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茂田正和

レコーディングエンジニアとして音楽業界での仕事を経験後、2001 年より母親の肌トラブルをきっか けに化粧品開発者の道へ。皮膚科学研究者であった叔父に師事し、04 年から曽祖父が創業したメッキ加 工メーカー日東電化工業のヘルスケア事業として化粧品ブランドを手がける。肌へのやさしさを重視し た化粧品づくりを進める中、心身を良い状態に導くには五感からのアプローチが重要と実感。17 年、皮 膚科学に基づいた健やかなライフスタイルをデザインするブランド「OSAJI」を創立、現在もブランド ディレクターを務める。21 年、OSAJI として手がけたホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」 (東京・蔵前)が好評を博し、22 年には香りや食を通じて心身の調律を目指す、OSAJI、kako、レス トラン「enso」による複合ショップ(神奈川・鎌倉)をプロデュース。23 年は、日東電化工業のクラ フトマンシップを注いだテーブルウエアブランド「HEGE」を仕掛ける。24 年にはF.I.B JOURNAL とのコラボレーションアルバム「現象 hyphenated」をリリースするなど、活動の幅をひろげている。 近年は肌の健康にとって重要な栄養学の啓蒙にも力を入れており、食の指南も組み入れた著書『42 歳に なったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)や『食べる美容』(主婦と生活社)を刊行し、料理教 室やフードイベントなども開催している。

つねにクリエイティブとエコノミーの両立を目指し、「会社は、寺子屋のようなもの」を座右の銘に、 社員の個性や関わる人のヒューマニティを重視しながら美容/食/暮らし/工芸へとビジネスを展開。 文化創造としてのエモーショナルかつエデュケーショナルな仕事づくり、コンシューマーへのサービス デザインに情熱を注いでいる。

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    2024-04-20

    Vol.5

    タレント、アーティスト
    ちはる 氏

    • 沈黙から発言へ
    • 踏み込む勇気と深い人間関係
    • 子育てとデリカシー
    • 群れる文化が巨木を枯らす
    • ホワイト化社会の果て

    倉庫を改装した店内に選び抜かれたヴィンテージ小物やインテリア雑貨が並ぶ。「CHUM APARTMENT(チャムアパートメント)」。その名を聞けば、居心地のいい隠れ家のようなカフェであったり、気鋭のアーティストが出入りするファクトリーのような刺激的な空間を思い浮かべる人がいるだろう。タレント活動のかたわら、そんなスペースを20年近くにわたり経営してきたのが今回のゲスト、ちはるさんだ。タレントとクライアントという立場から始まった関係は、互いに経営者という時代を経て、ちはるさんが経営から退いた今も続いている。苦楽をともにしてきた間柄だからこそ、遠慮も忖度もなく、本音で話し合える。そんな深い信頼関係で結ばれるふたりが語るのは、ハラスメントやデリカシーといった令和の新たな常識にどう立ち回るかといった、次世代へのエールだ。

    ハラスメントの判断って、何を言われたかではなく、誰に言われたかだと思っていて。問われるのは発した側の人間性だと思う(茂田)

    ——今回の「理想論」の対談相手はタレントやアーティストとして活躍されているちはるさんです。まずはつながりから教えてください。

    茂田正和:僕が初めてつくった「nesno(ネスノ)」という化粧品ブランドの広告にタレントを起用する話が持ち上がって、そのときにちはるさんを指名させてもらったのが最初のきっかけです。初対面は広告の撮影当日だったと思うけれど、場所は当時目黒にあったCHUM APARTMENT(チャムアパートメント)。せっかくちはるさんが出てくれるのならオーナーを務めていたここしかないと、僕のほうから提案させてもらったんです。

    ちはる:CMの話をもらったとき、私は40歳になっていて。私生活でも長年連れ添ったパートナーと別れた時期だったんだけれど、そんなタイミングでよく化粧品ブランドがCMに起用してくれたなとびっくりすると同時に、すごく嬉しかったのを覚えてる。
     人生で大きな決断をしたときって、それが裏目に出ることも多いよね。今まで味方だと思っていた人が急に敵になるとか。茂田さんはそんなときに自分の味方になってくれた数少ない存在で、付き合いはもう10年以上になるけれど、困ったときにはいつも相談させてもらってます。「茂っち、ちょっとお願いがあるんだけど……」みたいな感じで。他の人に頼めないことも茂田さんになら相談できる、そんな間柄かな。

    ——今日のトークテーマについては聞かれていますか?

