2026-10-29
Vol.32
飛騨産業 代表取締役社長
岡田明子 氏(前編)
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地域の素材を巡らせる
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等身大のリーダーシップ
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「木工の聖地」と道具の継承
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「非財務価値」の追求と、地域に広がるエコシステム
創業から100余年。岐阜県高山市の地で木の可能性を追求しつづける家具メーカー、飛騨産業。その舵取りを担う岡田明子さんのもとを今回、OSAJIブランドファウンダーの茂田正和が訪ねた。一見すると異なる領域でものづくりに向き合うふたりだが、その根底にある眼差しは驚くほど重なり合う。
理念の言語化と組織づくり、目先の数字には表れない「非財務的な価値」や地域コミュニティへの巡り——。持続可能な事業とは、自然の循環と関わる人々の豊かさが響き合う場所にしか存在しないのではないか。効率やスケールが最優先される現代において、歴史を引き継ぎながら「自分たちの軸」を揺らさずに歩むとはどういうことか。伝統を次の100年へ紡ぐこと、そして100年続く新たな軸をつくることとはどういうことか。変革の間で葛藤しながら自分たちの軸を貫く両者の対話から、これからの時代のものづくりの哲学を紐解いていく。

地場のものを使うことが増えるにしたがい、プロダクトが他国では出せないニュアンスをじわじわと帯びはじめる(茂田)
茂田正和:僕自身、香りづくりを自分の仕事のひとつにしていて、群馬県みなかみ町に蒸留器を置いてクロモジの蒸留をしたり、冬のスキー場へと変わる直前にそこに植わっているラベンダーを刈り取って蒸留したりしてきました。地域のお年寄りのお宅に伺い、「自分では手がかけられない」からとその家で育ったユズを収穫し、皮を剥いて蒸留したこともあります。
ただ、そのとき感じたのは、すごくいい香りを放つのに、蒸留すると「あれ? どうしてこんな香りになっちゃうんだろう」という苦い思いでした。そんなとき偶然、六本木のミッドタウンにある飛騨産業さんの店舗で蒸留された精油に出会ったんです。クロモジにしてもヒノキにしても、「なんでこんなにいい香りができるんだろう」と、そこで強い興味が湧きました。国産の精油や香料が少ないなかで、これほど素晴らしい香りをどうやって蒸留しているのかが知りたくなり、すぐに「見学させてください」と連絡して、香りの開発チームと飛騨産業さんへ伺ったのが2022年のことです。
——ちょうど4年ぐらい前ですね。
茂田:香料の世界では沸点を上げない減圧蒸留が主流です。しかし、飛騨産業さんは高圧蒸留という方式を採っていました。樹木に含まれる香りは融点が高い成分が多いので、「なるほど」と思うと同時に、素晴らしい香りが抽出できる理由が納得できました。以来、僕はすっかり飛騨産業さんの香りのファンになってしまって。なんとかうちのプロダクトに飛騨産業さんの精油を使えないかと社内で言い続けてきたんです。それが実を結んだのが、合羽橋の調理器具の老舗である釜浅商店さんとコラボレーションした「砥香(とか*1)」という砥石専用のエッセンシャルオイルです。
——リリースは2023年2月でしたね。
茂田:ちょうどコロナが落ち着くぐらいのタイミングでした。包丁を研ぐ際に砥石に香りを垂らすことで、精神集中や自律神経を落ち着かせる効果を狙ってつくったんです。


岡田明子:そんなご縁があったんですね。そのときに使われた香りはヒノキでしたか。
茂田:ヒノキのほかにクロモジも使わせていただきました。さらに、今年秋に発売した新しいオードパルファムでも飛騨産業さんの香料を使わせていただいています。フィトンチッドの効果や女性ホルモンの変動に着目した基本の香りをベースに、4種類の香気を重ね合わせて変化を楽しむ香水なのですが、土台となる4つの香料成分のうち3つが飛騨産業さんの香料です。
岡田:ありがとうございます。
茂田:22年に蒸留を行うラボを見学させてもらった際、高圧蒸留の取り組みはもちろんですが、蒸留後の残りかすを製材化する研究もされていると聞いて、素晴らしい取り組みだと感じ入ったんです。
