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茂田正和

レコーディングエンジニアとして音楽業界での仕事を経験後、2001 年より母親の肌トラブルをきっか けに化粧品開発者の道へ。皮膚科学研究者であった叔父に師事し、04 年から曽祖父が創業したメッキ加 工メーカー日東電化工業のヘルスケア事業として化粧品ブランドを手がける。肌へのやさしさを重視し た化粧品づくりを進める中、心身を良い状態に導くには五感からのアプローチが重要と実感。17 年、皮 膚科学に基づいた健やかなライフスタイルをデザインするブランド「OSAJI」を創立、現在もブランド ディレクターを務める。21 年、OSAJI として手がけたホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」 (東京・蔵前)が好評を博し、22 年には香りや食を通じて心身の調律を目指す、OSAJI、kako、レス トラン「enso」による複合ショップ(神奈川・鎌倉)をプロデュース。23 年は、日東電化工業のクラ フトマンシップを注いだテーブルウエアブランド「HEGE」を仕掛ける。24 年にはF.I.B JOURNAL とのコラボレーションアルバム「現象 hyphenated」をリリースするなど、活動の幅をひろげている。 近年は肌の健康にとって重要な栄養学の啓蒙にも力を入れており、食の指南も組み入れた著書『42 歳に なったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)や『食べる美容』(主婦と生活社)を刊行し、料理教 室やフードイベントなども開催している。

つねにクリエイティブとエコノミーの両立を目指し、「会社は、寺子屋のようなもの」を座右の銘に、 社員の個性や関わる人のヒューマニティを重視しながら美容/食/暮らし/工芸へとビジネスを展開。 文化創造としてのエモーショナルかつエデュケーショナルな仕事づくり、コンシューマーへのサービス デザインに情熱を注いでいる。

理想論とは 理想論とは

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    2026-03-26

    Vol.25

    神経美学研究者、関西大学文学部 総合人文学科 心理学専修 教授
    石津智大 氏(後編)

    • 多層的な美意識
    • 「感動の完成」を待つ脳
    • 脳も怠けたい
    • 香りはDNAの通信
    • 脳のネットワークが起動するとき

    ロンドン大学などで研鑽を積み、脳科学の視点から「美」を研究する「神経美学*」の第一人者、石津智大教授。石津教授は、MRIなどの最新技術を用い、私たちが美しいものに触れた際の報酬系や、悲哀のなかに宿る美の脳内メカニズムを鮮やかに解き明かしてきた。対するOSAJIブランドファウンダーの茂田正和は、美容のキャリアを通じ、常に「哲学的な仮説を科学で裏づける」という独自の姿勢を貫く。一見、対極に映る「主観的な美」と「客観的なエビデンス」。しかし、両者の対話はその境界線を軽やかに超え、香りに秘められたDNAの直感から、創造性の源泉である脳内ネットワーク、さらには「恋は盲目」の科学的根拠まで、知的に満ちた対話が繰り広げられた。

    前編はこちら

    異なる文化が融合し、そのなかで新たな心地よさを見出していく。その「多層性」が、これからの時代に求められる「らしさ」の本質になる(茂田)

    茂田正和:クリエイティブの現場ではしばしば「日本らしさ(オーセンティシティ)」が議論になります。でも僕は、過去に逆戻りして「本物」を探す必要はないと考えています。
     例えばベトナムの街を歩くと、その答えがある気がするんです。インドシナ本来の文化に、フランス統治時代の洋風建築が重なり、さらに華僑が持ち込んだ中華様式が混在して、いまのベトナム独自の色彩をつくっています。日本も同じように、ザビエルやペリーの来航によって「らしさ」が激しく揺さぶられ、外来文化との融合を経ていまの姿がある。異なる文化が融合し、そのなかで新たな心地よさを見出していく。その「多層性」こそが、これからの時代に求められる「らしさ」の本質になるはずです。

