
2025-05-22
Vol.17
写真家
蓮井幹生 氏(後編)
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お吸い物をすするように暮らす
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フラットで静寂な世界を芯に
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オリジナリティを目指すこと、愛すること
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人が中心か、機械が中心か
2024年1月に石川県能登地方を襲った震度7強の地震。その被害は多くの人命や家屋の倒壊のみならず、同地でつくられた多数の貴重な文化財などにも及んだ。破損した器物を金継ぎという技術を使って修復したり、新たな造形物につくり替えたりする動きが広がったなか、壊れた姿が美しいと「現象」そのものにレンズを向け、“ありのまま”の記録に挑んだのが今回のゲストである写真家の蓮井幹生さんだ。
自然と人間の拮抗関係を映し出す、静かでいて緊張感を漂わせる一連の写真作品はどのようにして生まれたのか。OSAJIブランドファウンダーの茂田正和が長野県茅野市にある蓮井さんのアトリエを訪ね、作品制作に至った経緯や、「朽ちゆく果てにも美は宿る」という展覧会タイトルに込めた思いなどについて聞いた。
前編はこちら

若い人たちにも美というものをもっと本気で学んでほしい(蓮井)
蓮井幹生:最近自分の人生が大きく変わりそうな出来事がありました。茅野という場所を完全に自分の陣地にするつもりだったんですが、たまたまある不動産屋から鎌倉の物件情報が流れてきて、冷やかし半分で見学に行ったら、一瞬で「自分が求めていたのはここだ!」と感じ、購入してしまったんです。
その物件は吉村順三らに師事した日本建築の第一人者である吉田桂二の建築で、玄関をくぐるとすぐに茶室があり、畳の匂いが漂ってきました。快適性でいったら、冷暖房や防犯設備が整い、大音量で音楽が聴ける茅野のほうが優れています。けれども、畳を照らす光や障子から入り込む柔らかな光など、美しさでいえば鎌倉の物件のほうが圧倒的です。その美しい空間で、僕は残りの人生を美しく過ごしたい。大好きなジャズを優れた音響空間で聴くよりも、いまは音のない暮らしがいいなと思いはじめています。
——「水の循環」シリーズなど、ここ数年ミニマムな作品づくりに取り組んできた蓮井さんが、自身の暮らしもミニマムにこだわりたいと思うのはある意味当然なのかもしれないですね。
蓮井:家を買ったというよりも、建築家の吉田桂二がつくったミニマムなアート作品を購入したという感じす。その作品と過ごす時間を、お吸い物をすするようにじっくりと味わいたい。身体を揺らさず、すり足で移動する能の世界の歩き方を真似るように。そういう感覚を自分のなかに取り込んでいきたいと思っています。

茂田正和:先ほどガレージでヴィンテージのロータス エランを見させてもらいました。蓮井さんにとってドライブという行為はどういう時間ですか?
蓮井:道を走ることをシンプルに楽しんでいる感じです。路面から伝わってくる情報に全神経を集中し、無駄なく走ることが僕にとって運転のいちばんの醍醐味です。
——どんなときに運転をしたいという衝動に駆られますか?
蓮井:音楽を聴きたいと思うのと同じで、その時々によります。鎌倉に買った家に最低限の家具だけを運んでミニマムに暮らせるかといえばそうじゃない。クルマもオーディオもいらない無の生活というのは考えられない。生活にはコントラストが大事で、それがあることで暮らしが輝いてくるんです。
ただし、これからの生活の中心に何を置くかと聞かれたら、「静寂」がいいと思っています。生活だけでなく、作品づくりにおいても同様で、静かで存在感のある写真を撮っていきたい。きれいなものではなくてね。6月に東京の青山で「十七の海の肖像」という個展を行いますが、そこで発表するシースケープ(海景)の写真はまさにそれを表すものです。