僕らが手がける化粧品は原料の8割を輸入に頼っているのが現状で、自給率がすごく低い。みなかみ町でひまわりを栽培してオイルを搾油したり、酒蔵さんで需要がなく大量に捨てざるを得ない酒粕を化粧品原料化する研究を行っているのも、自給率を上げるための手段のひとつです。ただ不思議なもので、社会課題や環境課題への向き合いからスタートした取り組みですが、地場のものを使うことが増えるにしたがい、プロダクトが他国では出せないニュアンス——いわゆるワインでいう「テロワール」のようなものをじわじわと帯びはじめるんです。
一方で、化粧品はいま韓国のKビューティーが世界で台頭し、日本の化粧品の立ち位置はかつてほど盤石ではありません。どうしたら再び世界のトップに立てるかと考えたときに、世界基準の品質のものをいかに効率よく低価格でつくるかではなく、日本でしかつくり得ないものを世界に発信していくべきではないかと考えています。そのときに、原料の8割を輸入に頼っていては話にならないでしょう。
——その土地の資源を活かし、巡らせながらものづくりを行うことで、自然と日本のアイデンティティを宿したプロダクトが生まれ、結果としてそれが勝ち筋になると。
茂田:そうです。今年コペンハーゲンのデザインイベントに出展した際、僕らが持ち込んだプロダクトに対して、現地の方から「この香りは素晴らしい」「ヨーロッパでは嗅ぐことができない香りだ」といった反響をいただきました。この経験を通して地域の素材や香りが持つ可能性を確信したことも、飛騨産業さんの取り組みに惹かれた理由です。


培ってきた軸や志にひとりひとりが共感して動く組織をつくる(岡田)
茂田:飛騨産業さんが家具づくりにとどまらず、枝葉の蒸留や残りかすの製品化までを行い、森の資源を余すことなく生かす循環型のものづくりにどのような経緯で行き着いたのか。そして、岡田さんが21年に社長に就任して以降、伝統や理念を継承しながら、激変する時代のなかで何を軸に据えて変革を進め、企業を存続させようとしているのか。その根底にある考えをぜひお聞きしたいと思っています。
岡田:森林資源を無駄なく活用しようという取り組みは、実は私の父(先代社長)が始めたことです。父はもともと小売業界の出身で、縁があって飛騨産業の社長に就任しました。だからこそ家具業界の常識にとらわれず、「この木材はどこから来ているのか」「本当にこれは不良品として捨てるべきなのか」という本質的な視点を持っていました。そこからスギ材を活用した家具事業を立ち上げるなど、さまざまな改革を進めていきました。木の持つ可能性をさらに探るため、岐阜大学の教授を招聘して社内に研究室を立ち上げたのも、ちょうど父が社長を務めていた15年ほど前のことです。いまでこそ言語化されている「森と歩む(*2)」という価値観も、私が社長になる前から社内に脈々と受け継がれていて、私自身もその思想に強く共感して入社したんです。

21年に社長を引き継ぐタイミングで行ったのは、「次の100年もこの会社を守り続けるために、私たちが本当に大切にすべきものは何か」を問い直すことでした。そこで、約2年かけて企業理念を言語化するプロジェクトを行いました。そうしてまとめたのが「志」と「4つの価値観」です。「匠の心と技をもって飛騨を木工の聖地とする」という志のもと、「人を想う」「時を継ぐ」「技を磨く」「森と歩む」という4つの価値観を掲げました。これらは父の時代には明文化されていなかったものの、現場でずっと実践されてきた精神です。言葉として可視化したことで、「何を軸として守るべきか」が社内で明確になったと思っています。
一方で、明確に変えようと決めたのが「リーダーシップのあり方」でした。父は強烈なトップダウン型のリーダーで、周囲が反対しても己の意志で推し進める力があり、社員もその背中についていきました。ですが、私には同じようなカリスマ型リーダーシップは真似できない。父の存在が標準だった社内で、自分のスタイルとのギャップに葛藤しつづけた末に行き着いたのが、「等身大の自分でいるしかない」という答えだったんです。個人の強い引力ではなく、飛騨産業が培ってきた軸や志にひとりひとりが共感して動く組織をつくること。それこそが私がこの会社に対してできることだと確信し、ボトムアップ型の組織へと舵を切りました。
もちろん、理念を発表した当初は「そんな言葉遊びをしている暇があるなら給料を増やしてほしい」といった厳しい意見もありました。しかし、経営陣からの一方的な発信だけでは心に届きません。そこで社員を小さなグループに分け、私自身が直接想いを語りかけ、対話を重ねる場を何度もつくっていきました。
茂田:実は理念の浸透や組織のあり方については、僕らも今年コーポレートメッセージを一新したばかりなので、まさに同じような葛藤の最中にあります。
