
2025-08-14
Vol.20
建築家
永山祐子 氏(前編)
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「身近」を思うことが世の中を変える
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リノベーションの本質とは?
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商業施設の醍醐味といい空間の定義
近年、日本の女性建築家の活躍が目覚ましい。その筆頭として国内外で注目を集めるのが、都市のなかに噴水のように立ち上がった東急歌舞伎町タワーや、2025年の大阪・関西万博でふたつのパビリオンを手がけた永山祐子さん。持ち前のしなやかな感性と本質を見抜く洞察力で、経済的にも社会的にも持続可能な建築のあり方を追求する姿勢は、ジャンルを超えて多くの関心を集めている。そんな永山さんの活動に10年近く前から着目するOSAJIブランドファウンダーの茂田正和が、自らの型(スタイル)に固執することなく確実に成果と評価を手繰り寄せる理由など、永山さんの建築像に迫った。

身近な人のために何かをしたい。その思いが原動力となり、事が始まることが多い気がする(永山)
永山祐子:以前に茂田さんがOSAJIをつくった理由を話す記事を読ませてもらいました。「お母さまのため」というストーリーが素敵だなと。私にも息子と娘がいますが、茂田さんのように自分のために化粧品をつくってくれるなんて、母親としてさぞうれしいだろうとそのとき思いました。
身近な人のために何かをしたい。その思いが原動力となり、事が始まることが意外と多い気がします。私が建築を考えるときも似たようなところがあって、今日はそれについても話せたらと思っています。
——「身近」という言葉が出ましたが、永山さんはミクロなスケールからマクロなスケールまでさまざまな対象の間を軽やかに行き来しながら建築をつくっている印象があります。身近な存在の気持ちに寄り添いながらものづくりを行う姿勢は、ふたりの共通点かもしれないですね。
永山:私の場合、自分の子どもが使うことを想像しながら、まだ見たことのない将来像をイメージしたり、未来のユーザー像を少し広く捉えたりして建築を考えることが多いように思います。
——子どもができて以降、建築を考えるアプローチが変わったということですか?
永山:そういう面はあります。建築において近年コミュニティという言葉が頻繁に出てくるようになりました。それまで机上では理解していたつもりでも、真の大切さやありがたさに気づいたのは、子育てをするようになってからです。子育ては地域の支えや誰かのサポートがないと本当に難しい。子どもが生まれたことでコミュニティという存在がリアルなものとして自分のなかに入ってきた実感があります。

——茂田さんが永山さんのことを知ったのは、山名八幡宮(*1)のプロジェクトがきっかけだと聞きました。
茂田正和:永山さんがリニューアルプロジェクトとして関わった高崎の山名八幡宮は、僕の実家から自転車で15分ぐらいの距離にあります。小学生の頃は山名八幡宮の裏山の林道に秘密基地をつくってよく遊んでいました。
永山:錦山荘があるあたりですか?
茂田:そうです。
永山:私の祖母は高崎に住んでいて、親族が集まるときはよく錦山荘に行っていたので、山名八幡宮のあたりはすごく馴染みのある場所でした。
茂田:それは知りませんでした。で、山名八幡宮の神主の高井俊一郎さんからちょうどリニューアルが終わった頃、「地域を盛り上げるために手を貸してほしい」と相談を受け、境内の一角でお店をやることになったんです。
永山:ミコカフェ(*2)のある参集殿の1階ですね。見ました。

茂田:高井さんから誘いを受けて店を始めたことをきっかけに、本殿などの改修を手がけた永山さんの存在を僕は知るんです。大々的なリノベーションを行ったわけではないのに、本殿は以前よりも明らかに美しく、神秘的な印象を受けました。こんな仕事をする建築家はいったいどんな人なんだろうか? そのときから僕のなかで永山さんへの興味が芽生えていったんです。でも、最近までなかなか会うことが叶いませんでした。
——山名八幡宮のリニューアルプロジェクトが行われたのが2016年なので、対面が実現するまで実に10年近い歳月を要したわけですね。
永山:私は茂田さんのことをJINSの田中 仁さん(ジンズホールディングス代表取締役CEO)から聞いていました。「白井屋ホテルのアメニティをつくっているのが高崎出身の茂田さんという人なんだ」ということも含めて。多分、茂田さんの記事を読んだのはその直後ぐらいだったと思います。
茂田:僕はまだ田中さんとはリアルに会えていません。Facebookのメッセンジャー経由で、「今度、ご飯でも行きましょう」と言い合いながら、かれこれ数年が経っています。
——永山さんにキューピット役を務めてもらって……。
永山:じゃあ、今度3人で会いましょう。