——「十七の海」の基準はなんですか?
蓮井:敦賀、柏崎、浜岡、泊、女川など原発施設のある海です。施設のそばにカメラを置き、そこからシースケープを撮影しました。撮りたかったのは決定的な瞬間でもなんでもなく、その場に行けばいつでも見られる海の景色です。
原発施設があろうとなかろうと、海という存在はものすごく美しいんです。でも、そこに原発があることで、災害が起きたときには一瞬にして「死の海」と化す危険性があります。地球規模で見れば死の海は点でしかないですが、近隣で暮らす人、その海で獲れた魚を食べる人、運ばれた空気を吸う人は確実に放射能に汚染されます。そんなリスクを冒してまで、なぜ僕らは何十基もの原発をつくるのか。それは電気によって豊かな生活をしたいからですよね。夜が明るいのも、夏が涼しいのも原発によってつくられる電気のおかげです。電気のない生活なんて考えられない。でも、便利さや快適さを追求していくと、結局は自然を汚すことになるんです。ある意味、それは仕方のないことかもしれません。でも、超えてはいけない一線がある気がしていて。その境界線について僕らはもっと考えたほうがいい気がするんです。おいしい魚や山のきのこが食べられるのは自然が正常な状態にあるからであって、その恩恵を簡単に壊してしまっていいのか。次の世代がおいしい魚を食べられなくなるようなことをしていいのか。6月の個展には、そういうことを少しでも意識しようという思いも込めています。

——原発反対を訴える意図はあるのでしょうか?
蓮井:そういう考えはないです。現に原発があることで生活が成り立っている人もたくさんいるので。写真を撮っていたときに何度も「あんた、原発反対派?」と聞かれました。「反対だけれども……」と言うと急に態度が冷たくなるんです。「事故があったら怖いよね。実際福島でもあったし」と尋ねると、「ここは大丈夫だよ」と地元の人たちは言うんです。原発施設の有無に切り込んでいくと、なぜこんなにたくさんの原発をつくる必要があったのか、地元の人たちへの保証も含めお金がどう動いたのか、みたいな政治的な話にどうしてもなってくる。僕がしたいのはそういうことではないんです。生活の価値観や楽しさを見つめ直してみてはどうか、情報も含めて何でも手に入ることが本当に幸せなのか。もっと言えば、生活を通じて美を感じようよということを伝えたいんです。
いまの若い人たちはもしかしたらボーカロイドに美を感じているかもしれない。でも、本当に美しいと思っているの? 美しいんじゃなくて楽しいだけじゃないの? きっとそんな気がしています。それをなしにしろとは言いませんが、若い人たちにも美というものをもっと本気で学んでほしいと思っています。

地域固有のDNAがインプットとアウトプットをつなぐ消化管のなかで絡んだときに、初めて他とは違うものが出てくる(茂田)
——最近は日本人よりも海外の人たちが日本の美に着目するケースが増えているように感じます。日本の美意識や美に対する価値観が世界に広がることに対して、蓮井さんはどんな思いを抱いていますか?
蓮井:最近日本でもヨガをやっている人が多いですよね。健康維持のためにはなるかもしれないですが、瞑想を深めたり、自己意識を集中したりといった本来の目的とは違うかたちで普及しているように思います。海外の人たちが日本の美を取り入れようとするのもそれに近いんじゃないでしょうか。珍しいし、何か良さそうだから取り入れてみるみたいな。でも、本質的という意味では、日本の美は日本人でないと理解できないし、表現できないと思っています。
国ごとの文化はもっと独立しているべきです。自国の文化の独立性を強めたほうがいい。だから、僕は日本の美を世界の人たちに理解してもらいたいとは思っていませんし、真似してほしいとも思いません。

茂田:昨年訪れたミラノサローネで、「陰翳礼讃」や「わびさび」といった日本の美意識に着想を得た海外のインテリアブランドによるコンセプチュアルな展示を見たときに、知識や理論だけで日本の美を語るのがすごく難しくなってきているという印象を持ちました。
情報取得という点からしたら、現在は世界中が共通のプラットフォーム上にいます。離島にいても大国にいるのと同じ情報が簡単に入手できる。そうしたなかで、インプットを経てアウトプットされるものに違いが出るとしたら、地域に根差した伝統や文化しかないような気がするんです。地域固有のDNAがインプットとアウトプットをつなぐ消化管のなかで絡んだときに、初めて他とは違うものが出てくる。はなから日本っぽいものをつくろうとする行為は、逆にピュアじゃないような気がします。

