2024-09-26
Vol.10
建築家
岡部修三 氏(前編)
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都心、地方、グローバル。それぞれの幸せとは?
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空気を共振させる
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情報に惑わされないという豊かさ
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「動的平衡」の観点から考える
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ものづくりに求められるオーセンティシティ
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自給と循環がインフラをつくる
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「メザニン」の可能性
さまざまな情報が飛び交う現代において、見聞きする情報が本当に信頼できるものかを見極めることはひじょうに重要になっている。情報の真偽を疑う姿勢は、「固定観念」に縛られない自由なアイデアの発露を後押し、心豊かで幸せな社会の形成につながっていくだろう。
設計事務所を主宰すると同時に、プロダクトデザインやブランディング、事業開発などひとつの領域にとどまらない多彩な取り組みを行う岡部修三さんは、「何事に対しても前提に縛られず、確固とした理由を持って臨んできた」と、自らの活動について話す。決められたことをするだけになっていないか? なぜそうなっているかを深く考える作業を怠っていないか? 経済性や効率だけで物事を判断していないか? 旧知の間柄というふたりの対話には、地域や社会、さらには人々の幸せを支えるインフラたるものづくりを実践するための幾多の問いかけが潜む。
建築家は、人の人生や生きる意味についてすごく多角的に捉えていて、大局的な観点で物事を見ている(茂田)
——一緒に視察旅行に行くなど、ふたりはかなり長い付き合いだと聞いています。そんな岡部さんと「理想論」で対談したいと思った理由を教えてください。
茂田正和:岡部さんと話すとたいてい面白い話題になるので、「最近どう?」みたいな会話ができればいいなと最初は思ったんです。僕自身、折に触れて岡部さんのやってきたことを見たり体験したりしてきて、建築はもちろんのこと、自身の手がけた砥部焼のプロジェクトをM&Aし、さらに磁器の原料となる砥石を採掘する活動を始めるなどその動向に常に興味を掻き立てられてきました。「白青(しろあお)」(*1)という名称で展開する砥部焼の取り組みは、今で言う地方創生プロジェクトですが、岡部さんはそういうことを20代半ばからライフワーク的に行っていて、事例が山のようにある。
僕も今、群馬のみなかみ町で地域の資産を未来につないでいくプロジェクトを始めているんですが、そこでのテーマは東京一極集中の人口をどう地方に散らすかです。無理して東京に暮らすことが本当に幸せなの? 人口減少や円安が叫ばれるなかでビジネスフィールドを国内だけに絞ることが本当にいいことなの? もっと言えば、資本主義ってこれからどう変わっていくの? そんなことに関心があって、岡部さんがそれについてどう思うかを聞いてみたかったというのもあるんです。
岡部修三:今話したようなことを3行ほどのメッセージでもらったんですよね。書いてあったキーワードは……都心と地方とグローバル、あとは資本主義だったかな。
茂田:僕はわりと建築家の友人が多くて、話をして気が合うのも建築家だったりする。たぶん、人の人生や生きる意味についてすごく多角的に捉えていて、大局的な観点で物事を見ているからだと思うんです。何かをつくる際、与件整理と要件定義がすごく重要になるのが建築家の世界だったりする。逆にアーティストがそれをやると、クリエイティビティからどんどん離れていってしまうんです。プロセスを完全に飛ばせる人間が最強と言われるアーティストと建築家はまさに対照的で、そのコントラストも面白いなと。
建築家と話をして多くの気づきを得られるのは、きっと僕の思考プロセスが建築家に近いからなのかもしれないですね。与件整理と要件定義に基づいてものをつくり、それによって人に喜んでもらうというゴールを目指しているという。
岡部:今、茂田さんが言った「建築家ってこういう感じだよね」という指摘は、建築家の職能をすごくうまく捉えていると思いました。ただ、そういう建築家って実際は多くない。根源的なことを追求しようという建築家はむしろどんどん減っているように思います。
やっぱり建築は、それがたとえ個人の住宅であっても常にパブリックと接していて、公共性や地域との関係性を意識せざるを得ないんです。同時に、状況を俯瞰して見る視点や時間軸についても留意する必要があって、この3つが建築家の資質として最も重要だと考えています。
対談の話をもらって過去の内容を読み直したのですが、どの回もとても興味深かった。たしかに社会全体を見渡して今の日本が幸せかといえば、決してそうではないでしょう。でも、幸せになる権利を手にする機会は昔と比べるとかなり広がっていて、自らがアクションを起こして状況を変えることが可能になっています。ゆえに幸福論をテーマに議論する意味があると思うんです。
——人・モノ・金・情報の動きが活発化するなかで、都心・地方・グローバルにおける「幸せとは何か」ついて、どのような考えを抱いていますか?