    石津智大:中国や革命期の欧州の国々では「王朝」や体制が変わると美意識の主流が大きく塗り替えられますが、最終的には1本の線上で連なっている印象があります。しかし、日本の美意識のあり方は、それとは決定的に異なっています。最大の特徴は、新しいメインストリームが登場しても、それ以前の感性が決して消滅しないことです。異なる時代に生まれた美の基準が、淘汰されることなく、幾重にも重なり合いながら同時代を並行して走り続けています。
     例えば、平安時代に花開いた「をかし」や「うつくし」という情緒的な肯定感は、千年以上の時を超え、現代の「カワイイ」という世界共通語のなかに驚くほど鮮やかに息づいています。中世の無常観を背景に深化した「幽玄」や、その流れを汲みつつ禅と茶の湯の中で形成された「侘寂(わびさび)」といった、朽ちていくものや静謐な余白に価値を見出す内省的な美学も、現代の建築やデザインの根底を支えています。さらにそこへ、江戸の都市文化が育んだ「粋(いき)」の精神や、近代以降に流入した西洋的な合理的プロポーション、民藝運動が提唱した「用の美」までもが加わっていく。これらは過去の遺物として標本箱に収まっているのではなく、私たちの日常のなかで、ある時は伝統芸能として、ある時は最新のプロダクトとして、互いに干渉し合いながら同時に存在しています。日本文化とは、いわば「多相的な美意識」の巨大な集積体です。平安の感性と、江戸の美学と、現代の合理性が、同じ時間軸のなかで響き合っている。この重層性こそが、日本文化のオーセンティシティをかたちづくっているもっともユニークな力だと思います。

    ——石津さんの著書「神経美学:美と芸術の脳科学」のなかに、「視えない美」「聴こえない美」というくだりがあります。そこで取り上げているのが、ロバート・ラウシェンバーグの「ホワイト・ペインティング」という真っ白なキャンバスのシリーズでした。何も書かれていないこの作品を日本人が抵抗なく受容できるのは、「間」や「余白」といったものに豊かな意味を見出せる日本人の感性と無縁ではなく、こうした点もまた日本文化のオーセンティシティなのでしょうね。

    石津:世阿弥は著作のなかで「演じきらない」ことの肝要さを説いています。演者は完璧な技術を持ちながらも、あえて表現のすべてを出しきらない。その「演じきらなかった部分」に、観客自らが想像力という花を咲かせる——。この余白や沈黙のなかに真実を見出す表現こそ、東洋文化が長年培ってきた知恵の結晶だと思います。
     もちろんこうした「無」への感性は、決して東洋だけのものではありません。ラウシェンバーグが試みたのも、あるいはジョン・ケージが「無音の音楽」を奏でたのも、そうした例です。彼らが試みたのは、表現者のエゴを削ぎ落とした先に、受け手の意識が捉える「世界の断片」を作品化することだったのではないでしょうか。この「何もないところに意味を見出す」力は、本来、人類に等しく備わった生物学的な能力のような気がしています。そうした人間の脳が本来持っている豊かな「想像の余白」を引き出す仕組みが、文化のなかに巧みに組み込まれてきたのが日本文化の面白さです。いま、その仮説を科学の視点から検証しようとしていて、被験者に脳波測定用のキャップを被ってもらい、「音が消えた瞬間の美しさ」を脳はどう捉えているのか。つまり、耳から音の入力が途絶えた空白の時間に脳が「美」をどう感じているのか。その神経活動を可視化することに取り組んでいます。それは私が日本に研究の場を移して以降、ずっとやりたいと思ってきたことでもあるのです。

    科学が美意識や文化をエビデンスで裏づけていくことは、ひとつの「正解」による均質化を招くかもしれない(茂田)

    茂田:コンサートや映画に没頭している最中、心から感動し、演奏に熱狂していながらも、どこかで「早く終わらないかな」という気持ちが同時に湧き起こることがあるんです。

    石津:興味深いですね。

    ——一般的には「この幸せな時間が少しでも長く続いてほしい」と願うのが普通です。

    茂田:もちろん、早く終わってほしいからといって、その作品が退屈なわけではありません。むしろ熱中しているからこそ、心の片隅で終焉を待っている自分がいる。自分でも不思議だったのですが、いま対話をしていて気づいたのは、私にとって「終わった後の余白」に対する期待値が、極めて高いのかもしれないということです。