蓮井:日本の美意識の核にあるミニマムが何かと言えば、僕はあらゆる物事をフラットに見ることだと思っています。必要以上に興奮したり喜んだりするのではなく、感情に波風を立てず、総じて物事を広い視野で見る。そうやって必要なものを見抜き、選んだもの同士を組み合わせていく。そういう一種のデザインワークが重要な気がします。そのときに自分の芯となるものが大事で、それがフラットで静寂な世界だと思っています。派手派手しいものは好きじゃないんです。
——その感覚は以前からですか?
蓮井:どうだったんだろう、覚えてないですね。自分の過去にはもうあまり興味がなくて、興味が湧くのは今日か明日のことぐらい。過去や先のことはあまり気にせず、とにかくいまを丁寧に生きたいんです。
茂田:モノ選びについてもそういう感覚ですか?
蓮井:丁寧に扱い、長く愛せるかどうかを基準に選んでいます。
茂田:僕はいま46歳ですが、最近ようやくその感覚が少しわかるようになった気がして、たまらなく嬉しいんです。

オリジナリティの追求も愛し方も大事なのは人と比較しないこと(蓮井)
蓮井:あと20年したら、茂田さんはすごいところにたどり着けそうですね。僕が46歳のときは、仕事に夢中で世の中が何も見えていなかった気がします。広告業界で絶対にトップフォトグラファーになってやるという思いで、ものすごい量の仕事をこなしていました。いまにして思えば、何であんな仕事の仕方をしたんだろうと思うばかりです。
茂田:地位や名声がものすごくエネルギーを持っていた時代だったような気がします。
蓮井:確かにそうかもしれません。ただ、僕がトップフォトグラファーを目指したのは、地位や名声を得たかったからではなく、オリジナリティがほしかったからです。他に類を見ないスタイルを持つという。
30代でアートディレクターを辞め、フォトグラファーに転身してからの10年間は極貧でした。仕事もなく、15万円で買ったフィアット・パンダで寝泊まりをしていたんです。着るものもスーパーのダイエーで買ったジャージが3枚とデニムが2本という感じで。いつもそんな格好だったので、2人目のかみさんとデートをしたときに、「蓮井さんってジャージの上下しか持ってないの?」とよく聞かれました(笑)。


そんなときに仕事がもらえるとものすごく嬉しかったですね。そのときの嬉しさはいまでも忘れられません。仕事の依頼が来ると断らないのは、当時の経験があったからです。ギャラが高かろうが安かろうが絶対に断らない。そして、僕に声をかけてくれた以上は120%の力で応えたいと思っています。「蓮井さんがそんなに安い値段で仕事を受けてしまったら、俺たちはいくらでやればいいんですか?」と、たまに他のカメラマンから怒られたりしますが(笑)。
2度の結婚と離婚で3人の子どもたちにもたくさん辛い思いをさせたけれど、いまでも普通に元家族としての付き合いが続いています。彼らがわがまま放題に生きてきた僕をそれでも愛してくれたから、いまもこうやって生きていられるんだと思うんです。最後に人間に残るのはやっぱり愛しかない。そのためには、愛されるばかりではダメで、自分もちゃんと相手を愛さないといけない。その大切さに気づくのに70年もかかるのですから、人間というのは愚かですね。
茂田:唯一無二のオリジナリティを目指すことと人を愛することというのはある意味で相反する行為のような気がするのですが、どうやって両立させてきたのでしょうか?
蓮井:オリジナリティの追求も愛し方も大事なのは人と比較しないことでしょう。「自分の愛し方は自分だけにしかできない」と思うこと。その前提になるのは、相手に対する感謝の気持ちです。本気で「ありがとう」と思えるかどうかが僕にとっての愛の基準です。
茂田:他者と比較しないという話を聞いて、「なるほど」と思いました。オリジナリティを追求しようとするとどうしても利己的にならざるを得ないというのをこれまでいろんなアーティストを見てきて感じていました。そして、そこでは必ず愛が犠牲になってしまうケースが多かったんです。

