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茂田正和

レコーディングエンジニアとして音楽業界での仕事を経験後、2001年より母親の肌トラブルをきっかけに化粧品開発者の道へ。皮膚科学研究者であった叔父に師事し、2004年から曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業のヘルスケア事業として化粧品ブランドを手がける。肌へのやさしさを重視した化粧品づくりを進める中、心身を良い状態に導くには五感からのアプローチが重要と実感。2017年、皮膚科学に基づいた健やかなライフスタイルをデザインするブランド『OSAJI』を創立、現在もブランドディレクターを務める。近年は肌の健康にとって重要な栄養学の啓蒙にも力を入れており、食の指南も組み入れた著書『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)を刊行。2021年、OSAJIとして手がけたホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)が好評を博し、2022年に香りや食を通じて心身の調律を目指す、OSAJI、kako、レストラン『enso』による複合ショップ(鎌倉・小町通り)をプロデュース。2023年は、日東電化工業のクラフトマンシップを注いだテーブルウェアブランド『HEGE』を仕掛ける。つねにクリエイティブとエコノミーの両立を目指し、「会社は、寺子屋のようなもの」を座右の銘に社員の個性や関わる人のヒューマニティを重視して美容/食/暮らし/工芸へとビジネスを展開。文化創造としてのエモーショナルかつエデュケーショナルな仕事づくり、コンシューマーへのサービスデザインに情熱を注いでいる。

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    2024-02-24

    Vol.3

    音楽家、詩人
    山崎円城 氏(後編)

    • 今問われる死生観
    • 音は言葉であり、コミュニケーションの手段
    • ことの本質に近づく量子的思考
    • クリエイティブと社会性の両立
    • 社会に文化を広げる拡声器

    詩、音楽、グラフィティ、タギング……。うねるような言葉で、わき起こる感情をつづっていく。言葉の濁流から浮き彫りになるのは、行き詰まった社会に対する痛烈なメッセージであり、立ち行かなくなった現状を打破するヒントのようでもある。「言葉の場所をつくるために、さまざまな表現活動をしている」。そう話す希代の創造者は、言葉の持つ力や現代に通じる普遍的な価値ついて何を思うのか。国内屈指のポエトリージャズバンド、F.I.B JOURNALを率いるかたわら、詩人やアーティストとしても活躍の場を広げている山崎円城(やまさき・まどき)さんをゲストに迎え、互いの関心やコラボレーションの行方など幅広いテーマについてじっくり語り合った。

    前編はこちら

    誰かを排除するのではなく、誰もが渡ることのできる橋をかけることが未来をつくることだと思う(山崎)

    ——この機会に山崎さんから茂田さんに聞いてみたいことはありますか?

    山崎:茂田さんの活動って、クリエイティブな部分と社会性がすごくリンクしているように思うんです。普通、そのふたつは相反するものだけれど、ビジネスの規模が大きくなってもバランスを崩すことなく実践している。クリエイティブな活動を維持するだけでも難しいのに、どうしてバランスを保ちながら継続できるのか、その秘訣を聞いてみたいですね。

    茂田:棚ぼた的にうまくできてしまっているというのが、最近の実感ですね。今年、化粧品ブランドの「OSAJI」を分社化し、商社などの出資を受け入れたことが経済紙に記事として出たんですが、その際フェイスブックに寄せられたコメントで多かったのが、「事業をスケールすることとクリエイティブは反比例するものだと思ってました」みたいな内容だった。今も円城さんに、「クリエイティブと社会性を両立している」と言われましたが、そのように評価してもらえることが事業をやっている身としてはいちばん嬉しいです。やっぱり、小さな規模を前提に何かを決断することは、クリエイターにとって本望じゃないと思うから。

    山崎:わかります。先日、茅ヶ崎で(シンガーソングライターの)Caravanと飲んでいて、彼にこんなことを言われたんです。「自分のことを“ニッチ”だってよく言うけど、本当はそう思ってないでしょ。だったら、言っちゃダメだよ。やっているのは“発明”なんだから。これからはニッチって言葉を使うのは禁止ね」と。言葉って器だから、自分で発言してしまうと、おのずとそちら側に吸い寄せられてしまうんです。彼はそれを危惧したんでしょう。

