2026-05-21
Vol.27
文脈デザイン研究者、ブランドコンサルタント
玉利康延 氏(前編)
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「文脈」を浮かび上がらせる
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「点」から「横串」へ
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失われた環を求めて
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和食の本質
肌の不調を身体からの警告と捉えるOSAJIブランドファウンダーの茂田正和と、地質や遺伝子の視点から食の文脈を紐解く玉利康延さん。一見異なる領域を歩むふたりの探求は、ひとつの交差点に辿り着く。
玉利さんの近著「和食人類学」が示すのは、自らのルーツを知り、本能に向き合うことの重要性だ。それは情報の海を漂う自己を、再び確かな風土へとつなぎ止める試みといえる。美容と食。その垣根を超えた対話から、現代において「文脈を編み直す」ことの真意を浮き彫りにする。

現代は、物流や技術の進化で季節感は消失し、自らの「種」としてのオリジンが見えにくくなっている(茂田)
茂田正和:玉利さんは、もともとはデザインの世界を歩まれていたのですよね。
——確か、西山浩平さんが率いたエレファントデザインの「空想生活」プロジェクトなどに関わられていたと。
玉利康延:ええ。1999年頃の話になりますが、工業デザインの世界に身を置いていました。ただ、当時「空想」のプロジェクトを通じてユーザーの声をかたちにする仕組みに関わるなかで、ある確信めいた予感があったんです。「ああ、日本において、既存の工業デザインという業界は間もなく終わるだろう」と。このまま工業デザインの世界にいつづけても先のキャリアを描くことができないと思い、一度その世界をスパッと手放したのです。
——おふたりはどんなきっかけでつながったのでしょうか。
茂田:4月に京都にオープンしたOSAJIの新店舗のコンセプトを練っていた際、スタッフから「茂田さん、これは絶対に読んでおくべきです」と言われた本があったんです。それが玉利さんの著書「和食人類学」でした。すぐに購入して読ませてもらいましたが、その内容の深さに圧倒されました。そして、著者である玉利さんのことを調べてみると、共通の知人の存在もわかりました。「おいしい未来研究所」の市原万葉さんです。すぐに彼女に紹介を頼み、玉利さんと初めてお会いしたのが2カ月ほど前。そこからの不思議な縁です。
僕はこれまで美容を単なる「点」として捉えたことはありません。食やライフスタイル、すべてをつなげて考えるべきだと思ってきました。中医学や薬膳の世界には、旬の食材を通じて身体を環境に適応させるという、古くから伝わる知恵があります。しかし現代は、物流や技術の進化で季節感は消失し、自らの「種」としてのオリジン(起源)が見えにくくなっている。そのなかで、玉利さんが実践されている食のルーツを掘り下げるというアプローチは、僕が追求する美容と食の関係において、不可欠なステップになると直感しました。何より、この重厚な一冊を独力でつくり上げた玉利さんの執念に、深く共鳴しています。

——茂田さんは美容を食やアート、音楽との「関係性」で捉えています。この姿勢は、玉利さんが提唱する「文脈デザイン」という概念と響き合います。改めて、玉利さんの活動の核心を伺えますか。
玉利:前提として、現代社会はあらゆる「文脈」が切断されています。例えば、歴史を紐解いても語られるのは大河ドラマのような政治史ばかりで、名もなき人々が何を食べて生きたかという実感は切り捨てられてきた。和食人類学では、遺伝子、歴史、そして民俗学というバラバラに存在する学問領域を横串で刺し、数珠つなぎにすることで、庶民の暮らしの豊かな文脈を浮かび上がらせようと試みました。一分野を深掘りしても、隣の領域には指一本触れない。そんな分断された知を編み直し、未来への指針を示すこと。それが私の考える「文脈デザイン」です。
——あえて一度徹底的に「過去」を掘り下げたのは、なぜでしょうか。
玉利:過去という膨大なデータベースのなかにこそ、未来を生き抜くヒントがあるからです。執筆を通じて得た最大の気づきは、ルーツそのものよりも、そこに至る道筋(プロセス)のほうが重要であるということでした。例えば小麦のルーツを辿れば、中東を経て中国・黄河文明に行き着きます。しかし、起点にばかり注視してしまうと、道中で生まれた「麺文化」という変容を見過ごすことになってしまう。日本文化においても、単純に「京都が素晴らしい」ではなく、そこに行き着くまでの道程に横たわる多様な文脈を満遍なく拾い上げること。そのプロセスのなかにこそ、文化の真実の厚みが宿っているのだと感じています。

