるミュージシャンが「ビートルズ以降、新しいコード進行は生まれていない」と喝破したように、あらゆる表現が出尽くしたいま、再び「文脈を大事にしよう」という地点に立ち戻っています。
ただし、文脈を誇張しすぎることもまた、本質を曇らせます。イノベーティブやフュージョンを謳ったレストランで、食事よりも長い「説法」を聞かされるような違和感。あるいは、テロワール云々を語る前に「まずは、そのワインは美味しいのか」という根源的な問い。文脈はあくまで補助線であり、答えではありません。いちばん大切なのは、料理が美味しいかどうか。そこを見失った表現者は、進むべき道を誤るでしょう。
玉利:本当に美味しいラーメン屋には、確かに能書きなど必要ありませんからね。

アドレナリンが出るような「本能的な価値」にどう向き合うか。そこからしか、真に豊かな文脈は生まれない(茂田)
茂田:美容の本質を語るうえで避けて通れないのは、化粧品とは究極的には「なくても生きていけるもの」だという冷厳な事実です。人間の身体は食べなければ死にますが、化粧品を塗らなくても死ぬことはありません。しかし現代社会では、環境変動やストレス、食生活の乱れといった要因によって、私たちは化粧品を「使わざるを得ない」状況に追い込まれています。この前提を欠いたまま美容について議論するから、すべてが表面的な対処療法に終始してしまうのです。
「症状が出たからこれを塗る」という受動的な姿勢で、何百本もの化粧品を揃えることに何の意味があるのか。化粧品は悩みを解決するための道具である以上に、本来は洋服を選ぶように自らを表現するためのツールであるべきです。皮膚のトラブルは、根本を辿れば生活環境や働き方そのものへの問いに行き着きます。「いまの仕事を続けるべきか」という人生の選択を見直さずに美容を語ることは、僕にはナンセンスだと思えるのです。
——玉利さんは「和食人類学」のあとがきで、米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの創設者であるニコラス・ネグロポンティが95年に著した「ビーイング・デジタル」を引用し、「アトム(物質)からビット(情報)へ」というパラダイムシフトをもう一度ひっくり返す必要性を説いていますね。
玉利:80年代、90年代は、リアルな物質をデジタルへ変換することが「正解」と信じられていました。しかし2010年代に入り、その逆流が始まっています。デジタル空間に存在する「記号化された情報」だけで人類を定義しようとすることへの、耐え難い腹立たしさ。世界はもっと複雑で、多様で、ままならないものです。その複雑さを認めるためには、情報の海を泳ぐだけでなく、フィールドワークやリアルの空間を通じて「物質としての実感」を立証しなければならない。それが私の提唱する文脈デザインの核心でもあります。

——文脈デザインを通じて、玉利さんが理想とする社会像とはどのようなものですか。
玉利:例えば、流通の世界に変革を起こしたい。兵庫県の「ヤマダストアー(*2)」というスーパーは、牛乳のパッケージに「53%」といったグラスフェッド(牧草飼育)の比率を明記しています。消費者がその牛乳を選ぶことで比率が上がっていく。これは、買い物を通じた「民主主義」のかたちです。モンゴルの遊牧民が、比較的自然に近い環境で育った牛の乳を飲むとき、そこには希釈されていない本物の美味しさがあります。効率化された東京では難しいかもしれませんが、一人ひとりが自覚的に食を選び、自らで自らを養える世の中にしたい。
「いただきます」という言葉は、道徳的な感謝を超えた、自分の身体を構成する要素を受け入れるという「究極の自己認識」の儀式です。しかし、いまの私たちは、自分が何を血肉にしているかという選択の機会を流通に委ねすぎてはいないでしょうか。
——「本質的に何を食べたいか」という茂田さんの問いとも重なりますね。
茂田:消費行動は未来への投資です。内田 樹さんが説く「サル化する世界」に抗うためには、いまこの瞬間の選択がどのような未来につながっているのかを真剣に考えなければなりません。情報や価格で選ぶのではなく、自分の本能を研ぎ澄ますこと。美味しいという感覚は、嘘をつきません。コンビニのコーヒー一杯を飲むときでも、「いま、自分はこれを本当に美味しいと感じているのか、それとも単なる生理作用を求めているのか」と自分という生命体に問いかけてみる。
ブランディングの過ちもそこには関係しています。実態を偽るのではなく、社会に対してどのような役割を果たすかを設計することこそがブランディングの本来の姿です。新しい体験に心が震え、アドレナリンが出るような「本能的な価値」にどう向き合うか。そこからしか、真に豊かな文脈は生まれないのだと思います。