建物に愛着を持つというのは、自分の言葉で建物や空間について話ができること(茂田)
——永山さんの設計はまず現地に足を運び、その土地に立って感じた「違和感」から始まると聞きました。山名八幡宮のときはどんなことを感じたのでしょう。
永山:最初に感じたのは山名八幡宮のある森がちょっと特別だということです。本殿に上がったときに、一気に空気が変わった気がしたんです。境内の下でもパン屋をオープンさせるなど素敵な取り組みをされていましたが、本殿や、当時社務所が置かれていたあたりはまだ手つかずでした。おそらく高井さんはあえて手をつけずにいて、だからこそ空気が一変するような印象を持ったんだと思います。
茂田:永山さんが言う通りで、山名八幡宮は階段を登って上にいくと気温が2度ぐらい下がりひんやりします。「何かがいる」ような感じがすごくする場所ですよね。
永山:改修をするにしてもそういう空気感は変えたくなかったんです。「戻す」と言ったら少し変かもしれないですが、新しいものをただ挿入するのではなく、「元のいい状態に戻す」にはどうしたらいいかを考えながらプランを詰めていきました。

——改修にあたり神社のほうから要望はあったのでしょうか?
永山:それまで社務所として使っていた事務スペースをお守りなどを渡す授与所にしたいという要望がありました。私としてはそこから奥にそびえる山の景色が見えたらいいなと思い、建物の壁の一部をガラスに置き換えました。お守りを受け取る瞬間も周囲の山や森の存在を感じてもらいたかったんです。
社殿に関しては、それまでいろんなお寺や神社を見てきた経験から、ある違和感を持っていました。合理的に明るさを確保しようと蛍光灯を採用し、上から下に照らすような光の空間が増えたことです。山名八幡宮も含めて神社はもともとろうそくや燭台に灯したあかりで光を確保してきた歴史があります。天井に絵が描かれているのは、そうした下から上に照らし上げる光で見るためです。でも、蛍光灯に取って代わったことで天井画が見えなくなってしまっているだけでなく、空間の奥行きの感じ方もどこかベタッとした印象になってしまった。そういう違和感を抱かせる要素を引き算の要領で取り除き、元の状態に戻して美しく見せるにはどうすればいいかを意識しました。
——白い布で空間を覆い、内部を照らす優しい光が外へと広がる光景も印象的です。
永山:神社はお寺などと比べるとどこか「庶民的」で、たまたま行商の人が持ってきた布や暖簾がそのままかかっていることも多いんです。長い時間を経るなかでそういうものが積み重なっていたので、いったんそれらをすべて外し、山名八幡宮に相応しい新しい布で空間を編集し直したいと考えました。新しい布をかけるなら子どもが生まれたときのセレブレーション感があったほうがいいと、純粋無垢な白い麻布を採用したんです。ひとつひとつのいわれを聞いていくと面白い話が多いこともあり、いい方向に編集し直せば必ずよくなると思いながら取り組みました。

茂田:僕は最近、「リノベーション」という言葉が独り歩きしている印象を抱いています。例えば古民家をリノベーションしてカフェにしようとすると、たいてい建築家は口を揃えて、「新築よりお金がかかるよ」と言う。確かに、床や壁を剥がすなど内装を全部やり替えるとそれなりの出費は避けられないでしょう。耐久性や安全性の点からもそうした支出は必要不可欠なのかもしれませんが、そうなると、資金に余裕のある人しか古民家のリノベーションはできなくなってしまう気がするんです。
僕自身も古い建物の再利用には興味があります。実際、僕が3年間鎌倉でやっていたレストランのenso(エンソウ*3)は、築100年以上の古民家を改修してオープンさせました。改修作業は工務店などにほとんど頼らず、すべて自分たちでやりました。お金をけちりたかったわけではなく、自分たちが手を動かすことで働く建物のことを深く知るきっかけになると考えたんです。
建物に愛着を持つというのは、自分の言葉で建物や空間について話ができることだと思っています。放っておけば朽ちていく。だからきちんとメンテナンスを施す必要があるということも、建物を知ることで理解できるようになります。そういうことがリノベーションの本質のように思うんです。古いものを利活用する際、現代の建築家やデザイナーが介在することで、古代の文化が教えてくれるはずのものが覆い隠されてしまうケースを僕はこれまで散々見てきました。でも、山名八幡宮の改修では、時代の経過とともに聞こえづらくなっていた創建時の声を神社が再び取り戻したように感じたんです。そういう意味でも素晴らしいリノベーションだったと思います。
永山:いちばんやりたかったことを言葉にしていただき、すごくうれしいです。