蓮井:人からどう見えるかという表現や形の世界に入るとどうしても利己的になります。でも唯一無二のいちばん大事な点は、自分が本心から「美しい」とか「好き」だと思えるかです。人と比較しないというのは、そういう意味も含んでいます。写真の場合、使っている道具はほぼ同じです。機材メーカーが違っていたとしても、写すという行為においては何も変わりません。
——では、「作風」というかたちで作家ごとに違いが出てくるのはなぜでしょうか?
蓮井:自分自身と向き合う時間や、向き合い方だと思います。そういうのが“自分らしさ”というかたちで不思議と作品に滲み出てくるんです。僕の写真を見た人たちが写真を通して「こういう生き方をした人なんだな、こういう美学を持っていた人なんだな」と感じてくれたら、自分も人並みの人生を歩めたと思えるでしょうね。
そういう意味で、自分の人生があとこれくらいと知れることは大事でしょう。ジムに通いはじめて「あと10年はぜんぜん行ける」と言ってきましたが、交響曲に例えたら第四楽章に差し掛かっているのは間違いない。だから、自分のなかではそろそろいろんなことを我慢する時期に入ったと思っています。わがまま放題で生きてきて、自分がほしいものは全部手に入れ、やりたいことはすべてやってきた。でもこれからはあれもこれも我慢し、最後にどうしても我慢できないものを見つけられたらいいなと思っています。ひたすら我慢しまくり、「これだけは我慢できない!」というものを見つけられたら、それこそが本物でしょうね。

日本はミニマムな価値観が標準だったので、逆にマキシマムなものに憧れたんでしょう(茂田)
茂田:蓮井さんは仕事柄いろんなカメラを使われると思いますが、この分野はフジフイルム、シグマ、ニコン、キヤノンと日本勢が世界的に見ても高い競争力を維持しています。そうした状況が形成されている理由を蓮井さんはどう見ていますか?
蓮井:日本人はやっぱり勤勉で、勉強熱心なんでしょう。僕はソニー製のカメラも使っているけれども、よくできていると感心させられます。でもいちばん活用しているのは、ハッセルブラッドとライカです。同業のカメラマンからよく「なぜ蓮井さんはハッセルやライカといった高額のカメラを使っているんですか? どれも同じじゃないですか」と質問されます。確かにそうかもしれない。でもやっぱりこれらのカメラはかっこいいんです。写真の本質を熟知し、つくり方を頑なに守っているところが何ともかっこよく映るんです。

日本のカメラは裏側を見ると操作系だらけです。いろんな機能を盛り込むためメニューの階層もすごく深い。ハッセルのデジタルカメラにあるのは基本設定など撮影に最低限必要な調整項目だけで、モニターの画像をモノクロ変換するような機能もないんです。日本のカメラだと何種類ものモード変換ができたりするけれど、そういう機能って僕には不要なんです。ハッセルやライカもそうした機能を搭載しようと思えばいくらでもできるでしょう。でも、彼らは決してやらない。なぜなら、写真はカメラではなく、撮る人の脳内でつくるものだと理解しているからです。フィルムの時代は、どんな写真が撮れているかはカメラマンしか知る由がなかったし、現像するまで色やトーンはわからなかった。現像して初めて「すごくいい写真が撮れているじゃん!」と思うのが当たり前だったんです。いまはどんなにいいイメージで被写体と向き合ったとしても、撮った瞬間に画像が見えてしまうので、その時点で自分のイメージが上書きされてしまう。脳内に浮かんだ構図をそのまま現像することができないんです。海外メーカーはそのことをよく熟知しています。クルマにも言えるけれど、日本メーカーはつくり方は輸入できたけれど、「使い方」という文化までは輸入できなかったと僕は考えています。

