2024-08-22
Vol.9
アイドル、アーティスト
宇佐蔵べに(usabeni) 氏
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楽観もしないし、悲観もしない
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過渡期の世代
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「表現欲求」と「経済性」のあいだで
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人に頼るとは、学ぶこと
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「変わらない」を諦めない
宇佐蔵べにさんの活動は面白い。アイドル、アーティスト、デザイナー、DJ、ショップオーナーといくつもの顔を持ち、新たな活路を求めて海外にも出向く。「なかなか本心を見せない」「何を考えているかわからない」などと巷で揶揄されるZ世代のひとりだが、そんな安易な世代論で片づけてしまうのがもったいないほど、その活動は自身の欲望にまっすぐであり、個性に溢れている。「いろんなやり方があることを世の中に示したいんです」。同じものさしで優劣を競うのではなく、「違い」を通して自らのアイデンティティに磨きをかけてきた人だからこそ、その言葉には説得力が宿る。そんな宇佐蔵さんが今回のゲスト。「若い世代はこうだ」という決めつけをいったん頭の片隅に置いて、自らの内的動機と純粋に向き合う25歳の意識や価値観に寄り添ってみてほしい。きっと新たな気づきが生まれるはずだ。
日本に対し、若い人たちは過度に楽観していないけれど、悲観もしていないんじゃないか(茂田)
茂田正和:もともと僕の周りの音楽仲間はみんなbeniちゃんとつながっていたんだけれど、自分だけは直接会う機会がなかなかなくて。それでインスタとかをフォローし、日々彼女がやることをウォッチするようになったんです。すると、「うわぁ、面白そう」と思うことがたくさんあって。年は20歳ほど離れているけれど、音楽のセンスにしても服のデザインに対する考え方についてもすごく共感しました。
これまで理想論のゲストは僕と同世代かもしくは上の世代が多く、大半が男性でした。彼らと話すなかで日本の社会に対する嘆きもけっこうあったけれど、捉え方によってはそんなに嘆かわしいわけでもないのかもしれない。特に若い人たちは過度に楽観していないけれど、悲観もしていないんじゃないかと思ったんです。そのあたりのことを聞いてみたいと思い、若者の代表として指名させてもらいました。
宇佐蔵べに(usabeni): 対談の話を突然メールでいただいて真っ先に思ったのは、「私でいいんですか?」だった。と同時に、すごく誇らしい気持ちも湧きました。私の感覚は一般の人とは少しズレてるかもしれないけれど、同時にそれほど尖った考えをしているつもりもないんです。だから今日は20代のひとりの女性としていろんな話ができたらいいなと思って来ています。
日本に関して言えば、それほど悲観的に捉えてはいなくて、昨年初めて海外に行ったんですが、それ以降この国がとてもいい国だと思えるようになりました。私が行ったタイはトイレでトイレットペーパーは流せないし、道路も綺麗に舗装されていないところが多くてボコボコ、時期によっては大気汚染もひどくなる。日本で当前と思っていたことが、世界ではぜんぜん当たり前でないことに海外に行って初めて気づかされました。
——タイへ行こうと思ったきっかけは?
usabeni:もともとタイの音楽シーンが好きだったこともあり、いつか向こうで自分の音楽作品を出せたらと思っていました。というのも、日本の音楽カルチャーにちょっと限界を感じていて、このまま国内で活動を続けていてもいずれ頭打ちになるという気がしてたんです。日本を出て、海外の人と新たなつながりをつくっていかないとこれ以上の広がりは期待できない。そう思ったのがタイへ行くようになったきっかけです。
いざ行ってみると、日本語がプリントされたTシャツを着ている人も多いし、日本の音楽やアイドルカルチャーも浸透していて。「地下アイドル」という日本式のアイドルフォーマットがタイのアイドルシーンで成立していることにも驚きました。だから最初はそういうフォーマットに寄せた活動もありだと思ったんです。ただ、私の場合はグループではなくソロなので、数では勝負できない。ソロで独自色を出すのならアーティスト寄りのほうがいいと思い直し、今は現地のアーティストと一緒に楽曲制作にも取り組んでいます。
——訪れている街はチェンマイですね。
usabeni:バンコクも素晴らしいんですが、チェンマイのある北部は街がコンパクトで落ち着くんです。ローカルカルチャーのなかに個性的な小さなお店が点在していて、そういう雰囲気が私に合っている気がします。
——タイに何度も行かれている茂田さんは、今のusabeniさんの話を聞いてどう思いましたか?
