2026-06-18
Vol.28
アートディレクター、デザイナー
木村 豊 氏
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所有する音楽、CDジャケットというアート
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「会社化」するミュージシャン、削ぎ落とされる余白
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世界の共通フォーマットに抗うフィッシュマンズと高中正義
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死なない領域の幸福論
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偶然の産物で未来をかたちに
1990年代以降の日本の音楽シーンにおいて、スピッツ、椎名林檎、スーパーカー、フィッシュマンズを筆頭に数々のCDジャケットを手がけ、時代における音楽の「手触り」をデザインしてきたアートディレクターの木村 豊さん。一方で、レコーディングエンジニアとしての出自を持ち、現在は皮膚科学のアプローチからコスメティクスブランド、OSAJIのブランドファウンダーを務める茂田正和。 初めて本格的な対話に臨むふたりが、サブスクリプションとAIの時代における「フィジカル(物質)」の価値、そして合理化を拒む表現の湿度などについて深く思考を巡らせた。

これまで所有してきた音楽のなかで、木村さんがデザインしたジャケットをいったい何枚持っていただろう、という圧倒的な原体験がある(茂田)
——おふたりが今回、ひとつの「未公開の協働プロジェクト」を起点として、こうして深く対話されるのは初めてだと伺いました。茂田さんはもともと、木村さんの仕事に強い関心を寄せていたそうですね。
茂田正和:ええ。振り返ってみると、僕がこれまで所有してきた音楽のなかで、木村さんがデザインしたジャケットをいったい何枚持っていただろう、という圧倒的な原体験があるんです。なかでもロックバンド、スーパーカー(*1)のアルバム「Futurama(フューチュラマ)」は、トランスの要素を含んだJ-POPの革新的な名盤ですが、あのインクを垂らしたようなジャケットデザインに、コンセプチュアルアートを見たときのような衝撃を受けました。
それからだいぶ時間が経ち、ふと「これを表現した人に会いたい」という衝動に駆られ、木村さんのスタジオである「Central 67」のウェブサイトから突発的にコンタクトを取ったのが約1年前です。そこで木村さんからFuturamaのジャケットデザインのボツ案がたくさん眠っているという話を聞き、「それをベースとしたエキシビションを一緒にやれたら面白いですね」という対話が始まり、今回の協働プロジェクトへつながっていきました。

木村 豊:僕のキャリアのルーツを遡ると、小中学生のときに遭遇したYMOやRCサクセションがど真ん中にあります。特にYMOのアルバムジャケットが提示したグラフィックの衝撃が、僕をこの世界に引きずり込んだ。専門学校を卒業後、ソニーのグループ会社であるソニー・ミュージックコミュニケーションズに就職しました。そこはいってみれば、ソニーの音楽に特化したデザイン部門のようなところで、レーベルごとに分かれていたデザインの垣根をなくそうとの考えでつくられた組織でした。
——数年のキャリアを経て95年に自らの事務所を立ち上げるわけですが、20代での独立は当時としては珍しかったのではないでしょうか。
木村:ソニー・ミュージックコミュニケーションズに勤めていたときに、ユニコーンの仕事をしたんです。ジャケットのデザインではなく、頼まれたのはバンドをキャラクター化するイラストの仕事でした。それが「SPRINGMAN(スプリングマン)」というアルバムのジャケットに採用されるタイミングで、「権利を売ってほしい」との話が持ち上がり、生々しい話ですが、けっこうな金額が手元に入ることになったんです。それを元手にしたら事務所を立ち上げることができると思い、独立を決めました。当時はまだパソコンがかなり高価で、入稿用に大きな紙焼き機を購入する必要もあったので、独立は容易ではありませんでしたが、運がよかったんでしょう。
——独立して最初の仕事が、その後長く関わることになるスピッツの「ハチミツ」のジャケットデザインというのは有名な話です。ボーカル兼ギターの草野(マサムネ)さんが、木村さんに依頼するきっかけとなったのが、現在茂田さんと進めているプロジェクトにも関係するフィッシュマンズ(*2)のジャケットだったと。
木村:彼らの「Neo Yankees’ Holiday(ネオ・ヤンキース・ホリディ)」というアルバムですね。デザインしたのは独立の少し前ぐらいでした。
——フィッシュマンズについてはどんな印象を持っていますか。
木村:フィッシュマンズの音楽が大きく変化したのは僕が関わらなくなってからであって、それ以前はわりと「のんびりした感じのバンドだな」という印象でした。