    石津:終わった後に訪れる「静寂」や「整理される時間」のほうを、無意識に楽しみにしている、と。

    茂田:そうです。コンサートや映画という、巨大な情報量の波に晒され、感情が揺さぶられ続ける状態に、ある種の「疲れ」を感じる瞬間があります。その情報の奔流が止まり、訪れた余白のなかで自分自身の感情が整えられていく——。その静かなプロセスが、自分にとっての「感動の完成」という感覚がどこかにあるのかもしれません。

    石津:「音が消えた瞬間の美しさ」という話がありましたが、実は私の研究室でも興味深い実験結果が出ているんです。オーケストラ曲が鳴り終わった後の「無音の状態」の脳波を、音楽の素人と専門家(エキスパート)で比較した研究があります。

    茂田:どのような違いが出るのでしょうか?

    石津:素人の場合、音が鳴り終わった後に、余韻をアクティブに感じようとする脳活動が強まります。しかし専門家は違う。彼らは音が流れている最中から、すでに「余韻」に関係する帯域の活動が始まっているんです。つまり、音を聴きながら、すでにその「終わり」と「その後に訪れる余韻」を予期しているのです。茂田さんが言われた「感動の最中に終わりを待つ」という感覚は、まさにこのエキスパート的な「余韻への予期」が脳内で起きている証拠かもしれません。

    茂田:なるほど。脳が先行して余白を迎えにいっているわけですね。その「余白」の話にも通じますが、現代は東洋と西洋の融合がかつてないスピードで進んでいると感じます。かつては西洋医学や西洋思想が圧倒的に優勢でしたが、いまは東洋的な「根本療法」や「予防」の考え方が改めてフォーカスされています。ジョブズがiPhoneに日本の余白の思想を取り入れたように、東洋の知恵が消えるのではなく、西洋のシステムのなかにその色が濃く現れはじめている気がします。

    石津:科学という共通言語がその融合を媒介しているんですね。

    茂田:そう思います。しかし、科学はそれを「加速」させると同時に、残酷な一面も持っています。例えば、僕が取り組んでいる「美容」という領域もそうです。かつて「美容とは何か」を語る際、それは各国の文化や哲学という「仮説」のぶつかり合いでした。哲学の段階では、お互いの文化を「そんな考えもあるね」と尊重し合えた。しかし、それを科学というメスで解剖し、「こちらのほうが科学的に合理的だ」というエビデンスが示された瞬間、世界は一気にその合理的な選択肢へと雪崩を打ちます。

    石津:科学的な正解が示されることで、多様な仮説が消えていくわけですね。

    茂田:ええ。食の世界も同じです。日本食や発酵食品が長寿に寄与するというエビデンスが増えたことで、いまや世界中で日本料理屋が驚くほど増えています。エビデンスに裏づけられた「合理的な選択」は、文化を融合させる拍車になりますが、同時にそれは、各国の本当の意味での「個性」が没化していくプロセスでもある。科学が「東洋の美」を証明すればするほど、それは普遍的な「正解」となり、世界は均質化されていきます。その先に残る「真の個性」とは何なのか。それをいま、改めて問い直す必要があると感じています。

    石津:合理性という名の「正解」が、かつて豊かに存在した多様な仮説を淘汰してしまう。ある種、科学が抱える功罪です。

    ——科学信仰の負の側面とも言えるかもしれません。

    茂田:科学が美意識や文化をエビデンスで裏づけていくことは、ひとつの「正解」による均質化を招くかもしれません。しかし一方で、それは宗教闘争や思想闘争のような、これまでの人類が繰り返してきた不毛な対立を起こり難くしていくポジティブな力にもなるとも感じています。

    石津:「地球国」のような、共通の認識の上に立つ世界へと向かっていくということかもしれませんね。

    茂田:ええ。その点ではひじょうに希望を感じています。かといって、個々の文化が没化していくことが果たして「正」なのかと言われると、そこには感情的な寂しさもあります。

    脳の活動や神経伝達物質がどれほど解明されても、美は常にミステリアスであり、感動を与える対象であり続ける(石津)

    石津:私の師であるロンドン大学の教授は、85歳を超えていまも現役ですが、彼はいつも「俺の神は生物学だ」と言っています。神は信じないが、生物学は信じると。私たちはその薫陶を受け、生物学的に物事を考えます。すると、脳という「モノ」は人種や文化を超えて共通の仕組みを持っていることに突き当たるんです。

    茂田:でも、そうやって美しさを科学で解き明かそうとすると、世間から「自分の大切な感受性を説明されたくない」と拒絶されることがあるのではないですか?