岡部:まず、どちらでもいい話かもしれませんが、僕は「地方」という単語は使わないんです。必ず、「地域」と言い換えるようにしています。なぜかと言うと、地方というのは中央から見た他の場所という構図のうえに成り立っている言葉だからです。でも、僕のなかにはそういう意識は微塵もなくて、むしろ地域ごとに個性があるという視点がいちばん重要だと思っています。同じようにグローバルと言っても、そもそも同じ地球上に存在していて、そこに違いはない。日本を出た瞬間、何でもグローバルみたいな感覚に陥ってしまうけれど、あえて分ける必要があるんだろうかと思っています。
今は、名前も知らない小さな地域同士が国境を跨いで直接結びつき、新しいことを始める動きがすごく起きやすくなっていますよね。そこにこそ可能性があって、コロナ以降そうしたつながりがよりスムーズにできるようになったと思うんです。確かに情報がフラットになることの弊害もあるでしょう。でも、日本のある地域と海外のどこかの地域が直接関係を持ち、新しいことに乗り出すことのほうがよほどワクワクします。
海外へ行った際、以前であれば現地の知り合いを通じて向こうのローカルコミュニティとつながり、それで広がる関係性に安心感があったんです。でも、今は聞いたことのない音楽だったり、見たこともないファッションに遭遇することがすごく増えていて、それが逆に新鮮で面白い。仕事の依頼にしても、声をかけられて海外へ行ってみたら誰も知り合いがいなくて、共通点もないんだけれど、話をしていくうちに目指しているビジョンがわりと近いことがわかったりする。そういうことが世界各地で同時多発的に起こっていて、こうした状況がこれからの人々の幸せにつながっていくんじゃないかと思っています。
茂田:世界中でどこの何だかわからないもの同士のミクスチャーが多発しているという話は、やっぱりコロナと関係しているような気がします。人やモノの行き来が堰き止められていたのがコロナの終息によって一気に解放され、とてつもない勢いで交流が起こりはじめましたよね。僕自身もその波にのまれた感覚を持っていて、この1年で自国のアイデンティティに対する考え方が大きく変わったと感じるんです。以前までは、日本の文化や美意識こそがグローバル競争を勝ち抜く重要なリソースだと思っていた。でも、今はストイックに自国の文化を追求することが本当に幸せであり、豊かなことなのか。極論、イノベーティブではないとさえ思いはじめています。
——小さなコミュニティ同士が直接つながり、新たな可能性を生み出そうとする動きは、東京のような大都市でも起こっているんでしょうか?
岡部:それぞれの地域やコミュニティがさまざまな可能性を模索しはじめているので、全体像を捉えるのは難しいですが、間違いなく起こっているでしょう。だからこそ、僕は今、システムというものに関心があるんです。
——岡部さんが言う「システム」とは?