ジャケットデザインは、資本主義のルールから外れて、未だにミュージシャンの個人的なわがままがまかり通る数少ない領域(木村)
——木村さんのデザインは、音楽という目に見えない聴覚情報を、いかにして物質(ジャケット)という記号に定着させるかという、きわめて本質的な解読作業のように見えます。そのイメージの起点はどこにあるのでしょうか。
木村:じつは、デザインの核となるビジュアルイメージやキーコンセプトは、基本的にはミュージシャン側から上がってくることが多いんです。僕は、彼らが内包している「まだ言葉にならない、ぼんやりとしたイメージ」を受け取り、グラフィックや写真撮影のディレクションを通してピントを合わせていく。そうした作業を一気通貫で行うので、僕にとってジャケットのデザインは単純な「グラフィック制作」というよりも、完全に「監督業」に近い感覚です。
——デジタルシフトやインターネットの普及によって、音楽が物理的な「CD(プラスチックの物質)」から「データ(不可視のファイル)」へ移行していった2000年代以降、デザイナーを取り巻く状況はどう変化したとみていますか。
木村:90年代後半、ファイル共有ソフトの「Napster(ナップスター)」の台頭や違法ダウンロードの盛況、そして業界がそれに対抗しようとした「CCCD(コピーコントロールCD)」の普及運動など、流通のシステムが物理的に変容していく様を僕はデザイナーの視点からリアルタイムで観察していました。そのとき直感したのは、「この状況が極まれば、ジャケットデザインという仕事は、いずれ漆塗りの職人のようにきわめてニッチな伝統工芸のようになっていくだろう」という予感でした。
実際、90年代の音楽バブル期のように、圧倒的な制作予算を投じて「いかに視覚的なインパクトを与えるか」を競い合うような傾向は激減しました。ただ、配信の時代になってもグラフィックを制作する「量」自体は変わらない。変わったのは、ただただ予算が削ぎ落とされ、表現のスケールがシステムに最適化されていったという実態です。

茂田:音響レコーディングの現場も完全に地殻変動を起こしました。90年代末までは何千万円という予算でスタジオを長期間貸し切るのが常態化していましたが、2000年代以降、デスクトップミュージックとパーソナルスタジオの普及によって、スタジオ料金の市場価格は完全に値崩れを起こした。テクノロジーの民主化によって、表現のインフラコストが下がっていった時代でもありました。
木村:その結果として、いまの若いミュージシャンは、デザイナー側からのビジュアル提案を必ずしも必要としなくなっています。彼ら自身のなかに強固なセルフビジュアルイメージがあり、仲間内のクリエイティブ・コレクティブだけで、映像からグラフィックまで高精度なかたちのものができてしまう。
茂田:「こういうものをつくりたい」というミュージシャンの想いが強くなっている傾向は、僕も感じています。King Gnuなどはミュージシャンのマルチプレイヤー化の典型例でしょう。
木村:これは音楽業界が「精鋭化・合理化」した結果であり、裏を返せば業界全体がシステムとして完全に「成熟しきってしまった」状態です。いまやミュージシャンは一種の「独立した会社組織」であり、「こうすれば売れる、こうつくればこう機能する」というマーケティングのルールが確立されている。その結果、表現の不確定要素や余白がきれいに整理整頓されていくんです。僕は、そうした合理化されすぎた潮流からは少し距離を置いていたい。ジャケットデザインは、資本主義のルールから外れて、未だにミュージシャンの個人的なわがままがまかり通る数少ない領域だと思っています。

唯一無二のローカリティを持った表現であれば、きっかけ次第で世界にいくらでも伝播する可能性がある(木村)
——合理化やシステム化が進む現代において、近年、フィッシュマンズの旧作(90年代の音源)が海外の若いリスナーや世界的な音楽批評サイトで「歴史的傑作」として再評価されています。この世界的な現象をどう分析しますか。
木村:一言で言えば、海外のリスナーにとって、これまで世界のどこを探しても「聞いたことがない音楽」だったからでしょう。彼らのサウンドに類似する遺伝子を持ったフォーマットが、海外の音楽史に存在しなかった。彼らのスタイルに似たものは、すべてフィッシュマンズ以降の後追いでしかありません。
茂田:彼らは「ダブ(Dub)」というジャマイカ発祥のレゲエのフォーマットから出発したと言われますが、完成した響きはもはやダブではない。完全に、「偶然の産物」の積み重ねなんです。佐藤伸治さんのあの唯一無二のハイトーンボイス。そしてドラムの茂木欣一さんが、腕を交差させずに叩く「オープンハンド奏法」を選択していたこと。以前に茂木さんと対談したときにその理由を尋ねたら、「当時はドラマーの映像資料が少なくて、腕をクロスさせて叩く基本(クロスハンド)を知らなかった」と語っていましたが、その結果として、利き手ではない手でスネアを叩くことで身体の可動域が変化し、独特のタメと前のめりなリズムが生まれた。そこに柏原 譲さんのメロディアスなベースラインが結合し、さらにレコーディングエンジニアであるZAKさんが「楽器を持たないバンドメンバー」として音響空間を完全にコントロールした。この奇跡的な要素の融合が、あのサウンドをつくったのでしょう。
木村:それが結果として、世界のどこにもない強烈なオリジナリティにつながったわけですね。