よく言われる「ティール組織」のように上下関係をつくらず、全員がパーパスに向かって走る考え方がありますよね。サッカーのブラジル代表のように、ポジションにとらわれず全員でゴールを目指すスタイルです。ただ、現実には役割を排除すればするほど「指示がほしい」「やり方を示してほしい」「ルールを決めてほしい」というような声が強くなります。社員が自発的に動く組織になるまでに、どのような工夫や苦労があったのでしょうか。
岡田:理念を発表した当初は、社員を集めて話をしても無言や反対の声ばかりで、意図がまったく伝わらない状態でした。これまでの社内カルチャーとして、「集まって話をする以上はぜったいにその場で何らかの結論を出さなければいけない」と思い込んでいる社員が多く、企業理念を共有するための「結論を出さない対話」の場に戸惑っていたんです。
そこで、外部のコンサルタントの方にも入っていただきながら、1年に1回全員が必ず参加する「対話会」というワークショップを愚直に重ねました。企業理念に対して何を思ってもいいから、それを1回自分の言葉に置き換えて発言してみる。深掘りするための問いを工夫しながら2回、3回と回数を重ねるなかで、「この場は何か課題に対して無理に結論を出さなくてもいいんだ」と、みんなが腹落ちしてくれた瞬間があったんです。日頃は目の前の業務に向かっているけれど、その先に何があるのかを考えることが企業理念を実践するうえで大事なんだと気づく人が増えていきました。

木工の聖地として、私たちは道具をきちんと使いこなせる人間を育てていきたい。道具だけがあっても、使う人がいなければ叡智を次の世代に伝えていけない(岡田)
——岡田さんが志と理念を明文化してから約5年が経ちますが、社内の隅々にまで理解が及んでいる手応えはありますか。
岡田:いまでは会議の席でも、社員ひとりひとりが「私たちは森と歩む会社だから、こうすべきだよね」と、自分たちの判断軸としてこの言葉を大事にしてくれています。3年に1度立てる中期経営計画でも、財務的なKPIだけでなく、「2030年までに国産材比率を30%にする」という非財務的な目標を設定しています。こうした目標は直接的には財務に好影響を与えるわけではありません。以前なら「なんでそんな目標を立てるんだ」と疑問が出たはずですが、いまでは「いや、私たちは森と歩む会社なんだからと」という声が自然に出るようになった。そうした点からも、会社の軸が着実にひとりひとりに伝わっていると感じます。
茂田:岡田さんが志として掲げる「木工の聖地」とは、具体的にどのような絵姿を指すのでしょう。
岡田:具体的にお話しするのはまだ難しい部分がありますが、まずは具体例を積み重ねていくことが大切だと考えています。高山市内にある旗艦店をさまざまな方に来ていただける場にすることもそうですし、去年10月にオープンした「遊朴館 HIDA GALLERY(*3)」もそのひとつです。遊朴館は高山市の観光の中心エリアにあるショップとギャラリーと飲食の複合施設で、インバウンドをはじめより多くの人たちの来店を見込んでいます。
——遊朴館では、カンナなどの木工道具を販売されているようですね。
岡田:このスペースで私たちが大切にしているのは、「木工文化を未来につなぐ」という姿勢を表現することです。その軸となるのが、カンナやノミ、ノコギリといった良質な木工の手道具を販売することです。私たちの工場でも多くの加工が機械化されていて、手道具は一部の工程を除けばほとんど使われなくなってきました。しかし、手道具は1000年以上にわたる木工の歴史のなかで人が改良を重ねてきた、木工に対する叡智の集積です。そうした道具を収蔵・保存することも大事ですが、木工の聖地として、私たちは道具をきちんと使いこなせる人間を育てていきたい。道具だけがあっても、使う人がいなければ叡智を次の世代に伝えていけないですから。
実際、手道具が使われなくなったことで、新潟の与板や兵庫の三木といった打ち刃物産地は衰退しています。少し前に、技能五輪で金メダルを取った弊社の若い家具職人と職人を養成する飛騨職人学舎の先生と私の3人でそうした産地を訪ねたんです。木工職人の目で見極めた刃物などの道具を仕入れ、遊朴館で販売することが目的でした。道具を選定する過程で、鍛冶職人と木工職人の間で「どうすればより良い道具をつくれるか」といったコミュニケーションが自然と生まれたんです。こうした機会が増えることが産地を守ることにつながっていくと思っています。遊朴館では職人のアドバイスを受けながら手道具を選べる、そんな生きた場所にしたいんです。さらに、いい手仕事から生まれたものを手に取り、実際に使っていただけるギャラリーや飲食スペースも含めて、木工の聖地という目標に少しでも近づいていければと考えています。

日本は本来、非財務的な価値を重んじる国だったはず(茂田)