茂田:日本のカルチャーだからといってちやほやされる雰囲気は20年前のバンコクには確かにあったけれど、今はないというのが僕の印象です。理由は簡単で、アニメやアイドルの内製化が進み、完全に独自でやれるようになったから。わざわざ日本の文化を輸入する必要がないんです。それはファッションにしても音楽にしてもアートにしても同じで、タイはそういうエネルギーに溢れている。
——確かにアート&カルチャーにおいてタイの注目度は年々高まっています。
茂田:今アジアのなかで最もアート&カルチャーの情報リテラシーが高いのは韓国でしょう。欧米のメジャーなものからアングラなものまで彼らはすべて網羅している。そして、それらを輸入し、内製化して、再びアジア圏に配布しているんです。
欧米の流行をいち早くキャッチし、それらを収集して再編集し、新たなプロダクトを生み出す手法は、もともと90年代に日本が得意としてきたことです。そういう意味で90年代の日本と今の韓国はとても似ている気がします。当時の日本はアジアの国々から羨望の目で見られていましたから。
——今はそのポジションが韓国に取って代わられたわけですね。
茂田:日本が韓国に押されているという見方もできるし、1周回って新しいことに日本が挑戦する好機と捉えることもできる。じゃあ、ここから日本は何をやるのかといったときに、それを牽引するのがbeniちゃんたちの世代なんじゃないか。「俺たちが日本の文化のあり方を再定義するんだ!」といった肩肘張った感じではなく、もっと自然発生的にそういうものをつくり出していけるのが彼女の世代の特徴だと思っています。
みんながみんな同じものが好きじゃない。共通して目指せる目標がなくなっているのかも(usabeni)
茂田:先日、世界幸福度ランキングで7年連続トップに立つフィンランドに行ったんです。向こうへ行って感じたのは、街全体が「白旗を振っている」ようだということ。「私たちは誰かと戦ったり、競い合うことを端から放棄しています」という印象をすごく受けた。言い方を変えればマイペースということだけれど、それともちょっと違っていて。服装ひとつにしても、誰々よりお洒落ですとか、誰々よりお金をかけてますみたいな雰囲気がいっさいないんです。そういう「戦うことをやめました」的な態度が幸福度の高さにつながっているのだと感じました。
でも、白旗を振っているからか、エキサイティングな雰囲気は街からいっさい感じ取れなかった。バンコクは街がすごくエキサイティングじゃないですか。そういう熱気が新たなカルチャーを育み、そこに魅せられて人が吸い寄せられていく。beniちゃんもそうだろうし、僕がbeniちゃんと同じ歳の頃に頻繁にバンコクに通っていたのもそれが理由だった。そんなことを思ったときに、果たして日本はこれからどういう方向に行くのか? おそらくその答えの鍵は、人と競うことに対する考え方だと思っています。
usabeni:私自身について言えば、人を蹴散らしてでも成り上がろうという意識はないです。お金持ちになりたい気持ちがゼロではないけれど、自分の趣味や仕事のスタイルを犠牲にしてまで成り上がりたいとは思わない。
一方で、YouTubeとかを見ているとホストに入れ込む子の動画が流れてきたり、「ホス狂い」という言葉を目にする機会も増えている。夜の世界でナンバーワンになるために整形する子も多い。そう考えるとすごく二極化している気がします。
私は考えがおばあちゃん的なのか、町を散歩しているだけで嬉しいと思えるタイプです。それでもSNSで発信はするし、人とのつながりも大切に思っています。でも極端な子だとインスタの更新をいっさいやめたり、LINEを送っても返事が返ってこなかったりする。で、「何してるの?」と聞いたら、「本読んで、猫を撫でてて……」と。みんながみんな同じものが好きじゃないんです。ただ、そういう状況がけっこう面白いのかなと。流行っているものも趣味も全然バラバラ。みんなが共通して目指せる目標がなくなっているのかも。
