
2025-05-15
Vol.17
写真家
蓮井幹生 氏(前編)
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壊れているほうが美しい
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最後に残るもの
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ありのままを記録する
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広がる、無常観への共感
2024年1月に石川県能登地方を襲った震度7強の地震。その被害は多くの人命や家屋の倒壊のみならず、同地でつくられた多数の貴重な文化財などにも及んだ。破損した器物を金継ぎという技術を使って修復したり、新たな造形物につくり替えたりする動きが広がったなか、壊れた姿が美しいと「現象」そのものにレンズを向け、“ありのまま”の記録に挑んだのが今回のゲストである写真家の蓮井幹生さんだ。
自然と人間の拮抗関係を映し出す、静かでいて緊張感を漂わせる一連の写真作品はどのようにして生まれたのか。OSAJIブランドファウンダーの茂田正和が長野県茅野市にある蓮井さんのアトリエを訪ね、作品制作に至った経緯や、「朽ちゆく果てにも美は宿る」という展覧会タイトルに込めた思いなどについて聞いた。

僕は壊れた器物に「現象」としての美しさを感じたんです(蓮井)
——蓮井さんが茂田さんと会われるのは今日で何回目でしょうか?
蓮井幹生:最初にお会いしたのは石川の錦山窯(*1)じゃなかったかな。その後、鎌倉で会い、この前は僕の個展に来ていただいたので、今日で4回目です。
——個展というのは、能登半島地震で割れたり欠けたりしてしまった錦山窯の器物を撮影した「朽ちゆく果てにも美は宿る」と題した展覧会ですね。
蓮井:そうです。
——5月には小松での巡回展が予定されていますが、なぜ震災で破損した器物の写真を撮ろうと思ったのでしょうか?
蓮井:長いスパンの話になりますが、ことの発端は14年前の東日本大震災に遡ります。当時僕は、被災地の支援活動に奔走しました。広告業界の知り合いに声をかけて下着類などの必需品をかき集め、クルマの荷台に詰め込んで被災した人たちに届けたり、生活が少し落ち着いた頃には避難所へ行き、現地の人たちの笑顔を撮って、その場でポストカードにして差し上げるようなこともしました。ワールドカップで優勝したなでしこジャパンの選手たちを引き連れて子ども向けのワークショップもやりました。
被災地の支援活動を通して強く感じたのは、命や文明が一瞬にして失われる儚さに直面しながらも、笑顔を絶やさず元気に生きようとする人間の姿の美しさでした。その光景が僕の心にずっと焼き付いていたんです。だから、能登で大きな地震があったと聞いて、4、5年前から付き合いがあった錦山窯の吉田幸央さんに現地の状況を伺おうとすぐに電話をかけたんです。
とはいえ、最初は「小松だから被害はたいしたことはないだろう」と軽く思っていました。吉田さんからは「うちもまちも大丈夫です」と聞かされました。ただ、「先代の作品なんかが相当割れてしまって」と言うので、「どうするんですか?」と尋ねたんです。すると吉田さんは「いろんなところから修復に関する申し出や提案があるけれども、単純に元に戻ればいいということでもないし、途方に暮れています」と。それを聞いて思わず「僕に写真を撮らせてもらえないですか?」と口走ってしまったんです。

——吉田さんの反応はいかがでしたか?
蓮井:僕が動機を話す前に、「それだ! やりましょう」と言ってくれました。そして、壊れた器物のいっさいを僕に預けてくれました。電話で話しながら、僕のなかにはおぼろげなイメージがありましたが、実際にファインダーで覗いてみると、イメージよりもはるかに美しかった。吉田さんたちには失礼だけれども、「壊れているほうが美しくない?」と思えるほど。もちろん商品や作品として見たときには破損していないほうが美しいに決まっています。ただ、僕は壊れた器物に「現象」としての美しさを感じたんです。
物というのはどんなものでも壊れるし、破壊されます。でも、本物というのは破壊されてもなお、つくり手の情熱やエネルギーが作品に宿るんです。錦山窯の破損した器物はどれも、あたかも初めから壊れた姿で生まれてきたかのような存在感を放っていました。それらを被写体として撮影していくなかで突如ひらめいたのが、「朽ちゆく果てにも美は宿る」という展覧会のタイトルでした。