無文脈になりがちな都市生活だからこそ、ルーツという拠り所を持つ。そこから、どう生きていくかという問いが始まる(玉利)
——この記事を読んだ人たちが、自身の文脈をつなぎ直すためにまず取り組めることは何でしょうか。
玉利:まずは、自分自身の「ルーツ」を辿ってみることではないでしょうか。私自身、遺伝子検査を受けましたが、それ以上に重要だと感じたのは、祖父母がどの土地でどう生きてきたかを知ることでした。知り合いに、両親ともに千葉・銚子の出身という青年がいるんですが、彼は代々、黒潮の恵みを受けてきた魚を中心とした食文化の影響を強く受けている遺伝子を濃厚に持っている。その自覚があるだけで、日々の食生活や、自分の身体をどう維持していくかという視点が、自律的なものに変わります。無文脈になりがちな都市生活だからこそ、ルーツという拠り所を持つ。そこから、どう生きていくかという問いが始まります。
——週末、足柄(神奈川県)で行われたフィールドワークも、そうした自覚を取り戻す試みにつながってきますか。
玉利:ええ。渋谷のような場所で、日々文脈を断絶されて働く人々を、大地が隆起し、水が湧き出す現場へ連れて行きます。湧水の、冬は温かく夏は冷たいという生きた温度に触れ、箱根や伊豆に温泉が多いのはプレートの境界にいるからだと知る。「自分はこの日本列島という文脈の上に立っている」。そうした自覚を取り戻すことで、季節の農作物を食べ、自分の身体を風土につなぎ直していく。それが、精神を整える何よりのプログラムになるのです。
茂田:玉利さんの、次なる「野望」を聞いてもいいですか。
玉利:野望ですか……。この本を機に出会った方々と、新しいプロジェクトを動かしていきたいですね。そのひとつが「文脈の見える流通」です。兵庫のヤマダストアーのように、消費者の選択が生産現場を変えていく、そんなスーパーをつくりたいと考えています。自分が利用したいという意味でも。

——ヤマダストアー以外で理想とするスーパーや小売店はありますか?
玉利:岡山の倉敷にある「平翠軒(へいすいけん)」です。隣で酒蔵を営む主人の森田昭一郎さんが、日本中の旨い酒の肴を、ひとりの人間の審美眼で集めた食のセレクトショップのような店です。その森田さんに、「日本でいちばん美味しい酒の肴は何か」と尋ねたら、能登に伝わる伝統的な保存食である「巻鰤(まきぶり)」という答えが返ってきました。瀬戸内海に面し、1年中食べものが美味しい場所に暮らす人が、極限の環境で生まれた叡智である保存食を好むというそのギャップに、土地を超えた文脈の交差のヒントがあると思い、以来能登に通うようになりました。
茂田:話を聞いていてひじょうに腑に落ちました。僕が取り組んできた化粧品と食の融合も、社会が勝手に分断した垣根を、個人の身体という文脈でつなぎ直す作業だったのだと。
いま、僕が最も危惧しているのは、自分たちが「歴史」というお金で買えない価値を軽視しはじめていることです。ブランドの価値とは、本来その歴史の文脈のなかにしか存在しません。しかし現代は、情報の消費だけで価値を測ろうとする。日本が培ってきた食や美容の文脈を、自ら発信することを怠れば、世界における主導権を失います。ノーマが日本の味噌に価値を見出し、韓国が海藻を世界に広めている現状に、もっと危機感を抱くべきです。
だからこそ、僕は「寺子屋」の活動を通じて、長い時間軸のなかに自分を置く感覚を伝えていきたい。過去から流れる文脈を汲み取り、いまという地点から、未来に向けて何を投げるのか。日本独自の美容倫理、食の智慧。それらを自律的に再構築していかなければ、この国は本当に文化資産も含めた借金まみれの国になってしまいます。断絶された文脈を、もう一度自分たちの手で編み直す。その静かな、しかし力強い意志こそが、次の時代の「豊かさ」を創るのだと確信しています。
——ふたりが組んで一緒にできることが、いろいろありそうな気がします。
玉利:そうですね、ぜひやりましょう。東京という無文脈になりがちな場所で、自分の「濃い遺伝子」や「土地の記憶」を呼び覚ます。それは単なる教育ではなく、私たちがどう生きていくかを問い直す、文脈をもう一度自分の身体にインストールすることです。