茂田:アイドルの世界は僕からすると競争原理がはたらく極地で、グループ内でも熾烈な争いが頻繁に起こるイメージ。総選挙でセンターを選ぶAKBがいい例なんだけれど、今はアイドルも二極化の傾向にあるというのはちょっと意外な気がしました。ある意味で、過渡期の世代ということなのかもしれない。
usabeni:最近は私のように元々グループで活動していたけれどソロに転向する子も増えていて、経営をやり、ディレクションを手がけ、ライブ活動を行い、物販もやるというアイドルが少なくないんです。
茂田:昔は何かひとつに特化して専門性を磨くみたいなことが当たり前で、それで成功して初めて別のことに手を出す感じだったけれど、今はすべてがパラレルなんだろうね。ひとつのことに対する強力な熱量よりも、むしろパラレルにやることがその人のアイデンティティやクリエイティビティの形成につながっていくみたいな。それは僕自身が若い頃に理想としていたスタイルであって、それを普通にやれているbeniちゃんが心底羨ましい。
経済のインカム(収入)を分散させていくというのは、ひじょうに合理的な発想(茂田)
usabeni:この前ある人が、パラレルワークを指向する子の共通点について「誰かからの承認欲求じゃなく、表現欲求というのがまず先にある」と指摘してくれたんです。その言葉を聞いて、「まさにその通り!」と思いました。誰かに認められたいからやるのではなく、表現することが好きだから自分のペースですべてやる。しんどいこともあるけれど、それ以上に表現することの喜びのほうが大きい。そう考えている子が私の周りには多い気がします。
茂田:「表現欲求」という言葉はすごく腹落ちする。僕ら世代だと承認欲求はあって然るべきで、欲求のなかでもいちばん強かったと思うんです。親父に認められたい、母親を喜ばせたい、良い子に思われたい……とか。
娘が最近、「メイクの学校に行きたい」と言い出したんだけれど、それもメイクをしたいという純粋な表現欲求なんだと思う。誰かに認められたくてやるわけではないので、親がいくら「頑張れよ!」と言ったところで本人のモチベーションが上がるかというとそんなことはないでしょう。だから共通言語を見出すのが難しいんです。
usabeni:誰かに認められたいということを意識しはじめると、逆にいろんなことを考えてしまい、最後は自分でやらなくてもいいんじゃないかと思ってしまいかねない。だから私は考えないようにしています。
茂田:でも、表現欲求がいくらあったところで、それだけでは経済は生まれないよね。なぜなら、経済は受け入れてくれる人がいて初めて成り立つものだから。じゃあ、人に受け入れられるためにマスを意識すべきなのかといったら、そんなことは決してない。個性を追求した音楽なんてそもそも需要に限りがあるので、「いいね」と思ってくれる人たちから投げ銭をしてもらうぐらいの感覚でいろんなことを試せばいいんです。そうやって経済のインカム(収入)を分散させていくというのは、ひじょうに合理的な発想なんじゃないかな。
usabeni:アイドルグループの活動しかしていなかったときの収入ってほとんどがチェキなんです。ライブが終わってからお客さんと一緒にチェキで写真を撮って、それを1枚1,000円や1,500円で売る。売り上げの何%かがその日の私たちの手当として支払われる。さすがにこれをずっとやり続けるのはきついだろうなと思っていました。でも、会社員になれるはずもないし、何よりアイドルでいることが好きだから、チェキ以外の新たな収入源を確保する必要があった。それでグッズをつくって売り始めたんです。そして通販を始めたら、やっぱり実店舗があったほうがいいと思うようになり、神戸にお店をつくる流れになりました。表現欲求の赴くままやってきたと思う一方で、生きていくために経済的な側面も考慮しながら今のかたちに落ち着いた感じです。
——「地方から発信していくカルチャーに期待をしている」といった発言をされていますが、神戸に店舗を構えたのはそれが理由だったんでしょうか?