「人は生まれた瞬間からさまざまなものを失う道をたどり、最後に残るものは愛だ」という蓮井さんの言葉がすごく心に響いた(茂田)
——撮影をする過程で復興支援という思いはあったのでしょうか?
蓮井:そういう思いはまったくなかったです。ただ、作品となれば売れるので、売れたら支援をしたほうがいいだろうとは考えました。作品を購入した人も支援に参加したという意識を持てますから。それでYUGEN Galleryの林田洋明さんに、「復興支援にしませんか?」と提案したんです。林田さんはすぐに賛同してくれて、会場に募金箱を置くことを快諾してくれました。心づけ程度の金額が集まればと思っていましたが、結果的に予想を超える支援金が集まりました。僕も作品売上の30%を能登に寄付させてもらう予定です。
——人が意図しない自然の理不尽さによって生じた器物の破損が、結果として何ともいえない美しさを放っていたということですが、これを、器をつくった人と自然とのコラボレーションと例えることはできますか?
蓮井:それは違うでしょう。コラボレーションというのはやっぱり目的ありきです。こういうものを生み出したい、やりたいという共通の目的が互いにあって初めてスタートする。今回のケースは最初から結論があったわけではなく、あくまで偶然の産物です。あえてコラボレーションという言葉を使うなら、“僕と錦山窯のコラボ”でしょう。

——茂田さんは蓮井さんが撮られた写真を展覧会の会場で見られていますが、どんな印象を受けましたか?
茂田正和:ギャラリーに掲示されていた文章や鎌倉のensoでお目にかかったときも伺いましたが、「人は生まれた瞬間からさまざまなものを失う道をたどり、最後に残るものは愛だ」という蓮井さんの言葉がすごく心に響いたんです。そこがいちばん強く印象に残っています。なので、今日はまずこの言葉に込めた思いをお聞きしたいと思って来ました。
蓮井:実は昨年の夏にコロナで体調を崩し、病院で精密検査を受けました。そうしたらCOPD(慢性閉塞性肺疾患)と診断されたんです。COPD? 聞いたことがないなと思って尋ねたら、肺胞が潰れて酸素の取り入れがしづらくなる病気だと説明を受けました。しかも進行性の病気なので薬では治らないと。先生からは「基本、老化の症状だと思ったほうがいいですよ」と言われたんですが、僕としては老化するにはまだ早すぎるという思いがあったし、最低でもあと10年、80歳までは生きたかったので、養生しながら身体を鍛えようとジムに通いはじめたんです。
ジムでは主に有酸素運動をしていますが、身体の調子が日に日に良くなり、すごく楽になりました。でも、そこで思ったんです。人間は誰しもがいずれ死ぬ。死なない人がいたなら「自分だけなぜ?」と不幸を呪うかもしれないけれど、そんなことはない。みんな平等に死んでいき、必ず無になる。そんなことを考えながら壊れた錦山窯の器物を見た瞬間、自分はまさにこの器のような状態だと思えたんです。金継ぎをしたり、壊れたパーツを現場からかき集めて継ぎ合わせて直したとしても、器は決して元に戻らない。人間も同じです。じゃあ、そこに何が残るかを考えたときに、ふと思ったのが「人を愛すること、愛されること」なんじゃないか。それしかないと気づいたんです。

ものの存在を受け入れること、その存在のすべてをよしとする覚悟を持つこと——それが美(蓮井)
蓮井:錦山窯の器物を撮影していたときに、壊れた器に花を生けてみました。理由は、震災でまちが崩壊しても必ずまたそこに新たな命が芽吹くことを象徴的に伝えたいと考えたからです。花を生けてみると確かに写真としてすごくきれいでした。でも、何かが余計に思えたんです。取って付けたような甘さが見えて、潔さが失われてしまった。やっぱり、割れたまんま、ありのままの姿を受け入れることがいい写真なんじゃないかとそこで改めて感じました。
長年広告写真家をやってきたのでわかるんですが、写真はうまく撮ろうと思えばいくらできてしまう。でも、本来写真というのはそこにある光をありのまま記録することです。ありのままの姿を記録するという写真の本質は、フィルムだろうがデジタルだろうが変わらないんです。だとしたら、花を生けたり、余計なライティングをするよりも、黒い背景の前に割れた器物をボンと置き、その存在感をただ受け入れるほうがいいだろうと思い、今回のような写真になりました。
作品の価値や存在意義を突き詰めると、行き着く先はやっぱり禅の世界です。そしてそれらは、静寂とミニマリズムという日本人の持つ美意識につながっていきます。ものの存在を受け入れること、その存在のすべてをよしとする覚悟を持つこと——それが美だということを、今回の作品づくりを通じて学んだ気がします。