    ちはる:この前久しぶりに一緒に食事をしたんだけれど、そのときにちょうど「デリカシー」に関する話題になって、茂田さんが「待った! それは今度別の機会に話そう」と。それが今日なんだよね。

    ——事前に見ておいてほしいと、長渕 剛さんの対談動画のリンクが送られてきたんですが、これはちはるさんの提案と聞きました。

    ちはる:「ReHacQ(リハック)」で成田悠輔さんと行った対談だよね。あれ、面白かったでしょ?

    茂田:すごく面白かった。

    ちはる:今って、癖の強い人や言動がパワハラにつながりやすい人がひとりずつ潰されていくじゃない。メディアでいろいろと騒がれていた時期にもかかわらず、よく長渕さんは出てきたなと思った。

    茂田:長渕さんの対談動画とクドカンの「不適切にもほどがある!」って僕のなかではシンクロしていて、ついにパワハラ問題みたいなものに対して口を開く人が出てきたなと。やっぱり口を閉ざしていたら物事は進まないから。

    ちはる:互いに経営者という立場でもあったから、茂田さんとは組織づくりや人材育成についてもいろいろ話をしたよね。私はスタッフに対して思ったことがあればピシャッと強い言葉で抑えちゃうタイプだから、それによって生じる軋轢についても相談に乗ってもらうことが多かったかな。

    茂田:ちはるさんは、言動そのものがパワハラだもん(笑)。

    ちはる:でも、最近は抑えて言わないようにしている。だた、誰からも注意されないで大人になる子はかわいそうとも思っていて。今は、言いたいことが言えない辛さより、人に対して自分の愛情がどんどんと希薄になっていっていることへの寂しさのほうが大きいかな。

    茂田:相談を受けるたびに一緒に課題を解決してきたので、その過程でちはるさんがバシッと言うシーンを何度も見ているんだよね。僕はちはるさんのようにはっきりとものが言えなくて、むしろはっきり言わないことが正しいとずっと思ってきた。でも、ちはるさんが当時組んでいたバンドメンバーとの間に問題を抱えていたときに、僕が「まぁまぁ、そこはオブラートに包んで見ないふりをしましょう」となだめたら、「とにかく1回集まろう」と言い出して。揃ったところでちはるさんがバシッと言ったんだよね。その瞬間、それまであった淀みが一気に溶けてクリアになった。言った人間も言われたほうもその場に着くまではすごく憂鬱だったと思うよ。でも、ちはるさんの一言で、みんなの憂鬱な表情が清々しい表情に変わっていった。それを見て、厳しく言うことの大切さを学んだし、今のスタッフとの接し方にも大きな影響を与えていると思う。

    ちはる:それはうれしい。

    茂田:ハラスメントの判断って、何を言われたかではなく、誰に言われたかだと思っていて。そう考えると、問われるのは語彙力やオブラートの包み方ではなく、発した側の人間性なんじゃないかと思うんだよね。 
     僕はちはるさんが厳しい言葉を発するのをなかば反面教師のように見てきたけれど、その一方で、酔っ払ってだらしない姿をさらけ出しているちはるさんも知っている。他者に一方的に強く言うだけでなく、酔っ払っているときは周りの人からクソみそ言われているじゃん。「このくそ酔っぱらいが」と。そういうことを言い合える関係性がすごく大事で、それはコミュニケーションがインタラクティブに働いている証とも言える。僕もスタッフとはそういう関係性を大切にしたいから、飲み会の最後はいつもスタッフにいじり倒されて終わるようにしている。

    ちはる:スタッフに「ちはるさんってバカですね」と言わせたら私は「勝ち」だと思っているの。その子のなかに自分がちゃんと入ることができたような気がして。

    嫌な印象を一度乗り超えないと真の友情は生まれない(ちはる)

    ちはる:茂田さんとのことですごく覚えているのは、私が幼馴染とバンドをやり始めて、メンバーと一緒に三軒茶屋の居酒屋で飲んだときのこと。スポンサーを引きずり込もうと企んで「飲みに来ない?」と誘ったんだよね。さんざん飲んで、いざ会計というときに、茂田さんが割り勘をしようとしたから、私が「社長、ここはあなたが払わないとダメでしょ」と言ったら、すごく不貞腐れた顔をして。あのときはすごくむかついていたよね?