usabeni:アイドルグループで活動していたときにDJを始めたんですが、DJは基本ひとりなので招聘しやすいこともあり、地方からたくさん声をかけてもらいました。それこそ群馬の高崎でプレイしたこともあります。そのときに地元のレコードショップや映画館が中心となった小さな文化やコミュニティの存在を知り、すごく新鮮に思えたんです。面白い人っていろんなところにいるじゃんと。その経験が東京ではない場所でお店を開こうと思ったきっかけです。
場所ができると人はそこを目的に足を運ぶようになりますよね。「NARUHESON;S(ナルヘソンズ)」というのが私が経営しているお店ですが、そこを目指して神戸に人がたくさん来てくれたら嬉しいです。
すべてを自分で決めていたら、とっくにアイドルをやめていた(usabeni)
茂田:beniちゃんとは今、12月に行うメイク関連のイベントで一緒に何かをしようと話しているんです。メイクに関心を持つことって、幼少期だと「おませさん」と言われ、大人になると「身だしなみ」と捉えられるけれど、成長過程できちんと誰かが教えているのかといったら実は誰も教えていない。化粧品メーカーを経営していて僕はそれが常々不思議でした。
「似合う」「似合わない」「挑戦する」という言葉がお化粧の世界にはあるんだけれど、そこにいろんなニュアンスや意味が含まれるのがメイクという行為の醍醐味です。だとすれば、やっぱり大人になる前にそのイロハをきちんと教えてあげたい。それでOSAJIのメイクアップアーティストと一緒に小中高生を対象にしたメイク教室を始めたんですが、12月は少し規模を拡大して行おうと思っています。メイクをし、身だしなみを整えて、最後に下北沢でライブを見て、社交場にデビューするみたいな。
イベントはメイクの知識はもちろん、「大人になったらこんなにいろんな仕事ができるんだ」ということを知る機会にもしたいと思っていて。そのロールモデルを誰にしようか考えたときに、beniちゃんが理想的に思えたんです。一極集中でひとつのことからお金を稼ぐのが悪いわけじゃないけれど、「複業」という言葉があるようにいくつものことをパラレルにやる選択肢もあることをbeniちゃんは体現している。その姿をぜひ子どもたちに見せてあげたい。
usabeni:嬉しいです。
茂田:将来の夢を聞かれてまともに答えられる子なんてほとんどいないでしょう。そもそも才能というものを無視してそういう議論をすること自体がナンセンスで、「頑張れば何にでもなれる」みたいな助言が意味をなさないことは、実は子どもたちがいちばんわかっている。今の子はそれぐらいクールです。
そもそも人のあり方自体がもっと多様でよくて、何かひとつに絞らなきゃいけないということは絶対にないんです。僕自身、人生の場面場面でひとつのことに集約した時期があったけれど、結局はいろんなことができるポジションを選んできました。「いろんなことをやっていいんだよ」と助言する大人が今は少ないので、12月のイベントではそんなメッセージも発信できたらと思っています。
——岐路に立ったときに常にアドバイスをくれたり、相談できる大人がusabeniさんにはいましたか?
usabeni:すべてを自分で決めていたら、とっくにアイドルをやめていたと思います。迷いまくり、病み散らかして、最後にSNSで「もう、死にたい!」と叫んで終わりみたいな。今はそばにマネージャーがいて二人三脚で活動しているんですが、その人がメンター的な役割を果たしてくれています。やっぱりひとりで何もかもやるのは難しい。そういう意味で、若い人も怖けず何でも大人に相談してみたほうがいいと思います。周囲をシャットダウンして逆に迷走している子がけっこういるので。
茂田:ロックンロールバンドのLEARNERS*(ラーナーズ)の松田“CHABE”岳二さんなんかにもすごく影響を受けたんじゃない?
usabeni:そうですね。DJを始めたのもCHABEさんがLEARNERSをやっていたことが縁で、そこから50年〜60年代のアメリカの楽曲を知り、好きになっていってレコードを集め始めました。
茂田:それはいつぐらいのとき?
usabeni:高校3年生ぐらいだったと思います。下北沢のTHREE(スリー)というクラブに出入りするようになって、そこで刺激的な大人と一緒に時間を楽しんでいました。ちょっとおめかしして、ライブに観て、DJの音に合わせて身体を揺らすみたいな。まさに私にとっての社交場で、そこでCHABEさんがすごく優しく接してくれて、私も大人になったら同じような経験を子どもたちにさせてあげたいと思ったんです。CHABEさんに限らず、音楽関係の大人からはいろんなことを教えてもらいました。
若い世代が、良くも悪くも変わることがいちばん大事だと考えているのはすごく心強い(茂田)
茂田:大人の社会でたくさん揉まれた経験がある人はやっぱり面白いですよね。僕も20代の頃に付き合ったのは40代後半のおじさんばかりで、彼らと毎晩のように酒を酌み交わしていたから。それがいちばん楽しかったし、何より彼らから受ける刺激が新鮮だった。その後も付き合いが続いて、音楽エンジニアをやめて高崎に戻ってライブハウスを始めたときも、物件を貸してくれるなど彼らがいろいろ応援してくれたんです。賃料も「払えるようになったらでいいよ」と。
——世代を超えた交流がもっといろんなところで起きるといいですね。
茂田:大人の世界にポンっと平気で飛び込んでいける勇気やチャンスを持った子に出会えると、大人も実は相当ラッキーなんです。傍若無人な若者がすっと懐に入ってきて、引っかき回されて、何なんだ!思っているうちに感性が磨かれていくみたいな。感覚が老いるのを防ぐ効果もあるはずです。