——茂田さんが先ほど指摘した蓮井さんの文章には、「愛というものに置き換わり、初めて美というものを纏うことが出来る(原文一部抜粋(*2))」ということが記されています。愛が美に変わるのはどうしてなのでしょうか?
蓮井:そもそも物質はすべて美しいんです。データが美しくないのは物質として存在していないからです。写真も、デジタルならパソコンに取り込めば瞬時に撮ったものが見られますが、やっぱりそれは美しくない。印刷したりプリントアウトしたりして初めて美しさが出てくるんです。
インクジェットプリントもインクという物質からできていますが、紙と銀の粒子が絡み合うアナログプリントと比較すると、どうしても紙とインクが絡んでいないように見えます。マテリアル同士が絡み合って生まれるドロドロとした強さがないんです。僕は元来暗室で写真を焼くのが好きですが、今回は会場の制約もありデジタルカメラとインクジェットプリントの組み合わせでやりました。いずれドイツあたりに持ち込んで展覧会をやりたいと思っています。日本にこんな窯元があり、そこで人間国宝の吉田美統(ルビ:みのり)さんがつくった器物があり、それが震災で割れてしまい、割れた器物を僕がミニマムに撮ってプリントした。それが僕の考える日本の美だと伝えたい。
——まさに「朽ちゆく果てに美は宿る」という今回の展覧会タイトルそのものですね。
蓮井:そうかもしれません。

日本のアニメやボーカロイドが世界で評価されるのは、描かれている世界観が悲しいから(茂田)
——例えばお茶の世界では、茶会で使われる茶器はお湯を入れる道具であると同時に、使い込んでいくとどんどん錆びていくものと捉え、その現象に美という感覚を重ねていると言われています。
蓮井:やっぱり日本人はロマンチストだと思います。だから、切なさや寂しさ、儚さに美しいという感情を重ねるんです。海外の人もロマンチストですが、感覚が日本人とはちょっと違う。壊れて、消え去るものを美しいと思うのは日本人のDNAでしょう。我慢し、耐え忍び、自らの気持ちを押し殺して丹田に落とし込むことは禅の思想にも通じる気がします。
——今の話は茂田さんの胸の内に秘めている思いとすごく通じるものがあるような気がします。
茂田:そうですね。日本のアニメやボーカロイドが世界で評価されるのは、描かれている世界観が悲しいからでしょう。ストーリーや歌詞に何ともいえない無常観があるんです。欧米ではマイノリティな特性や思想を持った人が、それに対する社会的な理解を求めてパレードなどをする場面を多く見かけますが、世界の人口おいて行動に移せる人は限られています。声を出せず、社会との対峙の仕方に悩み苦しんでいる人のほうが圧倒的に多いんです。それが全方位に光を当てる西洋美学と日本を中心とした東洋美学の差だと思っていて。無常観に共感するほうが世界的に見てサイレントマジョリティのような気がしています。誰もが明るく、楽しく、幸せにという西洋的な思想はむしろラウドマイノリティでしょう。だから日本の美意識に対する関心が世界中でどんどん広がっているんです。
そこで伺いたかったのは、若い世代のクリエイションについて蓮井さんがどう感じているかです。「朽ち果て、失われていった先に愛があり、そこに美しさを感じる」と言われた蓮井さんも、若い頃は違う考えをしていたと思うんです。若いときにいまのような心境に至っていたとしたら、逆に不幸のような気がします。若い人たちには混沌とした状況に身を置くことでしか得られない経験をもっとしてほしいと思っています。
蓮井:いまの若い子たちのクリエイションはたしかにすごいですよね。僕にはぜったいに真似できない。アニメやボーカロイド、そして生成AIなどを使って彼らがこれからどんどん新しい美を生み出していくと思うと、大きな希望を感じます。でも、そうしてできた作品が自分の心に響くかといえば、きっと響かないでしょう。響かないのは世代が違うからではなく、不安や恐怖といった気持ちを満たしてくれるものがないからです。