茂田:昨年、フィッシュマンズのライブに足を運んだ際、有明の大きな会場の観客の約3割が、アジア圏をはじめとする海外からの若いリスナーでした。彼らの音楽には、どこか子どもの頃におばあちゃんが歌ってくれたわらべうたのような、固有の哀愁がある。僕はこの情緒こそが、「ローカリティ(土着性)」であり、国柄を表す表現の本質だと思うんです。
いま、K-POPを筆頭に、世界のクリエイティブは過剰と思えるほど「世界の共通フォーマット」に向かいつつあります。でも、タイのバンコクを訪れたときに感じたのは、彼らはその共通のシステムに自ら乗ろうとはしていないという面白さでした。90年代の日本の音楽シーンは、まさにグローバルな共通フォーマットへ収斂していく過渡期でしたが、フィッシュマンズというバンドは、その均一化していく流れに真っ向から抗い、独自の「湿度」を持ったカルチャーを成立させていた象徴的な存在だったのだと思います。
木村:ギタリストの高中正義さんが、いま海外のZ世代の間で熱狂的に支持されている現象もまったく同じ構造です。YouTubeで観る海外のライブでは、洗練されたスノッブな大人ではなく、普通の若者たちが、彼のインストゥルメンタルに狂喜乱舞している。彼らにとって、あの超絶的なテクニックとラジオの天気予報のBGMが融合したような「タカナカ・サウンド」は、ヴェイパーウェイヴ(*3)のリアルな起源であり、これまで体験したことのない未知の聴覚体験なんです。唯一無二のローカリティを持った表現であれば、きっかけ次第で世界にいくらでも伝播する可能性があると思います。

優れているとは言えないジャケットであっても、中身の音楽が圧倒的に素晴らしければ、そのジャケットすらもが「記号」として最高に美しく見えてくる(木村)
——近年のデザインやマーケティングにおいて、「中身のスペックが足りない部分を、表層のデザイン(パッケージ)で取り繕う」という考えが横行しているとの指摘があります。音楽ジャケットにおけるデザインの位置づけは、それとは異なるのでしょうか。
木村:音楽のジャケットデザインにおいて、「中身の足りなさをデザインで補う」というブランディングのロジックは、あまり機能しません。むしろ逆のケースが頻発する世界です。視覚的なデザインとしてはお世辞にも優れているとは言えないジャケットであっても、一度針を落とし、スピーカーから流れてくる中身の音楽が圧倒的に素晴らしければ、そのジャケットすらもが「記号」として最高に美しく見えてきます。音楽のパッケージにはそのような特殊な逆転現象があります。
茂田:本質的なスペックが伴っていないプロダクトを、パッケージや広告の表層デザインによって「良く見せる」ことを、現在のビジネスシーンではブランディングと呼んでいます。でも、そんなものは本質的なブランディングでも何でもない。その意味で、デザインによる延命や取り繕いを拒絶する音楽の世界は、きわめてピュアで、幸福な産業だと思います。
僕がいま行っている化粧品開発、あるいはそのベースとなる皮膚科学の領域も構造がひじょうに似ている気がします。皮膚の疾患、例えばアトピー性皮膚炎などは当事者にとって深刻でとても辛い病気ですが、医療の世界において、なぜアトピーの根本治療に向けた国家的・社会的なイノベーションが起こりにくいのか。専門医は冷徹に「死なない病気だからだ」と言います。現代のシステムは、「人間の生き死に」に直結するケアを最優先し、そうではない領域のプライオリティを後回しにする傾向が強い。
しかし、人間が幸せであるかどうかの決定権を握っているのは、じつは医療の優先度からこぼれ落ちるような、この「死なない領域」の作用なんです。皮膚がかゆくても生命は失われませんが、かゆみを抱えた日常は圧倒的に幸福ではないでしょう。音楽もまったく同じ性質を持っています。音楽がこの世界から消滅したとしても、人間は肉体的に死ぬことはない。けれど、音楽のない世界は、人間にとって決定的に幸福ではない。なくても死にはしないけれど、なければ幸福にはなれない——そんな死なない領域の本質的な価値に、僕らは魅了され続けているんです。