「売れる店」とは、「人が行きたいと思う店」。施設を持続させるためにも売れる店をつくることは大事(永山)
——永山さんが手がける建築は「商業系」と呼ばれるものが多い気がします。社会のムードが最も反映されやすいなど難しさもあるなかで、そうした施設の設計に関わる醍醐味をどう考えていますか?
永山:現代の商業施設はビジネスの場であると同時に文化の発信拠点という要素も備えています。そこで人が流動的にさまざまな使い方をしてくれることが面白さだと思っています。公共的な場所で本来の魅力を発揮できていないものが目立つなかで、商業施設がつくり出す公共性のほうがはるかにリアルで、人の往来も多い。そういう場所を豊かにすることはすごく重要ではないでしょうか。反面、難しいのはお金をきちんと生み出さなくてはいけないことです。でも両者は相反するものではなく、公共だろうと商業だろうと施設を維持するためにはお金の循環が不可欠です。ゆえに、建築家は「売れる店」を考える必要があるんです。
「売れる店をつくる」と言うと、建築家として不純だと考える人もいるでしょうが、私はそうは思いません。「売れる店」とは、「人が行きたいと思う店」でもあるからです。いくら素晴らしいロケーションに建っていても、売れない店は潰れてしまう。施設を持続させるためにも売れる店をつくることは大事だと考えています。
私が大学で建築を学んでいた頃は商業建築の課題は一度も出ませんでした。図書館や美術館などの公共建築をつくるのが建築家の仕事だと思われていたからです。モノを売ること自体の再定義が必要とされているいまはだいぶ状況が変わり、商業空間に求められる要素も多様になっています。そこに対して建築家として答えるべき課題があることが、私にとっては面白いんです。

——「建築家として答えるべきこと」とは、商業施設そのもののあり方を再定義するという意味ですか? それとも個別に対応しなくてはいけない事案のことを指しますか?
永山:課題としてはもちろん個々にあると思います。でも、人が集い、そこに新たなコミュニティが生まれ、日常が豊かになっていくために建築がどうあるべきかという問いは、すべての施設に共通するものでしょう。
——建築の持続性を重んじるのは、手がけた建物や施設が商業的に振るわないという理由でなくなることに対して、じくじたる思いがあるからでしょうか?
永山:そういう気持ちがないわけではありません。建築は竣工したときにひとつのゴールを迎えますが、理想的な状態に持っていくためにはある程度の時間が必要です。10年、20年を経たときに、周囲の環境も含めてどんなふうに建築の様相が変わっているか。私はその姿が見たいんです。完成した瞬間で終わってしまうと、何だか片手落ちのような気がしてなりません。変化を見届けるためにも、売れる店をつくるのは建築家の使命でしょう。
——設計の依頼が集中するのは、いま話された点も含めて成果をしっかり出し続けているからなんでしょうね。
永山:商業施設の場合、いい空間をつくると働く人の意識が変わります。ずっと言い続けていることですが、モノは店舗が売るのではなく人が売る。だから、まずは働く人のモチベーションを上げるような空間にすることが大事です。また、商品点数や見せ方についても綿密に打ち合わせをします。すると、スタッフの売り場に対する意識が変わります。でき上がった後で店舗の人たちから「売り方についてこんな工夫をしてみました」と言われると、設計者としてはすごくうれしいですね。
そういう空気が店舗に人を引き寄せるんです。見た目の印象ではなく、働く人たちの高いモチベーションが空間を輝かせ、結果的に売り上げアップや施設の存続につながっていくのだと思います。