——不安や恐怖を満たすものとは、蓮井さんが先ほど言われた「愛」でしょうか?
蓮井:医者から「余命はあと10年ぐらい」と言われた際、何が自分の気持ちを満たしてくれるだろうと考えたんです。きっとそれは、優しくしてくれる人が常に側にいて、笑顔でいてくれることだと思いました。同時に僕は、その人がいつも笑っていられるようにしてあげたい。それさえできれば、死を迎えたとしても苦しまずにすむでしょう。
今日が最後かもしれない、明日はもうダメだとなっても、パートナーが横で笑っていてくれたら幸せじゃないですか。それが愛に満たされるということです。じゃあ、自分がどうやってその心境にたどり着いたかというと、やっぱりナイフで刺される思いを何度もしてきたんです。自分の心をズタズタにされたり、後になって「なんであんな傷つけ方をしたんだろう」と自らを責めたこともたくさんあります。そういう無数の後悔が自分の心にグサグサと刺さってくるんです。そのときに何を思うかというと、自分という人間の小ささなんです。
結局愛って、どこまで自分以外のものを真剣に考えられるかだと思うんです。それは決して見返りを求めるようなものじゃない。これだけ愛したんだから、同じように愛されて当然だなんて考えてはいけないんです。自分以外のものを愛することができてはじめて、人は生きていこうという気持ちになれる。もう少しがんばろうという気持ちになれるんです。じゃあ、何のためにがんばるのか。僕はもう自分のために何かをすることには関心がなく、社会への貢献であったり、いずれ僕の写真を見てくれる人のために尽くしたい。そういう気持ちが自分をほがらかにしてくれると同時に、病気のことを忘れさせてくれるんです。
後編につづく(2025年5月22日公開予定)

1*
錦山窯
110年以上の歴史を誇る石川県小松市の九谷焼窯元。初代から受け継がれる彩色金欄手や金を使った絵付け技術で高い評価を得ている。3代目である吉田美統は、「秞裏金彩」で国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受ける。現在は4代目となる吉田幸央が伝統の技を継承しながら、今までにない新しい彩色金欄手の表現を追求。2019年にはギャラリースペース「嘸旦 MUTAN」を開設し、九谷焼を取り入れたライフスタイルの楽しみを提案している。
2*
人は生まれた瞬間から欠落してゆく旅に出る。
絶えず何かを失い、壊され、自らもその心を侵食させてゆく。
果たして、
死を迎えるその瞬間にそれらの欠損は何によって補われるのだろうか。
私はそれらが愛というものに置き換わり、
初めて美というものを纏うことが出来るように感じられる。
(展覧会「朽ちゆく果てにも美は宿る」蓮井幹生氏によるステートメント全文)
Profile
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蓮井幹生
1955年東京都生まれ。1984年から独学で写真を始め、88年の個展を機にアートディレクターから写真家へ転向する。新潮社の雑誌『03』はじめ著名人のポートレイト作品で注目を集める。90年代から撮影が続く「PEACE LAND」は作家の世界観の中核を成す作品群であり、作品集の出版を通して継続的な発表が行われ、2009年にフランス国立図書館へ収蔵される。2000年頃からは動画にも活動の幅を広げ、演出や撮影、編集などを手がけたPVやCMの作品も多い。主な受賞歴に「Spikes Asia」Silver Spike(17年)、「APAアワード2019」美しい日本賞、「第67回日経広告賞」最優秀賞など。現在は、長野県茅野市で写真館「森の隣りの写真室」を運営し、東京との2拠点で作家活動を行う。自身の経験を活かした講義や子どもを対象とした写真のワークショップにも力を入れている。
https://mikiohasui.com -
茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にはOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(神奈川・鎌倉)をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催。24年11月にはF.I.B JOURNALとのコラボレーションアルバム「現象 hyphenated」をリリースするなど、活動の幅をひろげている。
Information
写真展開催情報
蓮井幹生+錦山窯コラボ展 「朽ちゆく果てにも美は宿る」
能登半島地震で割れたり欠けたりしてしまった九谷焼の窯元、錦山窯の国宝級の器物を蓮井幹生さんが撮影した写真展。撮り下ろされた17点の作品の売上の一部は復興支援に充てられた。2025年1月から2月にかけてYUGEN Gallery TOKYOで開催された後、3月に福岡のYUGEN Gallery FUKUOKAに巡回、5月17日から31日まで石川県小松の「嘸旦 MUTAN」に巡回する。
蓮井幹生写真展「十七の海の肖像」
2025年6月7日から23日までYUGEN Gallery TOKYOにて開催される蓮井幹生さんの個展。敦賀、柏崎、浜岡、泊、女川など原発施設のある海の風景を撮り下ろした。作品には、便利さや快適さを追求していくなかで、超えてはいけない境界線の存在に注意を払ってほしいという思いが込められている。
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写真:小松原英介
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文:上條昌宏
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