    茂田:支払うのが嫌だったわけではないんだよね。早くして経営者になったから、会食の席で自分が支払いをする機会は割と多かった。ただ、それをすると相手と友だちになれない気がして。あのときは誰かが「割り勘で」と言ったら、それに便乗すればいいのかと思ったら、ちはるさんから「そこはあんたが払うんでしょ」と言われて。人生って難しいなと思った。

    ちはる:たぶんこれは私の世代の感覚だろうけれど、嫌な印象を一度乗り超えないと真の友情は生まれない気がしていて。最初から意気投合して、すんなり進んでいくと、毒を忍ばせて相手をつまずかせたいという思いが湧いてくるのよね。こういう関係性って、今の若い子からすると面倒くさいんだろうけれど、後々面倒と思うぐらいなら、最初に強烈な印象を与えておいたほうが後が楽じゃない。

    茂田:しんどい思いを超えた先にしか深い人間関係は生まれないという指摘はすごく納得できる。

    ちはる:でも、そんなにしんどかったんだ(笑)。

    ——そんな思いをしてまで今日まで付き合ってこれたのは、ちはるさんの人間的な魅力によるところが大きい?

    茂田:確かに人間性も大きいけれど、それ以上に感覚的に何かを超えてみたいという思いがあったんだと思う。この一線を超えないと何も手に入れることができないみたいな。もっと楽な人間関係が今はいくらでもあるけれど、しんどい思いをしてこそ手に入れられる何かを期待をしていたんだろうな。 

    楽しみ続けるための努力をものすごくした結果、楽しそうに見えている。その姿勢を僕はちはるさんから学んだ(茂田)

    ——互いに子育てをしてきた経験から、子育てとデリカシーについても見解を聞かせてもらえますか?

    ちはる:私は息子から「デリカシーがない」とよく言われる。

    茂田:僕らが思春期だった頃は、子どもの世界に親が踏み入ってきたら「デリカシーないな」と思ったよね。でも今は親子の距離が近いこともあり、入り込まれてもぜんぜん問題ないというか、むしろ「入ってきてくれて逆に助かった」と思うことのほうが多いんじゃないかな。だからデリカシーの扱いがいっそう難しいと思う。16歳の息子には、「お前も親にカッコつけたい年頃だろうから、あけすけにすべてを見せなくていいんだ」と言いたい。

    ちはる:芸能界にいたときにメンタルを病んだ時期があったんだけれど、そのことを親には怖くて言えなかった。親だけではなく、周りにも。でも、今の子は「ちょっと心が風邪ひいちゃった」とか「メンタルやられちゃって」っていうのが普通の会話でしょ。自分もたまに使うし。

    ——デリカシーがあるかないかを問われたら、ふたりはどう答えますか?

    ちはる:やっぱり「ない」かな。

    茂田:僕は「ある」と思っている(笑)。でも、僕から見るとちはるさんも「ある」と思うよ。踏み込んでいくところと引くところのバランスがすごく上手だし。さっき、面と向かって指摘をしないことに対して、「相手がかわいそう」だとか「自分が冷たい人間のように感じる」と言っていたけれど、そういうことを口にできるのはデリカシーがある証拠。僕は、触れないであげたほうが互いに幸せなんじゃないかという感覚がどこかにあって、今も相手の領域に踏み込むことに躊躇することがあるけれど、ちはるさんは迷わないよね。踏み込んでいった結果、きちんと淀みをなくしてあげられるというのはやっぱりデリカシーがある証拠でしょう。