    石津:おっしゃる通りです。「自分の美しさは自分だけのものだ」という言い分はよくわかります。しかし、私はDNAを例に引くんです。DNAは人間の設計図ですが、その二重螺旋の構造が解明されたところで、私たちは「人間」という存在を理解し尽くしたとは言えません。いまも私たちは、他者との接し方に悩み続けている。美も同じです。脳の活動や神経伝達物質がどれほど解明されても、美は常にミステリアスであり、感動を与える対象であり続ける。共通の仕組みがわかったところで、あなたの美への感覚は絶対に変わらない。だから「大丈夫ですよ」と。

    茂田:仕組みが解明されても、ミステリアスなものは消えない。だとしたら、そのなかでサイエンスが美を語る価値はどこにあるのでしょう。

    石津:科学は、私たちを「言葉による分節化(区切り)」から解放し、元の状態に返してくれる力があると思っています。私たちは言葉で「真実」「善性」「美しさ」と区別して世界を捉えていますが、脳の活動を見れば、これらは実は同じ根源的な仕組みで動いている。言葉になる前の、人類が共有するもっと豊かで大事な「価値」に触れ直すことができる。科学の力は、逆説的に、私たちが言葉で切り分ける前の本質的な世界を見せてくれるものなのだと信じています。

    茂田:いまの話を聞いてふと思ったのは、先ほど石津さんが話された「美を科学で証明されたくない」と拒絶する人は、実は相当に感性が豊かな方だなということです。自分の審美眼を信じているからこそ、仕組みを暴かれることを嫌う。しかし現実には、そんな確固たる審美眼を持てる人は、世の中にそう多くはありません。

    石津:自分の感性を信じきれない、ということでしょうか?

    茂田:ええ。むしろ「自分にはアートがわからない」「流行っているから良いと思うけれど、本当にこれが良いものかは確証がない」という、美に対するコンプレックスを抱えている人のほうが圧倒的に多いでしょう。自分が選ぶものに自信がないから、情報の奔流に身を委ねてしまう。でも、そのコンプレックスを解いてあげないかぎり、その人自身の本当の感動は生まれてきません。

    石津:感じてはいるけれども、それを自分自身の価値として肯定できていないのですね。

    茂田:そうです。この「理想論」という対談シリーズで共通言語のように出てくるフレーズに「ロマンチックとは偶然のなかにしかない」というものがあります。世の中には、偶然の出会いから価値を見出せる人と、そうでない人が明確にいます。偶然出会ったものに価値を見出せる人は、日頃から自分なりの感動をかき集めて、「自分は感動できるんだ」という体質をトレーニングしてきた人なんです。

    石津:「偶然」を捉えるための、感性の筋力のようなものでしょうか。

    茂田:はい。情報操作や他者との比較のなかで選ぶことがすべて悪いとは思いません。それもひとつの社会性です。しかし、あまりにもそこに寄りかかりすぎると、偶然の出会いに反応する力が弱まってしまう。科学が美の共通の仕組みを解き明かしていく一方で、私たちは「自分だけの偶然の感動」をどう守り、育てていくのか。そこが、いまの時代に最も問われている気がします。

    石津:その話は面白いし、いまのAIとの向き合い方に対する警鐘のように聞こえました。

    茂田:現代人の多くが抱える「美へのコンプレックス」を解く鍵は、意外にも脳科学にあるのかもしれません。自分の感性に自信がない人は、偶然出会ったものに心が動いても、無意識にその価値を否定してしまいます。でも、もし脳科学によって「いま、あなたの脳は明確に美しいというシグナルを発しています」と可視化されたらどうか。その人は初めて「私、これが好きなんだ」と自分自身の本心に気づけるはずです。

    石津:自分の「思い込み」の埒外にある真実を、科学で是正するということですね。その「思い込み」に関連して、いま神経科学の世界で根本原理のひとつと見なされている「予測符号化(プレディクティブ・コーディング)」という理論があります。実は、脳は体重に占める割合は小さいのに、エネルギーの約2割を消費してしまうひじょうに燃費の悪い臓器です。だから脳には「どれだけ楽をするか、怠けるか」という根本原理があるんです。

    茂田:脳は怠けたい、と。それは具体的にどういう状態を目指しているのですか?