*1_ノーマ
デンマーク・コペンハーゲンに拠点を置き、「世界ベストレストラン50」で計5度の1位に輝いた美食の殿堂。その最大の功績は、近代化で伝統食が失われたスカンジナビアにおいて、断絶した文脈を再生するため、日本の味噌をはじめとする発酵文化を導入した人類学的アプローチと言われる。共同創業者でシェフのレネ・レゼピらは、日本から味噌の製法を直接学び、それを北欧の野生食材へと応用。単なる「和食の模倣」ではなく、発酵というプロセスを介して自らの土地の風土(テロワール)を現代に蘇らせる文脈の再インストールを実践した。
*2_ヤマダストアー
兵庫県を拠点に、食の安全と地産地消を追求するスーパーマーケット。消費者が意思を持って商品を選ぶことで生産現場を支える、参加型の販売を実践している。象徴的なのが低温殺菌牛乳の「牧草肥育割合」の明記。顧客がその理念を支持し、積極的に購入を選択したことで、当初50%だった牧草割合を53%に引き上げることに成功。食の透明性を高めることで、自覚的な消費行動が生産現場に実質的な変化を促す仕組みを構築している。効率至上の現代において、地方発のこの試みは、個人の選択が持続可能な生産を支えるという、流通の新たな指針を示している。
Profile
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玉利康延(たまり・やすのぶ)
文脈デザイン研究家。1979年東京生まれ。大量生産・消費のシステムに異を唱え、2000年代から文化人類学者らとともに、社会の「断絶」を修復するプロジェクトを多数指揮。岡山県西粟倉村での地方創生支援や、グッドデザイン賞金賞に輝いた「東北食べる通信」の創刊メンバーとして、生産現場の「熱量」を都市に届けてきた。現在は自ら設立した文脈デザイン研究所を拠点に、地質学や人類学などから食文化を紐解く「和食人類学」の探求に注力。効率が最優先される現代において、あえて手間と歴史を尊ぶ「文脈の再構築」を提唱する。日本列島に刻まれた風土の叡智を、次世代につなぐ物語として編み直すその試みは、漂流する現代の消費社会において、確かな生存の羅針盤を提示し続けている。
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茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にはOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(神奈川・鎌倉)をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催。24年11月にはF.I.B JOURNALとのコラボレーションアルバム「現象 hyphenated」をリリースするなど、活動の幅をひろげている。
Information
和食人類学
文脈デザイン研究家の玉利さんが、数年の構想を費やし、独力で編み上げた渾身の一冊。初版は2025年12月。なぜ私たちは、春に山菜を求め、冬に根菜を欲するのか。シルクロードを渡った小麦の旅路、日本列島のプレートが産んだ湧水の温度……。バラバラに分断された知の断片を「文脈」という名の横串で刺し、壮大なスケールで描き出した、現代の生存戦略のための指南書でもある。玉利さんが主宰する文脈デザイン研究所の公式サイトより購入できる。
https://ctxt.jp/
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撮影:小松原英介
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文:上條昌宏
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