2025-12-29
ここで得たものをどう共有していくか。「理想論」2周年に寄せて|茂田正和インタビュー
11月で「理想論」が丸2年を迎えた。未公開のものを含めると今年も12組をゲストに招き、それぞれが理想とする社会のあるべき姿やそこにたどり着くために必要なことなどについて多彩な見解が繰り広げられた。激動の時代だからこそ、対話を重ね、未来につながる共感や希望を育んでいく。そんな「理想論」の2年目とは何だったのか? ホスト役を務めるOSAJIブランドファウンダーの茂田正和さんとともに振り返る。

皆が、自分なりの視座で必死に世の中を見つめ直そうとしていた。
——実は、「理想論」の1年目を振り返ったときに茂田さんが「ジャンルは違えど、対談相手の誰もが同じ山の頂上を目指していて、山頂から見える景色が幸せや豊かさとは何かという答えにつながっている気がした」という発言を残しているんです。偶然とはいえ2年目の最後に山登りをライフワークとするウッドクリエイターの安齋好太郎さん(第22回)をゲストに迎えたことは、読者にとって伏線回収のように映ったかもしれません。
茂田正和:2年目も本当に多様な魅力を持った人たちが出てくれましたね。皆が固定観念からの脱却や同調圧力のようなものに抗い、自分なりの視座で必死に世の中を見つめ直そうとしていた。振り返るとその点が強く印象に残っています。
——安齋さんとの対談のなかで、再三にわたり「難しい時代だ」という発言がありました。そのような状況下で「理想を語り合う場」というこのメディアについてはどんな新たな思いを抱きましたか?
茂田:この2年、さまざまな人と話をするなかで理想に対する解像度がすごく上がったように感じています。去年は理想に対する解像度をもっともっと高めようというモチベーションで対談に臨んでいました。でも、今年になってその解像度が極限まで高まった感があり、そこで逆に現実とのギャップに戸惑いや違和感を抱くようになったんです。
——感じたギャップについて、具体的に教えてもらえますか?
茂田:理想論というメディアをやることで、記事を読んでくれた人が少しずつ変わっていくだろうと期待していたんです。内容が波及していろんな人の心を動かすんじゃないかと。でも、現段階ではまだ難しく、僕と僕の周りにいる人との溝がなかなか埋まらない。理由はいろいろあって、このメディアが活字主体であること、しかも文字数もそれなりのボリュームがあり、最後まで読み切れていない人が多いのかもしれません。内容の伝え方も含めて次の段階へ駒を進めるタイミングなのかもしれないですね。もちろん、伝え方を変えるだけでは不十分で、課題を補う方法は他にもあるはずです。そんなことを最近考えるようになりました。

今年の理想論を一言で表せと言われたら「自尊心」がテーマだった。
茂田:実は一昨日ぐらいまで理想論で話ができるような状態じゃなかったんです。八方塞がり感があり、すっかりモチベーションを見失っていました。
——周囲との溝が原因ですか?
茂田:溝と言うよりも、変わらないことへの失望のほうが大きい。きっと、自分がこんなに変わっているのだから周囲も同じように変化していくとどこかで期待していたんでしょう。僕と同じように周囲が変化しないことへのジレンマがストレスになっていたのかもしれません。
——いまはそのストレスから解放されたんですか?
茂田:変な話、昨日の夜にちょっと抜けたんです。昨晩出張から戻ってきて、職場に残っていた社員たちとオフィスの近くで久しぶりにご飯を食べました。そこでストレートに言われたんです。「茂田さんの教育が足りない。茂田さん自身がもっとメッセージを発信して周りを教育していかないと」と。言われて「なるほどな」と納得しました。シンプルに言えば、要は「初心に帰れ」ということなんです。メディアをやっていることで満足するんじゃなく、「会社とは寺小屋だ」と言っていた頃を思い出せと言われた気がして。そこに気づけたのは大きかったですね。
——2年目を振り返ったときにひとつキーワードを挙げるとすれば何だったと思いますか?
茂田:今年の理想論を一言で表せと言われたら「自尊心」がテーマだった気がします。いまはみんなが自尊心を失っている。2年目の対談を締めくくるゲストの安齋さんが対談の冒頭で「自尊心を失っている」と述べたのがその象徴です。安齋さんだけでなく、日本という国自体も円安などの影響もありものづくりに対する自尊心を失っています。外国人がこんなに観光に来ているのに、日本人自身が日本のよさに気づかないでいる。日本はまだ世界的に競争力があるのかと聞かれて、「ない」というレッテルを自分たちで貼っている気がするんです。だからこそ、もう一度日本が自尊心を取り戻すことがすごく重要だと思います。
——印象に残っている回についても教えてください。
茂田:すべてのゲストからいろんな気づきや発見をもらいましたが、強烈だったのはまだ公開できていませんが、福岡の水巻で公民館を拠点にダンススポットを主宰しているyurinasiaさんとayumuguguさんの夫婦です。ふたりはまさに「自尊心の塊」です。と同時に、自尊心を人に伝播させる天才でもある。それはいまの僕に求められている姿でもあって、「茂田さんの声できちんと教育をしないと周囲は何も変わらない」と言われたことへの解決策になる気がしています。
——対談の前日にダンスバトルの様子を見学させてもらいましたが、教室中に周囲の顔色をうかがうことなく自分自身をさらけ出していいという空気が蔓延していたのも大きな驚きでした。
茂田:すごかったですよね。見ていて泣けてきました。あと、ふたりのスタイルも好きなんです。変に真面目じゃなく、ちゃんと不良をしている感じがいい。僕は不良カルチャーに憧れてきた人間なので、常に少し斜に構えていたいという思いがあるんです。そういう意味からも彼らの姿勢に憧れます。