    石津:例えば、いつも忙しく働いている「中間管理職」を想像してみてください。その人がもし怠けたいと思ったとき、どういう行動をとるのがいちばん楽だと思いますか? それは、自分が指示を出したときに、部下が自分の思っている通りのことを返してくれる状態です。部下が完璧に期待通りに動いてくれたら、それ以上何もやる必要がないから、中間管理職にとってはいちばんコスパが良くて楽ですよね。

    ——自分の想定内に世界が収まっている状態ですね。

    石津:そうです。どうやら脳もそれと同じことを目指しているらしいんです。脳は常に行動や思考の前に、内部で「予測モデル」を立てています。「眼鏡を取ろう」と思ったら手がこう動くだろう、という予測を瞬時に立てる。現実がモデル通りならいいですが、予測と世界とのフィードバックに誤差が出ると、脳はモデルを書き換えなければならず、そこで膨大なエネルギーを消費してしまいます。だから脳は、この「誤差」をゼロにする、つまり自分が思った通りのことが世界で起きる状態を目指して生きている。これが「誤差最小化」による脳の怠けの戦略です。
     でも、人間は果たしてそんなふうにだけ生きているでしょうか。本当に見たこともない美しい風景に出会ったとき、私たちの予測モデルは外れまくっているはずです。でも、その瞬間にこそ、私たちは強烈な魅力や感動を抱くんです。この、予測が外れた「驚き」や「センス・オブ・ワンダー」のなかにこそ、美があるんです。効率よく生きるための「予測符号化」だけでは説明できない脳の原理が、美と感動の軸の上には必ずあって、神経美学では、その「予測を裏切る美しさ」の正体を解き明かしたいと思っています。

    香りを理解せずに使うことは、本質的な健やかさ、つまり「美」と逆ザヤ(矛盾)になる可能性すらある(茂田)

    茂田:話が再び脱線しますが、僕が昔レコーディングエンジニアを目指して専門学校に通っていた頃のことです。そこには音楽に対してクリティカルな趣味思考を持った、耳の肥えた人たちが集まっていました。あるとき、高校を出たばかりの女子学生が「好きな音楽はB’z」と答えた途端、周囲の年上の学生たちがいっせいに批判しはじめたんです。「あんなのはエアロスミスのパクリだ」「そんなリテラシーで音楽業界を目指すのか」と。
     僕自身は当時から「B’zは好きだし、普通に聴くよ」と平然と言っていました。一流の音楽を日本に伝播させているのだとしたら、それ自体がひとつの偉業ではないかと。こうした「こういう音楽を聴く自分でありたい」というスノッブな同調圧力は、結局、自分が本来持っているはずの「感動のアンテナ」を鈍化させてしまいかねないでしょう。

    石津:そういう「スノッブな枠組み」を解体する意味で面白いのが、シェイクスピアとオタク文化の比較です。シェイクスピアはいまでこそ高尚な古典ですが、生涯で1,500以上の新語や表現を生み出した、凄まじい言語創造の天才でした。そしていま、それと同じような創造性が日本のオタクカルチャーのなかに溢れています。
     ちょうどいま「推し活の心理学」という本を書いていて、その過程で知ったのですが、「推し」が引退してしまって、自ら推し活を辞めることをオタクの人たちが何と言うか知っていますか? 彼らはそれを「他界する」と表現するんです。これには衝撃を受けました。すごい言葉だと思いませんか? 単なる離脱ではなく「他界」。対象を神のように崇めていた実感がこの二文字に凝縮されている気がするんです。僕は日本に帰国した際、「エモい」や「尊い」の言葉の意味がわかりませんでした。11年、日本を離れていた際に生まれたこうした新語は、既存の語彙では捉えきれない感情を記述しようとする切実なエネルギーを持っていて、それを創造する力がオタクカルチャーにあることを実感しました。B’zを愛でることも、オタクが「他界」するほどの情熱を注ぐことも、シェイクスピアが新語を生み出した衝動も、根源的な感動においては何ら変わりありません。私たちが科学の力で「言葉に分節化される前の価値」に立ち返ろうとするのも、まさにそうした、クリティカルな枠組みに縛られない「生の感動」を取り戻すためなのかもしれないですね。