——10代で下北沢のクラブに通い、大人たちから多くの刺激やアドバイスをもらったusabeniさんが、当時の自分と同じ10代の若者に今言葉をかけてあげるとすれば。
usabeni:依存先を複数持つということかもしれません。私もアイドル活動だけだったらしんどかったと思うんです。学びの場に置き換えて考えると、学校だけが知識を得られる場所じゃない。ひとつのものに依存してしまうと、どうしても視野が狭まってしまいますよね。今だったらデジタルの世界でもいいので、自分の居場所を複数持つことの大切さ、そして世の中にはいろんな世界があるということを伝えてあげたい。同時に、私たちのような大人がそういう場所をつくってあげる努力をもっとしないといけないと思っています。
——冒頭、日本の音楽カルチャーに限界を感じているという発言がありましたが、どんなところでそう思うのでしょう。
usabeni:例えばCDのパッケージでも、韓国はシングル1曲しか収録していないものに「どれだけ写真を詰め込めば気がすむの」というぐらいのクオリティのものを平気で出してきます。同じことを日本でやったら、流通や店舗の意向ですぐに「このフォーマットだと厳しいね」となる。帯部分に名前とタイトル、品番がきちんと載っていないといけなかったり。今はみんなサブスクで聞いているんだから、パッケージぐらい逆にこだわってもいいと思うのに、販売店や流通が言っているからダメというのはすごくおかしな話ですよね。本当は変えていいはずなのに、結局みんなが現状維持を受け入れているというのがすごくむかつくんです。そういう細かな文句だったらたくさんあります(笑)。
茂田:「良い」「悪い」「変わらない」という選択肢があったときに、変わらないという選択をすることがいちばん悪だと考えていることが今の話でわかった気がします。今回の都知事選における若い人たちの投票行動は、まさにそうした意思の表れだったんじゃないかな。
やっぱりこれからの時代をつくるのは若い人たちです。そういう世代が、良くも悪くも変わることがいちばん大事だと考えているというのはすごく心強い。この点も含め今日はいい気づきを得ることができました。
usabeni:対談が始まってからもずっと私でいいのかなと思っていたんです。でも、茂田さんと話をするなかで、改めて自分の活動を振り返ることができたし、表現欲求を大切にしつつも、「アイドルは消費されてなんぼ」みたいなところで自分なりに経済性と折り合いをつけながら活動してきたことも実感できた。文化と経済をぶつけ合って表現するのは私にしかできないことなので、そこを再認識できたのは自信になります。
茂田:beniちゃん世代にとって今が過渡期だとしたら、現状に文句を言って諦めるんじゃなく、これから変わっていくことに期待を抱いてほしい。やっぱり家に帰ったら、うちの子たちにも、「お前らしっかり頑張れ!」と言わなきゃいけない(笑)。
*LEARNERS
モデル兼歌手の紗羅マリーと、原宿でギャラリーを運営しながらバンド活動を行ってきた松田“CHABE”岳二のユニットから生まれた5人組のロックンロールバンド。2015年のファーストアルバム発表を皮切りに本格的に始動し、ジャンルを問わず魅力的な楽曲をカバーする独特のセンスとライブパフォーマンスで評判を得る。23年12月に新代田のFEVERで行ったライブをもって活動を休止。
air / usabeni
atmosphere / usabeni
Profile
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宇佐蔵べに(usabeni)
1998年神奈川県生まれ。15歳よりアイドルグループ「あヴぁんだんど」の一員として活動を始める。2022年から自らディレクションを行うソロアイドル兼アーティストに。グラフィックデザインや振付などアートワーク全般もすべて自ら行う。20年に自身が手がけるブランド「NARUHESON;S」の実店舗を神戸にオープンし、アパレルやZINEを定期的にリリースする。新曲3曲に既存曲のリミックス1曲を収録した最新EP「AIR」を5月末に発表。各種配信サービスにて配信を行うほか、NARUHESON;SのオンラインショップでCDも発売中。
https://www.usabeni.com/ -
茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(鎌倉・小町通り)をプロデュース。23年は、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。著書に、2024年2月9日より発売中の『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)がある。
Information
NARUHESON;S
usabeniがオーナーを務めるセレクトショップ。神戸にて毎月期間限定でオープンする同店では、地元の老舗玉子焼き店とコラボしたグッズを販売するなど、ローカルカルチャーの醸成にも一役買っている。
https://naruhesons.thebase.in/
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写真:小松原英介
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文:上條昌宏
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ヘアメイク:後藤勇也(OSAJI)、伊藤綾(OSAJI)
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撮影場所:SUHO