身体という実体を扱い、その道を深く探求されているプロフェッショナルであればあるほど、私が提示した文脈という視点が響く(玉利)
——茂田さんが和食人類学を読み、最も感銘を受けたのはどのような点でしょう。
茂田:やはり「横串を刺す」という視点ですね。医学の世界を例にとれば、皮膚科医は皮膚のみを、内科医は内臓のみを診るという分断が起きています。しかし、身体は本来すべてが有機的につながっている。専門性に特化することが、果たして生命と向き合ううえで唯一の正解なのか。僕はかねて、この細分化された領域のあり方に強い疑問を抱いてきました。
例えば皮膚炎ひとつをとっても、それは皮膚表面だけの問題ではありません。摂取した食物や遺伝的要因、さらには環境が複雑に絡み合っている。症状を「点」で捉えて処置するのは西洋的な発想かもしれませんが、東洋医学や日本の古代医学は、よりホリスティック(包括的)に、不調の根源を紐解こうとしてきました。しかし、現代社会は効率を重視するあまり、その大切なつながりを切り離してしまった。僕はいま、こうした流れに抗い、いかにしてプリミティブ(根源的)な状態に戻れるかということを、極めて重要なテーマとして捉えています。
僕が主宰する料理教室などで情報を発信していても、その断絶を感じることがあります。象徴的なのが「だしの素」の存在です。だしの素自体を否定するわけではありませんが、問題は「出汁を引く」という行為と、だしの素が、現代人の脳内でつながっていない点です。 「だしの素をやめて、鰹節から出汁をとろう」と提案しても、そのふたつをイコールだと認識できていない人には、言葉が届きません。彼らにとって、鰹出汁を引く行為は、もはやこの世に存在し得ないものなのかもしれない。そこから一歩踏み出し、自らの手で出汁をとる。それは現代において、極めてプリミティブでクリエイティブな、文脈の回復作業のような気がします。

——専門性によって分断されたものを、もう一度自らの手でつなぎ直すということですね。
茂田:ええ。情報過多の時代にあって、いまの人たちは何が正しいのかを見失っています。「この野菜のこの成分が肌に効く」といった断片的な情報に踊らされ、究極的には何を食べればよいのかがわからなくなっている。だからこそ、原点に立ち返る必要があります。「自分はいま、何を食べたいのか」「何に心地よさを感じるのか」。情報の外側にある、自らの本能的な感覚に従うこと。情報のベクトルが外へ外へと向かう現代において、逆方向のベクトルで本来の感覚を取り戻していく。玉利さんの本には、そのための知恵が凝縮されています。 だからこそプロの料理人やクリエイターがこの本を読み、そうした文脈を咀嚼して、一般の人たちへと伝わるかたちにチューニングして届けていくことは、ひじょうに大きな意義があると感じています。
玉利:茂田さんの話を伺って、互いの共通点はやはり「身体」にあると感じました。和食人類学に対して、最近熱心に反応してくださるのは、驚くほど身体に深く関わる方々なんです。茂田さんのような美容の専門家はもちろん、医師、あるいはシェフ。身体という実体を扱い、その道を深く探求されているプロフェッショナルであればあるほど、私が提示した文脈という視点が響くようです。