後編 につづく(2025年8月21日公開)
*1_山名八幡宮
群馬県高崎市にある安産と子育ての神様として知られる創建800年を超える神社。地域の人々が日常的に集まる場となることを目指して2016年に大規模なリニューアルプロジェクトが行われ、永山さんは本殿や神楽殿、社務所の改修を担った。昔ながらの建物の質感を生かしながら内部はガラスの採用や灯りの演出などで雰囲気を一新。周囲に広がる厳かな森と相まってパワースポットとしても人気を集める。神社を起点とした地域再生の好例として2017年グッドデザイン賞を受賞。
https://yamana8.net
*2_ミコカフェ
山名八幡宮の参集殿の2階にある小さな子連れでも気軽に立ち寄れるキッズ・マタニティーカフェ。化学調味料を使わない、体に優しい食事を提供し、子育てに関するセミナーなども随時開催している。名称は、神道において神に仕える女性を指す「巫女(みこ)」に由来する。
*3_enso
レストラン、ショップ、調香専門店の複合型店舗として食や香りの体験を提供してきた鎌倉「enso」は、物件所有者の意向により建物の取り壊しが決定。2025年7月27日をもって3年にわたる営業を終了した。食や香りを通して心地よい体験を提供するという試みは今後、新たな場所での始動を目指すという。
Profile
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永山祐子(ながやま・ゆうこ)
1975年東京都生まれ。98年昭和女子大学生活美学科卒業。98年から2002年まで青木淳建築計画事務所に勤務した後、同年永山祐子建築設計設立。主な仕事に「LOUIS VUITTON 大丸京都店」「JINS PARK 前橋」「東急歌舞伎町タワー」2025年大阪・関西万博「パナソニックグループパビリオン『ノモの国』」などがあるほか、28年には東京駅前に「TOKYO TORCH Torch Tower」の完成が控える。20年から24年まで武蔵野美術大学客員教授を務めたほか、23年にはグッドデザイン賞審査副委員長に就任し、現在に至る。
近著に『建築というきっかけ』(集英社)、『建築から物語を紡ぐ』(グラフィック社)がある。 -
茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にはOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(神奈川・鎌倉)をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催。24年11月にはF.I.B JOURNALとのコラボレーションアルバム「現象 hyphenated」をリリースするなど、活動の幅をひろげている。
Information
永山祐子建築設計
建築家の永山祐子氏が主宰する建築設計事務所。2002年に設立し、住宅から商業施設、美術館、都市計画まで幅広い分野のプロジェクトを手掛ける。
https://www.yukonagayama.co.jp/
2020年ドバイ国際博覧会 日本館
博覧会のテーマである「Connecting Minds, Creating the Future(心をつなぎ、未来をつくる)」を受けて設計された。その特徴は日本と中東の文化の交わりを表現したというファサードで、日本の麻の葉文様とアラベスクを組み合わせたようなデザインになっている。日本の折形礼法から発祥した折り紙からインスピレーションを得た立体的な外観が多くの来場者を迎え入れた。
2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博) ウーマンズ パビリオン
正式名称は「ウーマンズ パビリオン in collaboration with Cartier」。女性をテーマとしたジェンダー平等についてすべての人々が考えるきっかけをつくることを目的としたパビリオンとしてドバイ万博から引き続き出展。2フロア構成となっており、1階ではある女性3人の視点に没入体験できる展示などが展開され、2階には「WA」スペースと呼ばれる対談やパネルディスカッション、講演会などのための場を設置した。真っ白な立体的格子が組み合わさってできた印象的なファサードは、永山さん自身が手がけたドバイ万博日本館のファサードをリユースしている。
「建築から物語を紡ぐ」
2025年5月にグラフィック社より刊行された永山さんの初の作品集。デビュー作の「LOUIS VUITTON 大丸京都店」から、大阪・関西万博のふたつのパビリオン、さらに進行中の「TOKYO TORCH Torch Tower」まで、多彩なプロジェクトの数々を一堂に紹介。発想の源や設計プロセスにおけるエピソードなどを含め、24年間の建築家としての歩みを網羅する。巻末には建築史家の五十嵐太郎氏による寄稿文を収録。
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写真:小松原英介
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文:上條昌宏
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