茂田:「森と歩む」という理念に基づく取り組みなど、非財務的なKPIと企業価値の結びつきについてはどのように捉えていますか。
岡田:それはすごく本質的な問いですね。
茂田:僕自身もこの点についてはいろいろ悩んでいます。
岡田:いままで使われてこなかった森林資源を活用することや、道具をしっかり使いこなせる職人を育成していくような取り組みは、決して財務数値には表れません。しかし、事業性だけでなく、こうした非財務的な価値を同時に追求する姿勢は、これから日本でも強く求められていくでしょうし、そうした会社しかこの先残っていけないと思っています。そのうえで、人間が共同体で暮らしていく根底として「健康で幸せであること」という大前提がある。一企業としてそこにも貢献できる存在でありたいというのは、私が父から継承した経営者としての心構えです。
茂田:日本は本来、そうした非財務的な価値を重んじる国だったはずです。「ソーシャルデザインの教科書」という本で伊勢神宮の式年遷宮が究極のソーシャルデザイン事例として取り上げられているように、20年に一度社殿を新しく建て替えることで、宮大工などの伝統技術や建築の知恵を途絶えさせることなく次の世代へと引き継いできた。式年遷宮という仕組みがあるからこそ、地域の人々の仕事と生活が営まれてきたわけです。
森の生態系で見ても、樹木は20年ほど経つと炭素を固定する効率が落ちていきます。だからこそ適切なタイミングで間伐を行い、新しい木を植えて巡らせていく必要がある。本来、持続可能な事業とは、そうした自然の循環と、そこに関わる人々の豊かさが重なり合う仕組みのなかにしか存在しないはずです。
僕らもサプライチェーンを大切にし、原料商社に対して「多少高くても引き取るので、より多くの国産原料をつくってほしい」とお願いしています。短期的に見ればコストアップにつながるので、財務の観点からはネガティブな選択に映りますが、それ以上に取り組む価値があると信じています。これからの10年でこうした価値が再び見直される気がしていて、飛騨産業さんの取り組みにその先駆けとしての力強さを感じるんです。

——岡田さんにとって、人を育てる活動など非財務的な取り組みを愚直に推進する原動力は、やはり「次の100年に向けて」という想いでしょうか。
岡田:確かにそれもありますが、企業の成り立ちにも関係していると思っています。飛騨産業は100年前、もともと目立った産業のなかったこの地で、豊富にあったブナ材と飛騨の匠の歴史を活かし、未来に向けて産業をつくろうと地元の有志がお金を出し合って立ち上げた会社なんです。だからこそ「企業単体が利益を出し続ければいい」というマインドは創業時からありませんでした。むしろ、地域の人々が豊かに生活できるようにという期待値のほうが大きい。
社長に就任した際、これまで話したこともない市内の方々から「うちのじいさんが働いていた」「木材を納めていた」「ずっと飛騨産業の家具を使っている」という声をたくさんいただきました。それを聞いて、この地域に恥じない会社であり続けたいという想いがいっそう強くなったんです。それが私にとって最大の原動力であり、自社だけが利益を出せばいいという発想にならない理由でもあるんです。
——会社の成り立ちが、個人で技術を継承していくという発想ではなく、集団という単位で技術を後世につないでいくという考えにつながっているわけですね。
岡田:その通りです。もともと「飛騨の匠(*4)」は無名の集団です。個人名が際立つのではなく、飛騨の匠という言葉が残っているだけ。集団で技術を継承していくことが飛騨のアイデンティティであり、私たちが守り続けたいものでもあります。
後編 につづく(2026年11月5日公開予定)


*1_砥香(とか)
合羽橋の調理器具の老舗・釜浅商店とOSAJIがコラボレーションして生まれた砥石専用のアロマウォーター。包丁を研ぐ際に砥石へ垂らすことで、精神集中や自律神経を整える効果を狙ってつくられた。土台となる香りには、茂田が飛騨産業の高度な蒸留技術と出会うきっかけとなったヒノキやクロモジの精油が採用されている。単なるフレグランスにとどまらず、「道具と向き合い心を整える」という日本の道具文化に寄り添ったプロダクト。
*2_森と歩む
飛騨産業の根本的な思想を象徴する価値観。単に家具の材料として木を伐採するのではなく、森林資源の生かし方や地域の生態系との関わり方までを見据えた姿勢を表している。先代社長の時代から受け継がれてきたこの考え方は、スギなど未利用材の家具化、枝葉の蒸留事業や副産物の農業資材化、手道具文化の継承など、川上から川下までを巡る具体的な循環の取り組みとして結実している。価値観に込められたその思想は、2021年に岡田氏が社長就任した際、企業理念「4つの価値観」のひとつとして改めて可視化・再定義され、社員ひとりひとりが日々の判断や非財務目標の追求において立ち返る軸となっている。