     話が少しそれるけど、最近2冊本を出したんだよね。僕は本を書くたびに思うことがあって、それは自分の美容の源流にちはるさんの存在が大きく影響しているということ。初めて広告の仕事を一緒にやったときに、「ちはるさんにとっての美容って何ですか?」と聞いたのを覚えてる? そのとき「やらなきゃいけないこととやっちゃいけないことをなくすこと」って言ったんだよね。その回答が僕にとってすごくセンセーショナルで、返す言葉が見つからなかった。やらなきゃいけないというカルマをいかに減らすことが美容の本質なんだと言われたときに、ちはるさんという人間の魅力をすごく感じたし、美容の真髄がわかったような気がして。しかも、そういうことを楽しそうにやっているのも魅力的だと思ったんだよね。

    ちはる:私、そんないいこと言ったんだ。

    茂田:最近、娘が「パパは楽しそうに仕事をしているよね。私も楽しい仕事に就きたい」と言うから、「楽しみ続ける努力って半端ないよ」と話したんだ。楽しみ続けるための努力をものすごくした結果として、楽しそうに見えているわけで、それを理解せずに楽しそうな部分だけを見ていると道を誤るよと。そういう姿勢を誰から学んだかというと、やっぱりちはるさんなんだよね。自身が楽しむために裏で血のにじむような努力をたくさんしていて、その姿を周囲も知っているから、辛辣なことを言われてもそれをデリカシーのある言葉として受け止められるし、淀みのない関係で付き合うことができる。他人の発言だったらデリカシーがないとか、パワハラと受け止められてしまうところを、ちはるさんの生き様に基づいた発言なら愛のある言葉として受け止められる。そういうことがすごくたくさんあるんじゃないかな。

    ちはる:デリカシーがあるかないかの話だけれど、例えば長渕(剛)さんみたいな人って、デリカシーがないように見えて、でも実際はすごく繊細な感覚の持ち主だというのが誰の目から見ても明らかじゃない。人って外見と中身が真逆なことが多いから、私も周囲に対してはデリカシーがないと言っておきたい。最初に「ない」とマイナス方向に振り切っておけば、あとはプラスになるだけだから。初対面の人にちょっと嫌味を言ったりするのも同じで、最初から好かれようと思って言葉を選び、良い子ぶるのが好きじゃないんだよね。でも考えてみたら、私が好きな人とか友人ってみんなデリカシーのない人ばっかりだよね。だから、茂田さんにとってはきっと嫌なタイプだと思う。「おぃ、茂田。どうなんだよ」とか平気で言う人たちだから。

    茂田:「お前よう、やんのかよ、やんねえのかよ」みたいに詰められそう(笑)。

    ちはる:でも、ちょっとコントのような感覚でやっているところもあるんだよね。デリカシーがないごっこをしているような。そういうことをやり合える人間が私は好きだな。

    茂田:ふだんはディスり合いをしながら、どちらかが窮地に陥ったときは、自然と支え合う信頼感のようなものがきっとあるんだろうね。だからかもしれないけれど、CHUM APARTMENTには「ちはる塾」みたいな雰囲気があった。いろんなアーティストが出入りしていたけれど、どうしてそういう関係性が成立していたのか不思議だった。

    ちはる:会社を大きくするためにはやっぱりチームをつくらなきゃいけないとずっと考えていて、そのために必要な人材を外部のアーティストに頼ろうとした部分があったと思う。でも、アート一辺倒は嫌だから、音楽だったりデザインだったり、とにかく会社を成功させたい一心でいろんなことを試していた。ただ、チームをつくって組織を強化させていくようなマネジメントが下手で、誰かひとりに肩入れするのではなく、誰からも等距離を置く関係だったから、ある程度でき上がった人はやっぱり卒業していったよね。そして、残ったのはクズみたいな人間ばっかりという。ごめんね。こういうところだよね、デリカシーがないのは(笑)。

    群衆に頼らず、点々と存在する美学のようなものって、90年代の日本の「裏原」カルチャーにも見てとれた(茂田)

    茂田:最近、東南アジアに仕事で行く機会が多いんだけれど、どこへ行ってもコリアンカルチャーがすごくホットなんだよね。プロダクトはもちろん、音楽も文化も。でも、僕らの世代から見るとすべてが90年代の日本の焼き直しのように思えてしまう。むしろ、当時の日本はもっと面白いことをやっていたよね。