僕がクリエイティブの現場において最も重要視するのは、最短距離で正解を導き出す現代のマーケティング手法をいかに解体するか(茂田)
——音楽がSpotifyに代表される公共の「聴覚インフラ(水道や電気と同じ環境)」として偏在するようになった現在、私たちはどのようにして独自の表現を担保できるのでしょうか。
木村:僕自身、リスナーとしての個人的な身体感覚として、Spotifyに代表される定額制のストリーミング配信にはこれまでいっさい触れずにきました。それを必要とする必然性が自分の生活になかったからです。その代わり、コロナ禍でフィジカルな店舗にアクセスできなくなった時期に、「Bandcamp(バンドキャンプ)」というアーティストから直接デジタル音源を購入できるプラットフォームに深く没入していました。そこには、既存のグローバルな流通網には引っかからない、世界の片隅で生まれた見たことも聞いたこともない過激なトラックがわんさか眠っていた。あの未知の表現を発掘する感覚は、僕自身の創作とも深く結びついています。
茂田:僕がクリエイティブの現場において最も重要視しているのは、最短距離で正解を導き出すための「KPI」や「ペルソナ」といった現代のマーケティング手法をいかに解体するかです。
発注する側と受ける側というヒエラルキーのなかで、あらかじめ定義されたターゲットに向けてベストパフォーマンスを最適化するような手法からは、本質的なエモーションは生まれません。僕が求めているのは、異なるジャンルのクリエイター同士が対等なプラットフォームに立ち、予測不可能なエラーやノイズを許容しながら、お互いの想像を超えた「予想だにしないゴール」へと漂着するプロセスそのものなんです。大事なのは意図的なロジックを捨て、「偶然の産物」をどう積み重ねていくかです。
木村:ジャケットデザインの現場も、実際には多くの他者が介在する「伝言ゲーム」の連続です。例えばミュージシャンが「黒い角(つの)を頭に付けたい」と言い、僕が立ち会えない現場でカメラマンが撮影した結果、背景の黒と角が同化して視覚的に消失してしまう、といったエラーが起きる。最終的にフォトショップでの画像加工という対症療法でピントを合わせましたが、そういう予期せぬノイズや、スタイリストが持ってきた「解釈のズレ」を、アーティストが「あ、これ面白いじゃん」と受け入れる瞬間に、偶然の産物的表現が生まれることがあります。その意味で僕のデザインスタンスも、茂田さんの思想と近い気がします。
ところで茂田さんに聞いてみたいのですが、レコーディングエンジニアから化粧品の世界に移り、いまは化粧品会社の経営者をされているわけですが、エンジニアとして仕事をしていた当時、いちばんやりたかったことは何だったのですか。

茂田:中学の頃からサックスを吹き、高校ではDJをしていたこともあり、気づいたら音楽こそが自由に自己表現ができるメディアだと考えるようになっていました。楽器を演奏するのが得意ではなかったので、ミュージシャンをサポートし、一緒にいい楽曲をつくることに憧れたんです。ただ、音楽スタジオに就職したものの、毎日寄せられる楽曲プログラムは自分がやりたいものとは正反対のものばかりで。いつしか身体が拒否反応を示すようになり、スタジオを去りました。その後、地元の友人たちと高崎にライブハウスをつくるんですが、そこも1年足らずで潰してしまった。そこで、やりたい音楽を続けるためにはお金を持たないといけないと思い立ち、一度きっぱりと音楽から足を洗い、いずれやりたい音楽ができる資金力を身につけようと考えを変えました。その結果、化粧品や美容との出会いがあり、いまに至っています。
——音楽に対して将来どんな関わり方を理想と考えたのでしょうか。
茂田:僕の理想のなかに、中学生時代にオーチャードホールで目撃した、ジャズミュージシャンの渡辺貞夫さんのコンサートと、そのスポンサーであった資生堂の関係性があります。終演後、観客に香水のアンプル瓶が配られたあの光景。音楽の記憶と香りの記憶がひとつの体験として身体に定着する感覚が、何ともロマンチックに思えたんです。
僕は音楽から出発して化粧品メーカーの経営者になりましたが、昨年、下北沢のADRIFTで行ったイベントで香りを持って帰ってもらうという試みをしたのは、まさに当時の憧れからでした。そしていま木村さんと進めているプロジェクトもその延長にあります。
僕がやりたいのは、過去のコンテンツの単なるノスタルジーな消費ではなく、いまこの時代に「いいものはいい」と提示することで、人々の感覚に未体験の気づきを呼び起こすことです。いつか、人生最大のわがままとして、サックスの生音と打ち込み、そして信頼するラッパーを招聘した自分自身のソロアルバムを純粋につくってみたいんです。スケーターでもあるミュージシャンのトミー・ゲレロがステージに上がるなり、ハイネケンの缶ビールをプシュッと開けて、極めて緩やかで自由なインプロヴィゼーションを始めるように、僕もシステムの最適化から逃れて、偶然の産物としての未来をかたちにし続けていきたいですね。
木村:なるほど。
——木村さんの深い考えを引き出すことが今回の対談の主旨でしたが、そうなったかどうか……。
木村:さすがに1時間少々のインタビューではそれは無理ですよ(笑)。
茂田:でも、僕個人としては、お互いのクリエイティビティの根底にあるシステムへの違和感を共有できたりして、本当に楽しい時間でした。いつかまたやりましょう。ありがとうございました。