食の歴史を紐解くと、一部はどうしても独自発生の謎として残る。その「謎」もまた、文化人類学的な食の探求の醍醐味(玉利)
——そもそも、工業デザインをキャリアの出発点としていた玉利さんが、なぜ「食の文脈」にこれほど深く傾倒されるようになったのでしょうか。
玉利:工業デザインの世界にいた2000年代初頭、私はある種の危機感を抱いていました。大量生産・大量消費のシステムのなかで、個々の人間に最適化(カスタム)されたものが生まれない。そのボトルネックは、大量に送り、大量に売ることを至上命題とする「流通」の構造にあると気づいたのです。 そんな折、文化人類学者の竹村眞一先生との出会いがありました。そこで「食のトレーサビリティ」という概念に触れたことが、大きな転機となりました。有機野菜の宅配を手がける「大地を守る会」の元会長である藤田和芳さんらとともにプロジェクトを立ち上げ、生産現場を歩きました。野菜がどうつくられ、いかに流通し、私たちの身体へと取り込まれるのか。そのプロセスを精緻に追う経験が、私を食の世界へつなぎ止めました。
その後、30代の約8年間は、雑誌「東北食べる通信」の活動に心血を注ぎました。計70号を発行する過程で、毎月必ず東北の農家や漁師、酪農家を訪ね、現場の声を聞き続けました。その経験から、東北6県の豊かな気候風土の解像度が上がっていったのです。例えば秋田・男鹿半島の「しょっつる」や能登の「いしる」。こうした日本海側の魚醤文化を深く見つめるうちに、「これは東南アジアのナンプラーと地続きなのではないか」という直感が降りてきました。その点と点を結ぶ作業が、今回の本へと結実したのです。

茂田:調味料のルーツの話は興味深いですね。発酵調味料の世界を見渡すと、地域を隔てていても驚くほど似通ったものが存在します。例えばモルディブ・フィッシュと日本の鰹節。これらは、ルーツをひとつにするものなのでしょうか。それとも、異なる地で同時多発的に生まれたのでしょうか。
玉利:モルディブの鰹文化と、日本の黒潮圏に伝わる鰹節は、確かによく似ています。私自身、両者はどこかでつながっているはずだとにらんでいますが、学術的にはまだ「ミッシングリンク(失われた環)」の状態です。食文化の探求は、常にこのミッシングリンクとの対峙から始まります。1980年代の、まだ研究費が潤沢だった時代の膨大な文献を読み解くことで解決する場合もありますが、鰹についてはまだ完全な証明には至っていません。一方で、アンチョビとアジアの魚醤を同一の起源に求められるかという議論もあります。地中海には、ローマ帝国時代から「ガラム」と呼ばれる魚醤が存在しました。他方、アジアの魚醤の起源はメコン川流域であるというのが定説です。これらについては、現時点では「起源は別である」とする説が有力です。
食の歴史を紐解くと、多くの事象は一定のルーツに収束する一方で、一部はどうしても独自発生の謎として残る。その「謎」もまた、文化人類学的な食の探求の醍醐味だといえるでしょう。

精神の共鳴は食の世界でも起きているのではないか。リンクし合うもの同士の背後には、必ず通底する何かがある(茂田)
茂田:デザインの世界ではいま、日本と北欧のインテリアスタイルを融合させた「ジャパンディ」という潮流があります。当初、人種や文明の起源に共通点があるのかと興味を抱きましたが、歴史的なつながりはないようです。しかし、両者がこれほど響き合うのは、精神の根底に流れる「アニミズム」的な死生観が一致しているからではないでしょうか。
日本では古来「八百万(やおよろず)の神」として万物に神が宿ると考えますが、北欧の神話や思想にも、石や木に魂が宿るという感覚が根づいています。例えば華道の世界では、人が恣意的にかたちをつくるのではなく、自然物との対話を通じて「花が最も生かされるかたち」を模索します。この姿勢が北欧のデザイン哲学とも共鳴しているのです。
アウトプットの面では、日本は静寂や「ひんやりとした」侘び寂びを好み、寒冷な北欧は温かみのある素材を好むという対照的な面もあります。しかし、根底にある素材の良さを引き出し、自然に従うという共通言語があるからこそ、双方は深いシンパシーを感じ続けてきた。こうした精神の共鳴は食の世界でも起きているのではないか。リンクし合うもの同士の背後には、必ず通底する何かがある。そう考えると実にロマンチックで、興味が尽きません。
玉利:その共通項を紐解くうえで、日本列島が地理的な「端」であったという視点は欠かせないでしょう。人類はアフリカを出発して世界へ広がりましたが、ユーラシア大陸を東へ進んだ者にとって、日本列島の先には広大な太平洋が横たわり、もはや進むことはできませんでした。つまり、日本は文化の最終的な受け止め場所だったのです。
例えば中国で戦乱が起きれば、人々は海を渡って日本へ逃げ延びてきました。大陸では戦火や王朝の交代で消滅してしまった文化――例えば、かつての中国にあった抹茶や寿司の原型――が、行き止まりである日本に蓄積し、保存されました。抹茶も寿司も、中国では一度途絶えましたが、日本では室町から江戸時代にかけて独自に深化し、現在のかたちになったのです。大陸の文化をすべてキャッチしたうえで、日本の気候風土に合わせて「独自解釈」を施し、洗練させてきた。それこそが「和食」の本質です。