岡部:簡単に言えば、さまざまな要素の複合体を動かす見えない力のようなものです。民主主義や資本主義もそのひとつで、それらによって社会は動いている。法律もシステムの一種だし、組織や会社であればそれぞれの役割を備えたルールというシステムも存在する。そういうものを総じてシステムと呼んでいて、自分たちを客観的に制御するものと捉えています。
僕は何かに関わる際、それがどういったシステムで動いているかをまず考えるようにしています。行政と仕事をするときは行政のシステムであり、特定の組織であればその組織のシステムを把握し、できることとできないことを見極める。システムのなかでも局面に応じてそれぞれがさまざまな振る舞いをするので、まずはそれを理解することが重要です。それをせず倫理的な観点で話に白黒つけようとするとおかしなことになってしまう。さらに、業界ごとのシステムなんかも存在するので理解するのは容易ではないけれど、理解することで関わり方を面白くできるし、変えられなかったことを変えられる可能性も高まるはずです。
おそらくある一定の人たちは今、数字を拡大していった先には何もないということに気づきはじめている(岡部)
茂田:実はこの夏、子どもたちを連れてアメリカのディズニーランドに行ったんです。向こうのキャストって、笑顔で「ハロー」とか言ってくれないんです(笑)。そういうホスピタリティはほぼゼロ。ミッキーだけは愛想がいいんだけれど、それ以外は全員無愛想。日本人からするとディズニーランドはホスピタリティに溢れた場所という認識だけれど、それは日本に限った話で、海外のディズニーランドはまったく違う。
日本のディズニーランドのサービスを見ると、僕らの世代は「これは絶対に絶やしてはいけない日本文化だ!」と考えるけれど、その発想自体がすでに古いんでしょう。我慢して、鍛錬して、苦労してサービスを提供するというのは今の若い子たちの感覚には馴染まない。持続可能性という観点から見ても、さまざまなしがらみから解放され、自由にやれている海外のほうが理にかなっているように見えます。それを日本のホスピタリティ文化だからといって無理強いしたら、若い子たちはどんどん海外へ出ていってしまう。ホスピタリティは決して自己犠牲的にストイックにやるものではないんです。今の子たちは、自分も楽しみながら相手も楽しませる、そういう空気を共振させるようなことが圧倒的に上手で、それが若い世代の考える合理性のような気がしますね。
岡部:なるほど。
茂田:韓国などはある意味、疲弊しながらも良質なコンテンツをストイックに追求していて、そうやって自国のコンテンツ力を高め、市場価値を上げてきたと思うんです。化粧品でもしばしば対比されることが増えていて、「韓国は勢いがあってすごい。対して日本は保守的だ」みたいに言われることが多いんです。言いたいことはわかるけれど、今韓国がやっていることを日本は90年代にすでにやっていたので、「遅れている」と言われるとちょっと違うかなと。むしろ、サイクルが一巡して次に何をやるかが今の日本には問われている気がします。
岡部:僕もまったく同感です。今の話を聞いて思ったのは、古いほうを起点とした新しいものと、新しいほうを起点としてできた新しいものとの差です。前例のない、まったく新しいものというのは理解するのが難しいですよね。韓国のエンタメにおけるレベルの高さやわかりやすさは、過去を学びながら新しさを追求した結果であり、やっぱり古い側を起点として新しいことをしたほうが多くの人に受け入れられるし、経済合理性の面でも優れている。ただ、幸か不幸か僕らはちょうど両者のはざまの時代を生きているので、双方の違いをきちんと意識しながらブリッジしていくことが自分たち世代の役目のように思っています。
茂田:今は古い概念のもとで新しいことをやろうとする人と、新しい概念のもとで新しいことをやろうとする人が混在している過渡期でしょう。会社や組織にも新旧それぞれのOSを駆使して新たなクリエイションをしようとする人間がいるけれど、使うOSが異なる者同士が思想や考えを交換し合えるかというと、そこはまだ難しい。いずれは共存できるときが来るかもしれないけれど、今は混在している状況で、そこに一抹の不安を感じるんです。
岡部:産業革命によって確立された資本主義の基本はモノをたくさんつくって売っていくこと。コンテンツであれば、できるだけ広く拡散させ、消費する数を増やすことが正義なんです。だから、人口の多さや若者の数が重要とみなされてきたと思いますが、これだけ人や情報の動きが活発になっていくと、大きいところは強いみたいな数の理論は意味をなさなくなると思っています。おそらくある一定の人たちは今、数字を拡大していった先には何もないということに気づきはじめている。そういう人たちがいる一方で、数の理論を信じている人もいて、その状況がOSの話と近いと思いました。いろんな立場の人が一緒に生活していく以上、さまざまな考えが共存するというのは決して不自然なことではないでしょう。
どこに向かっていきたいかという方向性とスケールが合っているかを常に意識している(岡部)
岡部:僕が設計事務所を運営しながら、事業戦略の仕事やプロダクト開発などもやっている理由はたったひとつで、数字を増やすゲーム以外のことをやろうとしたときにこれしか方法がなかったからなんです。
ブランディングやマーケティングの仕事は、商品やサービスを広く告知し、1万円よりも10万円、10万円よりも100万円、100万円よりも1億円を売り上げるのが基本的には正義です。でも本当にそうなの? 売り上げが倍増したところで、どこまでいくと幸せを得られるの? そういうことを考えながら仕事に関わろうとすると、自分たちでチームをつくってやるしかないという結論に行き着いたんです。
自分が信じているものを提供することって、広がったら広がったで嬉しいんですが、無理せず正直でいることのほうがもっと重要で、まさに茂田さんがよく言っている「正直につくろう」です。そういう点からも、どこに向かっていきたいかという方向性とスケールが合っているかどうかは常に意識しています。
——方向性とスケールの合致点を見つけるうえで、注視している点はなんですか?