*1_スーパーカー/Futurama
1990年代後半のデビュー以降、卓越したソングライティングと実験的なサウンドで日本のロックシーンを牽引し、2005年に解散。彼らが2000年に発表した3枚目のアルバム「Futurama」は、エレクトロやトランスの要素を先駆的に導入し、J-POPの地平を切り拓いた名盤として知られる。木村 豊さんが手がけたジャケットデザインは、その先鋭的な音楽性を手触りのある物質(フィジカル)へと昇華させ、鮮烈なコンセプチュアル・アートとしての衝撃をいまなお放ち続けている。
*2_フィッシュマンズ
90年代の日本の音楽シーンにおいて、独自のサウンドを構築した伝説的バンド。彼らの代表作である「空中キャンプ」や「LONG SEASON」の誕生から今年で30周年を迎える。グローバルな効率化が進む現代において、佐藤伸治の稀有な歌声と、エンジニアらが生み出した偶然性に満ちた唯一無二のサウンドは、いまなお色褪せない。その固有の「湿度」は、近年、海外のリスナーからも熱狂的な再評価を浴びている。現在はドラマーの茂木欣一を中心に、複数のゲストボーカルを迎えたライブ活動を断続的に継続している。
*3_ヴェイパーウェイヴ
2010年代初頭にインターネット空間から誕生した音楽・アートの潮流のひとつ。その特徴は、1980〜90年代の大量消費社会を象徴する商業音楽や、初期のパソコン画面などの視覚素材をあえて粗く加工し、引き延ばす手法とされる。かつて人類が夢見た輝かしい未来像の「虚しさ」を批評的に表現した独特の世界観は、デジタル全盛の現代において、Z世代を中心に「経験したことのない郷愁」として世界的に再評価されている。
Profile
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木村 豊(きむら・ゆたか)
1967年生まれ。グラフィックデザインの専門学校を卒業後、ソニー・ミュージックコミュニケーションズを経て、1995年にデザインスタジオ「Central67」を設立。スピッツ、椎名林檎、宇多田ヒカル、スーパーカーなど、時代を決定づけた数々のアーティストのCDジャケットやビジュアルディレクションを担当。音楽という目に見えない熱狂や世界観を、手触りのある一枚の「物質(フィジカル)」へと定着させるその表現力から、日本の音楽シーンにおいて「死なない領域の幸福を司る、死んだらJ-POPが困る人」と称される。
www.central67.com -
茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年、OSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」、22年にはOSAJI初となるレストラン「enso」をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かしたテーブルウエアブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。26年、茂田個人のプロジェクトである一棟貸しの宿泊施設「しらかば荘」を群馬県・猿ヶ京温泉に、OSAJIの複合型グローバルコンセプトストア「お匙 京都」を京都・御所南に開業。同年、日本固有の美意識をルーツとしたフレグランスブランド「soca」を発表。
著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催している。
Information
FINE HALL
今年6月、 木村さんが下北沢に構える事務所スペースの一角に新たにオープンしたギャラリースペース。柿落としとなる展覧会では「ノスタルジア」をテーマにした5人の作家のグループショウを開催(会期は6 月14 日まで)。同ギャラリーでは、絵画、陶芸、立体、ドローイング作品の展示販売のほか、各作家のグッズも取り扱う。
www.finehall.gallery
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撮影:小松原英介
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文:上條昌宏
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