    ——石津さんの著書では、「視る美」や「聴く美」が語られていますが、研究領域において「食べる美」はいかがですか? 単なる身体的報酬としての「美味しさ」を超え、前頭葉が司るような高次の「美」として、味覚や嗅覚からアプローチできる方法があるのかどうかを教えてください。

    石津:ひじょうに鋭い指摘ですね。脳科学の歴史において、研究は圧倒的に「視覚」、次いで「聴覚」に偏ってきました。しかし、味覚、嗅覚、触覚といった感覚には、視覚や聴覚にはない決定的な特徴があります。それは「接触」の度合いです。

    ——視覚や聴覚は、光や音を遠くから受容する「非接触」の感覚ですよね。

    石津:その通りです。対して、舌にのせる味、鼻腔に吸い込む香り、肌に触れる感触。これら3つの感覚は極めて浸食的で、生々しい肉体性を伴います。視覚や聴覚が抽象的な美だとすれば、味覚や嗅覚の美は、より原初的で生物的な「快」に根ざした、肉感的な美しさを湛えているはずなのです。実際、「美味しい」という言葉にも「美」が含まれています。「美」という漢字の成り立ちを紐解くと面白いことがわかります。これは「羊」が「大」きいと書きますよね。ある象形文字の研究者と話した際、彼はこう言いました。「これは単に『大きな羊は美味だ』という意味だけでなく、大きな羊をみんなで分かち合って食べる、その食卓のあり方自体を美しいと感じたのではないか」と。それを聞いて、なるほどと思いました。単に味が美味しいというだけでなく、誰かと並んで食べたり、かつて誰かと食べた記憶を共有していたり、その場のあり方のなかに美の要素が潜んでいる。そう考えると、味覚や嗅覚は、直接的で肉感的な感覚でありながら、実は他者と同じ場にいることを最も強く感じさせる、共感の美学なのかもしれません。食卓や香りの体験は、孤独な鑑賞を超えて、共同体としての美しさを呼び起こす。視覚や聴覚中心の神経美学から一歩踏み出し、この「香りの神経美学」を新たに始めたいと考えているところです。

    茂田:香りの神経美学は実に興味があります。

    石津:教えてください。ちょうど香りについて勉強中なので。

    茂田:そもそも香りの起源を辿れば、それは動植物のコミュニケーションツールなんです。例えば、ある木が虫に食われると、周囲の木々もいっせいに同じ毒素を出しはじめます。言葉は介さずとも、芳香成分を飛ばし、受容し合うことで情報を伝達しているんです。

    石津:植物同士が「対話」しているわけですね。

    茂田:森に入ってリラックスする「フィトンチッド」の効果も、実はこの植物同士の通信を人間が享受しているに過ぎません。それほど香りは人間の神経系や自律神経、あるいは概日リズムに深く作用しています。だからこそ、単に「いい香り」という娯楽として無邪気に扱うのは危ういんです。本来、身体に影響を与えるセンシティブなものなので。

    石津:意識的には「心地よい」と感じていても、身体への働きかけは別物である可能性があると。

    茂田:まさにそうです。例えば妊婦さんが特定の精油を避けるべきなのも、香りが女性ホルモンに直接干渉するからです。胎児を守るために停滞しているはずのホルモンバランスを、ローズ系の香りが促進してしまうことがあるんです。香りを理解せずに使うことは、本質的な健やかさ、つまり「美」と逆ザヤ(矛盾)になる可能性すらあります。

    石津:楽しみだけではない、生物としての維持装置なんですね。香りといえばマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」のなかで、紅茶に浸したマドレーヌの香りで忘れていた記憶を思い出す描写があるように、記憶との結びつきも有名ですが、それは脳の「嗅球」から記憶を司る「海馬」へ直接神経線維が伸びているからです。他の感覚器とは異なり、香りはダイレクトに記憶の貯蔵庫をノックする。だからこそ、理屈抜きで瞬時にあの時の情景が呼び覚まされるわけです。