*3_遊朴館 HIDA GALLERY
飛騨産業が高山市内の観光中心エリアにオープンした、ショップ・ギャラリー・飲食の複合施設。「木工文化を未来につなぐ」姿勢を体現する場であり、機械化が進む現代において、1000年以上にわたる木工の叡智が詰まったカンナやノミなどの手道具を仕入れ・販売している。道具を販売するだけでなく、それらを使いこなせる職人を育て、産地とつながる「生きた文化拠点」としての役割を担っている。
*4_飛騨の匠
飛騨地方に伝わる優れた木工技術を持つ職人たちの総称。古代より都の寺社建築などを手がけた1300年の歴史を持つが、特定の個人名ではなく「無名の集団」として技術と精神が受け継がれてきた。今回の対談のなかで岡田明子さんは、個人のカリスマ性に依存せず、集団で技術や理念を後世へ継承していく姿こそが飛騨のアイデンティティであり、飛騨産業としても守り続けていきたい核であると語っている。
Profile
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岡田明子(おかだ・あきこ)
岐阜県高山市生まれ。南山大学卒業後、大手アパレル会社に入社し、店舗運営などを経験。2011年父が社長を務めていた飛騨産業に受け継がれる「森と歩む」という思想に強く共感し、同社へ入社。21年同社代表取締役社長に就任した。社長就任後、「等身大のリーダーシップ」を胸に、2年をかけて企業理念を可視化。カリスマ依存から脱却し、社員との対話を重ねるボトムアップ型組織へ転換を果たす。100年続く匠の技と「森と歩む」思想を継承しながら、次の100年に向けた変革を推進している。
https://hidasangyo.com/ -
茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年、OSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」、22年にはOSAJI初となるレストラン「enso」をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かしたテーブルウエアブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。26年、茂田個人のプロジェクトである一棟貸しの宿泊施設「しらかば荘」を群馬県・猿ヶ京温泉に、OSAJIの複合型グローバルコンセプトストア「お匙 京都」を京都・御所南に開業。同年、日本固有の美意識をルーツとしたフレグランスブランド「soca」を発表。
著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催している。
Information
Exhibitions
■木工家・三谷龍二氏監修 企画展「森と、暮らし」
会期:2026年10月3日(土)― 11月15日(日)
会場:遊朴館 HIDA GALLERY
https://hidasangyo.com/exhibition/the-forests-hida-and-daily-life/
■DESIGN LIVE 2026
会期:2026年10月16日(金)-11月4日(水)
場所:HIDA 東京ミッドタウン店
https://www.tokyo-midtown.com/jp/event/designlive/
■DESIGNART TOKYO 2026
会期:2026年10月30日(金)-11月3日(火・祝)
会場:AUTOBAHN(旧東京高速道路・KK線)※入場チケット要購入
https://www.designart.jp/designarttokyo2026/
■JAPAN FURNITURE SHOW by IFFT 2026
会期:2026年10月31日(土)-11月3日(火・祝)
会場:東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン
https://japanfurniture.jp/jfs2026/
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撮影:小松原英介
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文:上條昌宏
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