茂田:ライカもデジタルカメラのラインナップにモニターのない機種をきちんと用意しています。
蓮井:その通りです。モニターが付いていたとしても、画像のプロファイルなどは3種類くらいしか選べません。写真を撮ることの喜びを人の脳に委ねているのが海外メーカーであるのに対し、日本メーカーはカメラという機械を使いこなすことに重きを置いている傾向がありますね。
——それが文化をつくり出せるか出せないかの違いとして現れるわけですね。
蓮井:そうです。でも、日本のカメラがつくる写真にもすごい点があって、その部分はリスペクトしています。だからこそ、お願いだからこれ以上複雑にしないでほしいんです。写真って本来シンプルなものだし、簡単なものです。いろんなことにこだわろうとするあまり、本質が抜け落ちてしまっているとしたら残念です。
茂田:日本はミニマムな価値観が標準だったから、逆にマキシマムなものに憧れたんでしょうね。カメラにしてもクルマにしても家電にしても、DNAに抗おうとした結果がいまのような気がします。
蓮井:ある種の反動でしょう。
茂田:海外はもともとがマキシマムな世界だったので、それをどう削ぎ落としていくかという考えが逆に発展したように思います。
蓮井:いまとなってはハッセルやライカのほうがよほど日本的です。日本メーカーで唯一、ミニマムでないといけないなと思ってカメラづくりをしているのがシグマでしょう。
茂田:欧米のミニマム志向と日本のマキシマム志向がちょうどクロスオーバーしかかっているのがいまなのかもしれないですね。今日は貴重なお話をしていただきありがとうございました。
蓮井:こんな話で大丈夫でしたか(笑)。

Profile
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蓮井幹生
1955年東京都生まれ。1984年から独学で写真を始め、88年の個展を機にアートディレクターから写真家へ転向する。新潮社の雑誌『03』はじめ著名人のポートレイト作品で注目を集める。90年代から撮影が続く「PEACE LAND」は作家の世界観の中核を成す作品群であり、作品集の出版を通して継続的な発表が行われ、2009年にフランス国立図書館へ収蔵される。2000年頃からは動画にも活動の幅を広げ、演出や撮影、編集などを手がけたPVやCMの作品も多い。主な受賞歴に「Spikes Asia」Silver Spike(17年)、「APAアワード2019」美しい日本賞、「第67回日経広告賞」最優秀賞など。現在は、長野県茅野市で写真館「森の隣りの写真室」を運営し、東京との2拠点で作家活動を行う。自身の経験を活かした講義や子どもを対象とした写真のワークショップにも力を入れている。
https://mikiohasui.com -
茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にはOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(神奈川・鎌倉)をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催。24年11月にはF.I.B JOURNALとのコラボレーションアルバム「現象 hyphenated」をリリースするなど、活動の幅をひろげている。
Information
写真展開催情報
蓮井幹生+錦山窯コラボ展 「朽ちゆく果てにも美は宿る」
能登半島地震で割れたり欠けたりしてしまった九谷焼の窯元、錦山窯の国宝級の器物を蓮井幹生さんが撮影した写真展。撮り下ろされた17点の作品の売上の一部は復興支援に充てられた。2025年1月から2月にかけてYUGEN Gallery TOKYOで開催された後、3月に福岡のYUGEN Gallery FUKUOKAに巡回、5月17日から31日まで石川県小松の「嘸旦 MUTAN」に巡回する。
蓮井幹生写真展「十七の海の肖像」
2025年6月7日から23日までYUGEN Gallery TOKYOにて開催される蓮井幹生さんの個展。敦賀、柏崎、浜岡、泊、女川など原発施設のある海の風景を撮り下ろした。作品には、便利さや快適さを追求していくなかで、超えてはいけない境界線の存在に注意を払ってほしいという思いが込められている。
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写真:小松原英介
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文:上條昌宏
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