    ちはる:本当にそうだね。

    茂田:先日も60代ぐらいの台湾のビジネスマンと会食をしたときに、彼が「今はコリアンが面白い」という話をしてきたので、「同じことを90年代の日本がやっていたのをご存知ですか?」と質問したんだよ。すると「もちろん知っているよ。でも、日本はある時点でそれをやり続けるのを諦めたでしょ」と返してきた。ファストファッションの台頭やデフレなど理由はさまざまだけれど、彼が指摘するように確かに日本人は続けることを諦めてしまったよね。

    ちはる:「グループ化」という日本独特の風習も影響したんじゃない。ダンスミュージックならすべて小室(哲哉)さんに偏っていくとか、アイドルグループならジャニーズのスタイルとか。画一化しちゃうでしょう。

    茂田:確かに音楽において「小室ファミリー」の出現は大きな転換期だったよね。業界において一定の盛り上がりは見せたけれど、でもファミリーである必要性ってあったんだっけ?と、今になると思う。

    ちはる:新しい勢力が既存の業界に風穴を開けるためには、ファミリーをつくって徒党を組むぐらいしないと相手にしてもらえなかったんじゃないのかな。ただ、いったん巨大なファミリーができると、ちょっと似ているだけで「○○さんぽいよね」と言われてしまう。それが嫌でダンス系グループの動きが一気に止まったような気がする。

    茂田:自分が音楽をやめたのも今の話と関係していて、ファミリーの勢力がすごく強くなってしまった結果、アングラなものが生存しにくくなってしまったんだよね。ちょうど、1本の木が巨大化しすぎて周囲に陽が当たらなくなり、周りに雑草が1本も生えなくなった状況と似ているかな。

    ちはる:大きくなりすぎるのも問題だよね。正直、売り上げがピークに差し掛かろうとした時点で崩壊が見えていたような気もするし。そう考えると、群れをなさないでバラバラに存在したほうが寿命は長いのかもしれない。今の韓国のエンタメやカルチャーを見ていると、そういうことを国が戦略的にやっていて、それぞれに異なる個性が感じられる。聖子ちゃんもいれば明菜ちゃんもいるみたいな。それこそ昔の日本だよね。多くの引き出しを用意して次々と出してくる、あの感覚が韓国はうまい。

    茂田:群衆に頼らず、点々と存在する美学のようなものって、90年代の日本の「裏原」カルチャーにも見てとれたと思うんだ。どうしてそういうものが日本からなくなってしまったんだろう。

    世界がどんどんホワイト化の方向にいっている。でも、グレーだったものが漂白されて、もう一度グレーに戻るというのはあり得ると思う(ちはる)

    ちはる:もうひとつ私が気になるのは、今の日本の若い女の子にパワーが感じられないこと。昔はクラスに必ずひとりはヤンキー風情の強い女の子がいたじゃない。私自身がそうだったように。でも、今はそういう子がいない。周囲と軋轢を生まず、叩かれるような言動をしないことが、長く生き残る秘訣になっているでしょ。

    茂田:この10年ぐらい、ハラスメントやデリカシーといったことをやたら意識するようになって、みんな感情を抑制することにすっかり慣れてしまった感があるよね。そろそろ、そうした状況に対するモラルハザード(倫理の崩壊)が起こると思っていて。

    ちはる:岡田斗司夫さんが清廉潔白が正しいとする価値観を「社会のホワイト化*」と言っているけど、確かに世界がどんどんそっち方向に流れていっているじゃない。でも、グレーだったものが漂白されて、もう一度グレーに戻るというのはあり得ると思う。

    茂田:反動は必ず起きるからね。

    ちはる:ただ、時間は少しかかるんじゃないかな。少なくとも昭和生まれの人がこの世からすべて消え去るぐらいの時間は必要。昭和生まれの私たちがいくら「もう一度、昔を取り戻そう!」と言ったところで、「いやいや、ちょっとそれってどうなの?」と、若い子に怪訝な顔をされるのが目に見える。私が好きな「デリカシーのない時代」を取り戻すには、30年ぐらいはかかると思うな。