    茂田:脳のつくり自体が、香りと記憶を直結させているんですね。

    石津:さらに面白いのが「恋愛と香りの研究」です。人間の体臭をサンプリングし、被験者に「どの香りが好きか」を選ばせる実験があるのですが、そこで人が直感的に「魅力的だ」と選んだ香りの主は、実は自分と最もDNAが離れている人物だったことがわかったのです。

    茂田:意識せずとも、より多様な遺伝子を取り込んで生存に有利な選択をしようとする本能が、香りに反応しているわけですね。

    石津:その通りです。本人は「このDNAは自分から遠いな」なんて意識していませんが、脳は潜在的なDNA情報を香りから読み取り、生存のためのシグナルとして発している。香りは、意識にのぼらない膨大な潜在情報を運ぶ力を持っているんです。

    芸術と触れ合い深く感動しているときというのは、作品そのものに感動しているのはもちろんですが、作品を介して自分自身を見つめ直している状態でもある(石津)

    ——石津さんは大手化粧品メーカーとシニア向けの美容系商品を共同開発されていますが、エイジングと老化防止と言われるようなセネッセンスをどういうふうに区分けしていますか?

    石津:3年ぐらい前に一度取り組んだのですが、やりたかったのは、「みずみずしい」とか「若々しい」、あるいは「シワのない肌」みたいなものとは違う「肌の美しさ」についての研究でした。簡単に言えば、お歳を召した人だからこそ出せる「柔和な表情」です。人には諦めや丁寧さを包含した柔らかな表情というのがあると思うんです。そのような表情は若い人にはぜったいに出ない。年齢を重ね、シワを刻んだ表情が、人に与える心理的効果だったり、そうした表情を見たときの脳の反応だったりを測定しました。
     そもそもエイジングは、生物としては必ず起きる正常な反応です。それに対して、多少抗うことには一定の価値があるでしょう。でも、SFの世界のように永遠化させることの意味が本当にあるのかは疑問です。自然にフェイディングしていく(馴染ませていく)ような美しさや人間らしさの魅力について美容業界ではまだきちん研究がなされていなかったので、そこを化粧品メーカーと一緒に解明しようと考えました。

    茂田:脳のメカニズムにおける僕の関心のひとつにDNAの「トランスポゾン」があります。生きている間にDNAの一部が組み換わる。要は人でも突然変異が起こり得る、みたいな話です。コンプレックスとの対峙や共存において重要なのは、意識や感覚、思考の変化です。やっぱり人って「変化すること」が大事なんです。一方で、「そんなことを言っても、人って簡単には変われないんだよ」と考えている人がすごく多いのも事実です。自分では変われないと思っている人に対して、変われることを科学的に立証した話は、大きな勇気を与えることになると思うんです。サイエンスが、「変わろうとする勇気」を生むことにすごく期待をしています。
     石津さんの研究が、ポジティブな変化を人に促すきっかけになっていくんだろうと思っています。トランスポゾンについても、いまはまだ何が引き金になって起こるのか、科学的に解明されていない部分が多い。だた、実際に人間のなかでそういう変化が起こっていることは最近の研究でも明らかになってきています。超究極的な感動をしたときや、強大な美のインパクトが脳にもたらされたときにトランスポゾンが起こっていたとしたら面白いなと僕は妄想しているんです。

    石津:ものすごい感動をしたときやとてつもない美しさに出会うと、脳の「内側眼窩前頭皮質(ないそくがんかぜんとうひしつ)」の活動は活発化します。しかも感動や美しさの強度が上がるにつれ、その活動も活発になっていきます。でも、本当に自分が大好きで、美しいと感動したときには、線形的に上がるのではなく、創造性の源泉と言われる「デフォルト・モード・ネットワーク」という脳のネットワーク機能が突発的に活動しはじめるんです。
     デフォルト・モード・ネットワークが面白いのは、創造性を発揮していたりするときに急に活動が活発化する一方で、誰かから名前を呼ばれたりするなど、脳のモードが「内省」から「外への集中」に切り替わった瞬間、すっと消えてしまうことです。でも、再び美しさの上限を振り切ったような大きな感動に直面すると急にまた活動が始まるんです。芸術と触れ合い深く感動しているときというのは、作品そのものに感動しているのはもちろんですが、作品を介して自分自身を見つめ直している状態でもあるんです。深い感動が自分探しの旅のようなものと結びついている。そこでトランスポゾンのようなことが起こっていたとしたら、すごく面白いですね。