    茂田:90年代にアングラミュージックに傾倒していた自分を知る人から、「おまえもすっかり変わっちゃったな」とか、「マスの世界に行っちゃったんだ」と言われた時期がありました。でも、本当にいいものをつくっているのにニッチでいることをよしとする考え方が僕にはどうしても理解できないんです。人にとっていいと信じてつくっているものに対し、ユーザー数の上限を決めるなんてぜったいにすべきではないし、使いたいと思ってくれる人や共感してくれる人がいるなら、つくり手はできるだけ多くの人に届ける努力をすべきでしょう。それが自信を持ってつくっていることの証です。「規模が大きくなると消費されちゃう」みたいなことを言う人がいますが、消費されるかどうかはやっていることが本物か偽物かの差であって、どんなにマスコミに取り上げられようと、本物であれば存在が揺らぐことはない。そこで潰れてしまうのは、そもそもやっていることが本物じゃないからでしょう。

    山崎:マスになるって、物事に白黒つけることじゃない。今世の中で起きている争いも、グレーとグレー、あるいは漆黒と漆黒の戦いであって、どっちに転んでも行き着く先は黒という話じゃないですか。
     未来をつくることって橋をかけることだと思うんです。その橋は聖者も悪者も偽善者も大人も子どももみんな通る。「この人はOKだけれど、あの人はダメ」みたいに誰かを排除するのではなく、誰もが渡ることのできる橋をかけることが未来をつくることだと思うんです。自分が今つくっている橋がどういうものなのかはわからないけど、ぜったいに日の光を浴びるようなところにつくってやろうと思っています。

    ——誰もが渡れる橋をかけるという話は、聞いていてすごくいいなと感じました。おそらくその考えは、山崎さんの言葉の選びにも現れていると思うんです。特定の人しか理解できない難しい単語をあまり使わないとか。

    山崎:難しいことなんて自分にもわからないですよ。本当に素晴らしいことって、わかりやすい言葉で表現できるものだったりするじゃないですか。今は、みんながわかるようなものでないと世の中を射抜くことができなくなっていて、だからきっと、誰にでも理解できるような言葉が世の中を変えていくんでしょうね。誰にでも使えて、でもまだ生まれていな魔法のような言葉を見つけられたらいいんですけど。

    茂田:以前、ギャラリーの展示に、『I know it ≠ You don’t know it ≠ I am right about it (ぼくは知ってる。君は知らない。ぼくは正しい。それは同義語ではない)』という作品を出品されていましたよね。あのタイトルを見たときに、「そう、そこなんだよ!」と思わず叫びたくなったんです。自分と他者を比較して知識の違いを探ろうとする人って、どこかで自分は正しいという前提に立ってものごとを考えたり、発信している場合が多い。でも逆に、僕と君は違うけれど、別に僕が正しいわけじゃないと自分に言い聞かせられる人って、人間性がすごく豊かなんじゃないかと思うんです。きっと、他者と一緒に何かをやることにもすごく楽しい気持ちで臨むことができる。

    ——そういう境地に立てる人は稀かもしれないですね。

    茂田:死生観について議論をしていると、「こういう話の終着って、死ぬことが怖くなくなるってことですか?」とよく聞かれるんです。僕はそんなことは1mmも思っていなくて、長く生きていくなかで、死を怖いと思うときもあれば、怖くないと思うときもある。考え方や価値観って、ずっと同じじゃなきゃいけないわけではなく、常に変わり続けることが人間にとっての普遍的な価値なんです。そういう前提のもとで、豊かな人間性を獲得するために変動していくことだったり、いい意味でブレるということをどう意識的に実践していくのかと考えると、「僕が必ずしも正しいわけではない」という態度で人と向き合うことが大事なんだろうと思うんです。そうやって相手の価値観を自分のなかにいったん取り込むことで、自分の価値観の押し付けとは違ったかたちで相手に想いを伝えることができる。それを繰り返すことで、生きることや死ぬことに対する考えが定まっていくと同時に、今という大切な時間としっかり向き合おうという意識が芽生えていくんでしょう。円城さんの言葉にはそうやって生きていくための知恵が散りばめられているような気がします。