岡部:そこはわりとシンプルな話で、事業の種類と目標とする規模感に対する前例や経験がベースになります。数億円ぐらいのものと数十億円ぐらいのものとそれ以上のもの、という規模に応じた分類による輪郭のような感覚があって、僕がいちばん興味があるのは数億円規模のプロジェクト。イメージとしては、店主の顔が見える地域の素敵なパン屋やコーヒーショップのような規模です。そういうものをたくさん手がけることができたら幸せなんだろうと思っています。茂田さんが手がけているような数十億円規模のビジネスにも異なる魅力がありますが、100%こだわろうとしたら自分には難しいという感覚があります。
——岡部さんに限らず、数十億から数百億円規模の案件においてオーナーの顔がきちんと見えるようなビジネスを成立させることは難しいのでしょうか?
岡部:それを求めるとしたら、僕は難しいと思っています。象徴みたいなものをつくり、それを冠してやる方法はあるかもしれないですが、それだと別の話になる。ただ、代わりにその規模でしかやれないこともあって、それが別の可能性を生み出すことにつながっていくと思っています。規模の話は業種によっても違うので、一概にどれが良くてどれが悪いとは言い切れなくて、きちんと方向性を見極めながらやっていくことが大事でしょう。
茂田:規模の話で言うと、昨今ラージなものからスモールへというビジネスの流れがありますよね。ただ、僕からしたらその動きは情報操作によるグラデーションのようなもので、時代の変化とともに情報操作される人たちが減るなかで顕在化しただけだと思っていて。グラデーションだから、今でも情報に操られている人は一定数います。でも、「情報操作なんてされない」という結界を貼った人たちが増えていくと、PR戦略やSNSマーケティングみたいなものはどんどん意味をなさなくなっていくんです。彼らは自分の目で見極めて、良ければ買うし、悪ければ買わない。そして、それこそが豊かなことだと気づくんです。
岡部:同じ言葉を使っていても、話してみるとまったく違う意味で捉えていることがけっこうあって、スモールビジネスがいい例ですね。世の中で「スモールビジネスっていいね!」と言っている人はビジネスをしっかりやっていない人が多いと僕は思っていて。本質を理解しないまま大資本の原理を持ち込んでスモールビジネスをデザインしようとしている人が少なくない。地方創生プロジェクトにいろんな地域で関わると、実態の数字のイメージを持たないままスケールを誤って事業を語っている人が多いことに気づきます。最悪なのは、そういう人たちが真っ当な小売ビジネスをやっている人に幻想に近い誤ったスモールビジネスの理論を主張するケースで、そういう行き違いが横行している。普通のことをもう少し普通できるようになればいいんですが。
物事をもっと「動的平衡」の視点で捉えられる人が増えるといい(茂田)
茂田:日本の大きな課題はやっぱりファイナンスなんです。
岡部:スモールビジネスと呼ぶものにもきちんとしたファイナンスの仕組みがあれば、もっと可能性は広がるでしょう。日本は銀行がしっかりしているのに、リテラシーも含めてファイナンスの仕組みが正常に働いていないというのが大きな課題だと思います。
茂田:補助金の付け方からして変ですもんね。貸し倒れが起こってもいいという覚悟で補助金を出しているんなら、創業融資みたいなものにその財源を振り向けるべきでしょう。必要額を創業融資で受けられないから補助金に頼るという発想はそもそもおかしいんです。海外だとマイクロファイナンスみたいなものが起業支援の仕組みとして機能していたり、損益が大赤字でも文化的であったり、生態系における多様性を維持するために必要と思ったら平気で投資をするファンドのような存在があるけれど、残念ながら日本にはない。クラウドファンディングが先行販売目的ではなく、もう少し本質的な方向に向かっていってくれればいいんですが……。
岡部:海外ファンドについては倫理的に正しい行動をとっているという話だけでなく、投資という観点から見て最終的にリターンが望めると踏んでいるところがあると思うんです。だって、社会的に要求が高かったり、需要のあるものは間違いなく伸びますから。そういうものにお金を張るのは当然のことでしょう。
茂田:日本人に限ったことではないけれども、物事をもっと「動的平衡(*2)」の視点で捉えられる人が増えるといいなとシンプルに思っていて。
産業革命以降の人類は、人間らしい生活とは全然違う方向に向かうなかで相当ストレスをかけてきたわけです。それはそれで必要なことだったのかもしれないけれど、いよいよストレスがピークにさしかかったタイミングでコロナが押し寄せた。今はストレスがかかって思いっきり変形してしまったものも元の平衡状態に戻そうとしている状態だと思うんです。