    茂田:僕が期待しているのは、今の20代前半から半ばにかけての世代。彼らは社会がホワイト化しすぎたことで、「自分たちはこのままじゃ生きていけない」ということに間違いなく気づいている。時給は上がったけれど、その分労働時間は抑えられているから、収入は上がらず一人暮らしも満足にできない。一方で、太谷翔平選手のように桁違いに稼ぐ若者もいる。あんなのを見たら、変わらざるを得ないと思うのが自然でしょう。

    ちはる:そうかもしれない。
     
    茂田: 20代後半の子たちと話をすると、僕らが昔やっていたことに興味を示すんだよね。当時のことを話すと、「そうだったんですか! じゃあ一緒にやりましょう」というノリで話が盛り上がる。 

    ちはる:ずっと、90年代のカルチャーきちんと語れる面白い人が出てきてほしいと思っていたんだよね。この前渋谷に古着を売りに行ったんだけれど、査定をする人がNIGOくんのことを知らなくて、「まじかー」と思った。「NIGOって、ここに書いてあるじゃん」と言っても、「はぁ?」みたいな顔をして。渋谷の真ん中で、カルチャーも何もわかんないような人が服の査定をしているんだと思うと、愕然とするよね。

    茂田:そういう意味でも、サブカルチャーに関するエデュケーションは大切だろうね。

    ちはる:すごく重要だと思う。

    茂田:かつてのCHUM APARTMENTが、まさにそういうことを教えてくれる場だった。90年代のカルチャーをど真ん中で体現したわけではなかったけれど、CHUMがあったことで当時のことをいろいろ学べたと思っている。

    ちはる:もし茂田さんが若い人にサブカルを語るんなら、精悍な見た目はいらないからね。こういうテーマを話す人は、思わず「えっ?」と二度見してしまうぐらいの風貌がちょうどいい。

    茂田:そういうことを言ってくれるのも、ちはるさんぐらいです(笑)。

    *社会のホワイト化
    「オタキング」の愛称でも知られる評論家の岡田斗司夫が提唱する2030年前後に到来するであろう社会の姿を示すワード(オリジナルの造語は「ホワイト社会」)。言動や発言にそつがなく、汚れのない「清潔」を正義とする社会を意味する。個性的で強い内面性をもつ人間を排除するなど、排他的側面が加速する恐れがあり、表面的な清潔さの裏で、逆に本音を言いづらいなど息苦しさを感じることが増えるといった点も懸念されている。

    Profile

    • ちはる

      千葉県県市川市生まれ。1989年学生援護会の求人情報マガジン「an(アン)」のCMでタレントデビュー。その後、フジテレビ系列で放送された「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」(90年)のミモー役でブレイク。他に代表作として主演を務めたTBS系ドラマ「ナツコイ」(2008年)などがある。タレント活動と並行して、ファッションやインテリアのプロデュース業にも乗り出すかたわら、02年に東京・青山にカフェ&ダイニングのChum Apartmentをオープンし、20年近くにわたり同店の経営を手がける。90年代から2010年代まで音楽活動も行っており、92年に「じょうずに効く」でデビュー後、シングル2枚とアルバム3枚を発表している。著書に「loving children」(主婦と生活社)、「Boco Deco」(祥伝社)などがある。

    • 茂田正和

      音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(鎌倉・小町通り)をプロデュース。23年は、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。著書に、『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)がある。

    Information

    CHUM APARTMENT

    2002年に青山で開業し、その後目黒、武蔵小山(目黒本町)と場所を移転しながら現在も営業を続けるカフェ&ダイニング。カジュアルな雰囲気と居心地の良さに加え、厳選した素材を用いて提供される本格イタリアンで人気を集める。開業から2022年までちはるさんがオーナーを務め、ミュージシャンのライブやクリエイターの作品展示なども行い、新たなカルチャーの発信拠点としての役割も担った。現在の店舗は1階にカフェ&レストラン、2階にスタジオ兼レンタルスペースを要し、今回の対談は2階のスペースで行われた。
    https://chum-apt.net

    • 写真:小松原英介

    • 文:上條昌宏

    • ヘアメイク:国府田 圭

    • スタイリング:高橋由光

    • 衣装協力:marble SUD

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