    山崎:死生観について言えば、正直死ぬのは怖い。経験したことがないから、恐怖を抱くのは当前です。生きる意味とは何かを考えると、何かに怯えたり、怖がってジタバタすることだったりすると思うんです。今の自分が恵まれていと感じるのは、そういう気持ちの揺らぎがすごくあること。感情の起伏が言葉を引き出してくれるんです。気持ちが平坦だったり、満ち足りているときは逆に言葉がぜんぜん出てこない。幸せなときって、誰かを抱きしめてさえいればそれで事足りてしまうから、書く必要なんてないんです。多くの人にとってはそれでいいんでしょう。でも、言葉を生業にしている自分は違う。孤独を感じたり、足りていないものを何かで埋め合わせしようと必死に言葉を絞り出している感じで、それが自分にとって生きているという証なのかもしれない。 
     
     今、親父は80半ばですが、描く絵がどんどんとよくなっているんです。まったく売れないし、そもそも売ろうなんてことも考えていなくて、ひたすら描くことだけに時間を費やしているような人です。普通、あの歳ぐらいで絵が売れなかったら筆を置くとか、挫折するとかいろいろあるはず。でも、この前も1年ぐらいかけて描いた絵が公募展に落選したと聞いてアトリエに行ったら、怒り狂ったように自分の絵を破り捨てていた。しかも鼻血を出しながら。それを見て、「親父、最高だな!」と思いましたね。自分も歳をとったときに、こういうメンタルでクリエイティブと向き合えたら幸せだろうなと。何をもって成功者と言うかなんてしょせんは人が決めることであって、自分から見たら絵を破っている親父も成功者のひとりに見えた。感情を高ぶらせながら猛烈に今を生きている親父の姿をみて、なんかよかったなと思いました。

    円城さんと、社会に文化を広げられるような関係を築きたいし、文化というものをもっと成熟させたい(茂田)

    ——ふたりでこれから始めようとしていることについて少し伺いたいのですが?

    茂田:僕は円城さんにプロダクトを一緒に考えてもらえませんかと相談していて、香りに対するアプローチだったり、植物のこういう香りを抽出するのはどうですか、みたいな話をさせてもらっています。ただ、今は無尽蔵にどんどんものを増やしていくという時代ではないので、つくりたいという衝動と、つくることによって社会にどんな貢献ができるのか、両者の折り合いをつける道筋みたいなことを円城さんとのやりとりを通してすごく考えました。 
     
     そのときふと頭に浮かんだのが、『企業は文化のパトロンになり得るのか』という本を書かれたことでも知られる資生堂元会長の福原義春さんと渡辺貞夫さんとの関係だったんです。たまたま中学2年のときに渋谷のオーチャードホールで行われた渡辺さんのクリスマスコンサートを見る機会があって、帰り際にお土産で配られたのが、当時CMで流れていた資生堂の香水のサンプルボトルでした。それを手にして僕はすごくロマンチックな気持ちになったし、高尚な文化の香りを感じたんです。将来香りに関わる仕事に携わるなんて、そのときはみじんも思っていませんでした。でも、回り回ってそういう機会を得た今、あのときの福原さんと渡辺さんみたいな関係性を築きたいと思ったんです。そのときにパートナーとして真っ先に浮かんだのが円城さんだった。

    ——山崎さんにとって茂田さんとのコラボレーションはどんなチャレンジになりそうですか。

    山崎:茂田さんから話をもらって心に残っていることがふたつあります。ひとつは、拡声器になると言ってくれたこと。もうひとつは、文化というものが一握りの金持ちやインフルエンサーだけではなく、一般の人たちからも発信されるようにならないといけない、そのために自分とコラボレーションしたいと言ってもらえたことでした。 
     