平衡状態に戻るというのは、ある意味で幸せになることでもあるんです。所有物が人の生活の中心に位置づけられた時代は、幸せイコール新たな道具を手にすることだったわけです。そうした物質的価値によって幸福感を得るというのが高度経済成長期の幸せだったのに対し、今は人間らしさを取り戻すことが逆に幸せにつながっていて、幸福の定義がまったく違うんです。ファイナンスの人たちがそういうことに気づいて投資をするようになればいいんだけれど、そこにはやっぱり溝があるんです。
岡部:戦後という意味ではまだワンタームかもしれないけれど、それ以前まで遡って見ていくと、結局人間はつくっては壊しを繰り返し、同じところを行きつ戻りつしているだけだということがわかってくるはずです。投資家というのも基本は人なんだと思うと、短期で増えた減ったを見るしかなく、そういう大きな流れを読み解くのが難しいのはしょうがない気もしますね。
後編につづく
*1_白青
愛媛県を代表する焼きものである砥部焼の伝統を守りながら、現代の暮らしのなかでより多くの人に使ってもらうことを目指した器を中心とするブランド。ブランドの発展を通して窯元の技術のアーカイブをしたり、窯元同士のコミュニケーションを誘発していくなど、従来の伝統技術とデザインのコラボレーションによる商品開発からは一線を画し、地域と産業の可能性を探るプロジェクトでもある。2015年度グッドデザイン賞受賞。
https://shiroao.jp/
*2_動的平衡
動的とは「ダイナミック」、平衡とは「バランス」を意味し、絶えず動きながら絶えずバランスを取り直している状態を指す。生命は変わらないために変わり続けているという動的平衡理論を提唱する生物学者の福岡伸一氏は、「生命が動的平衡であるがゆえに、生命は環境に対して適応的で、また変化に対して柔軟でいられる」と説明する。また、こうした状態が保たれる大事な点に「多様性」があり、いかに多くの要素が支えているかが動的平衡の強靱さにつながると言われる。
Profile
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岡部修三
1980年愛媛県生まれ。2005年慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 環境デザインプログラム 修士課程修了。04年に「新しい時代のための環境」を目指し、建築的な思考に基づく環境デザインと、ビジョンの継続的な探究を実現するストラテジデザインを手がけるスタジオ、upsetters architectsを立ち上げる。14年よりブランド構築に特化したLED enterprise代表、グローバル戦略のためのアメリカ法人New York Design Lab.代表を務めるほか、18年より愛媛県砥部町で採れる砥石の可能性を模索する白青の代表も兼任する。JCDデザイン賞金賞、土木学会デザイン賞優秀賞、グッドデザイン賞、iFデザイン賞など、国内外での受賞歴多数。21年より日本デザインコンサルタント協会 (JDCA))副代表理事。著書に「upsetters architects 2004-2014,15,16,17」(2018年、upsetters inc.)、共著に「ゼロ年代11人のデザイン作法」(12年、六耀社)、「アーキテクトプラス“設計周辺”を巻き込む」(19年、ユウブックス)、「Booklet 31 槇文彦の諸相──建築と人をつなぐ」(24年、慶應義塾大学アート・センター)、連載に「実践講座 地域再生が変わる」(23年、日経アーキテクチャ)がある。
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茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(鎌倉・小町通り)をプロデュース。23年は、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。著書に、2024年2月9日より発売中の『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)がある。
Information
upsetters architects
2004年の設立以来、急速に変化する時代を捉え、新しいスタンダードの提案を追求し、設立から20年間で世界7カ国、300を超えるプロジェクトに成功。多様な用途に対する建築・環境設計はもとより、プロジェクトの企画から完成後の運営、さらには建築・デザインに限らず、クリエイティブな視点による企業戦略や新規事業開発まで、“新しい時代のための環境” を目指し、領域を限らず活動している。
https://upsetters.jp/
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写真:小松原英介
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文:上條昌宏