    ——脳科学の視点で見ると、デフォルト・モード・ネットワークは、創造性という言葉があったようにアイデアの孵化器のような役割を果たしているのかもしれないですね。創造性と神経美学の関連性を考えたときに、デザイナーやクリエイターが新しい価値や美を生み出すプロセスにおいてどんなふうに脳内をコントロールしているかが気になります。

    石津:クリエイターという人種でいうと、ジャズミュージシャンの脳の活動を調べたことがあります。ジャズセッションを行っているときというのは、音楽的な創造性を発揮しているときです。そのときの脳の活動が面白くて、「解放」と「抑制」が同時に行われています。前者はデフォルト・モード・ネットワークのハブである内側前頭前皮質が強く活動していて、自らの衝動性をあまり抑えつけず、「つい何かやっちゃう」みたいなフローな状態を生み出します。一方で、活動が抑制されている脳部位も見つかったのです。それは、人間で最も進化していると言われる「背外側前頭前皮質(はいがいそくぜんとうぜんひしつ)」という部位です。情報を統合したり、間違いがないかといったエラーのモニタリングをしたりと、ひじょうに高度な処理を担うこの部位が抑制されていたのです。つまり、評価を気にすることなく、自らの音楽的な衝動性を自己検閲することなく自由に発揮している状態になっていると考えられます。この脳内の活動と抑制、すなわち「オン」の状態と「オフ」の状態が交互に繰り広げられるダイナミズムが、ジャズミュージシャンが即興演奏中に体験している「創造的トランス」そのものなのかもしれません。これと似たような状態が見られるのが「恋愛」です。以前に留学先のロンドン大学のラボで恋愛の初期状態にある人の脳活動を調べたんですが、やっぱりそのときも背外側前頭前皮質がシャットダウンしている兆候が見られました。だから、「恋は盲目」という表現は脳の活動からも裏づけられているんです。

    茂田:それは年齢に関係ないんですか?

    石津:年齢に関係ないです。ただし、データを取ったのは50代まででしたので、それ以上の人のことはわかりません。

    茂田:面白い話ですね。今日は楽しかったです。

    Profile

    • 石津智大(いしづ・ともひろ)

      関西大学文学部教授。神経美学、実験心理学者。ロンドン大学(UCL)生命科学部にて、美意識の脳内メカニズムを研究する「神経美学」の創始者セミール・ゼキ教授に師事。85歳を過ぎてなお現役を貫く恩師から「生物学こそが神である」と説く科学者としての矜持を学ぶ。2009年より同大学にて、脳が「美」や「愛」をどのように感受するかをMRI等を用いて解明する研究に従事し、ウィーン大学心理学部研究員、ロンドン大学生命科学部上席研究員などを経て現職。主な著書に「神経美学:美と芸術の脳科学」(共立出版)、「泣ける消費」(サンマーク出版)など。
      https://wps.itc.kansai-u.ac.jp/pan-lab/

    • 茂田正和

      音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にはOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(神奈川・鎌倉)をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催。24年11月にはF.I.B JOURNALとのコラボレーションアルバム「現象 hyphenated」をリリースするなど、活動の幅をひろげている。

    Information

    「神経美学:美と芸術の脳科学」

    2019年に出版された、神経美学の視点から芸術の本質を包括的に論じた石津さんの著書。「脳というキャンバス」に描かれる美の仕組みを鮮やかに解き明かした著作として高く評価されている。

    • 撮影:小松原英介

    • 文:上條昌宏

    • メイクアップ:後藤勇也(OSAJI)

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    ここで得たものをどう共有していくか。「理想論」2周年に寄せて|茂田正和インタビュー