——独自解釈して血肉化する能力に、日本人は長けていたのでしょうか。
玉利:日本の気候風土が、その能力を強いた側面はあるでしょう。とりわけ四季が鮮明で、夏と冬の環境差が激しいため、生活様式を厳格に適応させる必要がありました。また、一説にはいわゆる縄文的な気質とも言われますが、この列島の人々は古来、物事を極めて精緻につくり込むマニアックな気質を備えていた。そうした気質が、外来の文化を独自の美意識へと昇華させたのかもしれません。
茂田さん自身についても、同じことが言える気がします。初めて会った際、茂田さんが高崎の出身だと聞き、なるほど「からっ風」に吹かれて育たれたのだな、と感じました。北関東特有のあの乾燥した激しい気候のなかで育ったほうが、皮膚の感覚や化粧品という領域に強い関心を抱くに至ったのは、決して偶然ではなく、その土地の風土と深い関係があったからではないか、と。そうした風土と身体の関係もまた、重要な文脈のひとつなのです。
——人のルーツを辿る旅は、調べれば調べるほど興味が尽きません。
玉利:そうですね。例えば私の父は新潟出身ですが、新幹線で数駅しか離れていない茂田さんの故郷である高崎とは、気候が決定的に異なります。新潟は湿度が高くしっとりとした世界ですが、群馬はからっ風がすべてを乾燥させる世界。こうした風土の差を知ることで、「なぜこの人はこの仕事をしているのか」「この人にはどんな食が合うのか」といった文脈が見えてくるのです。
後編 に続く

Profile
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玉利康延(たまり・やすのぶ)
文脈デザイン研究家。1979年東京生まれ。大量生産・消費のシステムに異を唱え、2000年代から文化人類学者らとともに、社会の「断絶」を修復するプロジェクトを多数指揮。岡山県西粟倉村での地方創生支援や、グッドデザイン賞金賞に輝いた「東北食べる通信」の創刊メンバーとして、生産現場の「熱量」を都市に届けてきた。現在は自ら設立した文脈デザイン研究所を拠点に、地質学や人類学などから食文化を紐解く「和食人類学」の探求に注力。効率が最優先される現代において、あえて手間と歴史を尊ぶ「文脈の再構築」を提唱する。日本列島に刻まれた風土の叡智を、次世代につなぐ物語として編み直すその試みは、漂流する現代の消費社会において、確かな生存の羅針盤を提示し続けている。
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茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にはOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(神奈川・鎌倉)をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催。24年11月にはF.I.B JOURNALとのコラボレーションアルバム「現象 hyphenated」をリリースするなど、活動の幅をひろげている。
Information
和食人類学
文脈デザイン研究家の玉利さんが、数年の構想を費やし、独力で編み上げた渾身の一冊。初版は2025年12月。なぜ私たちは、春に山菜を求め、冬に根菜を欲するのか。シルクロードを渡った小麦の旅路、日本列島のプレートが産んだ湧水の温度……。バラバラに分断された知の断片を「文脈」という名の横串で刺し、壮大なスケールで描き出した、現代の生存戦略のための指南書でもある。玉利さんが主宰する文脈デザイン研究所の公式サイトより購入できる。
https://ctxt.jp/
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撮影:小松原英介
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文:上條昌宏
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