     壁に絵を描いたり、ファッションブランドとコラボレーションしたときに、こんなもんだろうと思いながらやっていたにもかかわらず、蓋を開けてみると割と評判が良くて、けっこうな反響があった。自分の想像の範疇を超えていたのは単純に経験をしていなかっただけで、どういうケミストリーが起こるかなんてやってみるまでわからない。そのとき、行きたい国を自分で決める時代はもう終わったんだと思いましたね。
     
     今は誰かと一緒にものをつくるほうが面白いし、結果が楽しみという部分がある。だから今回もどんなケミストリーが起こるのかワクワクしています。話をもらってからずっと考えていますが、いいことを言おうとすると言葉って出てこないんです。いろんな考えを頭のなかにぶち込んで、それを何度も干して、最後に一粒の水滴がポタッと垂れてくるみたいな言葉をつなぎながら考えています。そうやっていつか本当の言葉にたどり着くんだろうし、突き抜けたアイデアが生まれるんだと思う。こういう機会がなかったら生まれないような言葉を見つけたいですね。

    茂田:円城さんとは通じ合うものがたくさんあると感じる一方、すごく対照的だなと思うは、「孤独のなかから言葉が生まれる」と話されていたところです。僕は誰かのためにという想いでいつもものをつくっていて、自分自身に向き合うというよりも、自分の周りの困っている人や大切な人に手を差し伸べたい。向き合う対象が自分の“外”にあるんです。
     
     でも、そういう違いがあるからこそ、一緒に何かに取り組めることが楽しみでしょうがない。僕は今、円城さんと向き合って、円城さんからいろんなものを受信している。そうやって、福原さんと渡辺さんのように社会に文化を広げられるような関係を築きたいし、文化というものをもっと成熟させたいんです。円城さんの言葉を僕が受信して、僕はその拡声器になる。僕がやりたいのはそういうことだというのを、今日話をしてすごく理解できました。


    セコハン(Calm & Punk)/ F.I.B JOURNAL

    This is GHOST / F.I.B JOURNAL

    Profile

    • 山崎円城

      1970年、神奈川県川崎市生まれ。10代より独学で音楽活動を始める。96年、リトル・クリーチャーズの栗原 務らと組んだユニット、Noise On Trashでデビュー。2003年、ファッション誌「Commons & sense」とのコラボレーションをきっかけにF.I.B JOURNALとしての活動を開始し、現在に至るまで「ジャズパンク」と称される作品を多数発表する。音楽活動のかたわら、詩人としても活動。これまでに2冊の詩集を発表し、現在3冊目を制作中。また、「好きな言葉の共有」を目的に不定期に開催される朗読会「BOOKWORM」の主宰も務める。グラフティやダギングなどの手法を用いた作品発表も精力的に行い、近年はファッションブランドとのコラボレーションも多数。自身のアトリエで制作したタギング作品の個展を22年、23年と2年続けてgalerie-a(東京・南青山)にて開催し、今年も新作の個展開催を予定している。

    • 茂田正和

      音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(鎌倉・小町通り)をプロデュース。23年は、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。著書に、『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)がある。

    Information

    F.I.B JOURNAL

    2023年に結成20年を迎えた国内屈指のポエトリージャズバンド。2005年からEGO-WRAPPIN’のサポートベーシストとして活動する真船勝博、ドラマーの沼 直也が加入し、トリオ編成に。現在までにトリオ編成で5枚、オーケストラ編成で1枚、音楽ユニットTICAの武田カオリをボーカルに迎えて1枚の計7枚のアルバムを発表している。近作は過去の楽曲のフレーズの一部をサンプリング・コラージュして再構築した「This is GHOST」(23年秋に配信プラットフォームでリリース)。タギングによるアートワークを山崎自身が手がけた。

    http://madoki-yamasaki.org/fibjournal/

    • 写真:小松原英介

    • 文:上條昌宏

    • 撮影協力:月見ル君想フ