ここで得たものをどうシェアしていくか。どう共有するかがすごく重要になってくる。
茂田:僕の周りにいる経営者は誰もが同じ危機感を抱いています。考えていることも、ここからどうやって前進していくかという姿勢においてもみんな似た考えを持っている。だから経営者同士が群れやすくなっているんです。でも、それってどうなんだろうと最近思っています。経営者が本来群れるべきは自分の会社の社員です。痛みをわかり合える者同士がいくら集まったところで、結局は傷の舐め合いで終わってしまいかねない。しかも、経営者同士が傷を舐め合っている最中に社員はどんどん置いていかれるんです。自戒の念も込めて、この1年そのことを強く実感しました。
——理想論というメディアがややもするとそういう側面を助長していたかもしれないという反省があるわけですね。
茂田:理想論が社会の変革を試みようとするクリティカルな経営者と話ができるメディアというのは、僕にとって間違いなくエキサイティングです。でも、そこが強くなればなるほど社員が置いていかれてしまう状況が生まれてしまう。そうならないために、ここで得たものをどうシェアしていくか。自分が本当に群れなきゃいけない相手とどう共有するかがすごく重要になってくるんです。そのことにスタートアップやグロースフェイズにいる会社の経営者は気づかないといけない。
——経営者以外もゲストとして登場しましたが、そうした人のなかで印象に残った話題や言葉があったら教えてください。
茂田:建築家の永山裕子さん(第20回)の「型がない」という話ですね。建築という仕事はなかば経済やアートとの境界線上にある仕事です。ゆえに、相手があってはじめてものをつくることができることの意味をどう捉えるかがすごく難しい。誰かに何かを教育するとしたら、きっとそこをいちばんちゃんと伝えないといけないと思っています。

——「使う人を選ぶようなプロダクトをつくってはいけない」という茂田さんの発言に、永山さん自身もすごく共感されていましたね。
茂田:ものをつくっている過程で優先順位が入れ替わってしまうケースが多々あるんです。実は数日前に知人から「一棟貸しのバケーションレンタルを始めたので、ちょっと見てもらえないか」と誘われ、施設を見学してきたところです。その施設は部屋にテレビがないんです。僕はそれを見て、「テレビを置かないのかどうか、よく考えたほうがいい」と助言しました。
かつて那須に二期倶楽部という宿泊施設があったんです。日本におけるオーベルジュの先駆けと言われた宿ですが、北山ひとみさんという女性がオーナーを務めていた間は部屋でタバコが吸えました。禁煙室を増やす流れが宿泊業界で加速したときも、その方針は貫かれたんです。顧客に文豪やミュージシャン、アーティストが多かったのも理由のひとつでしょう。僕は喫煙が可能という決断をした北山さんの言葉が強く印象に残っています。「(タバコを)吸うか吸わないかはお客さまが決めることであり、こちらが一方的に決めることではない。次に来た人が吸わないかもしれないことを想定して、徹底的に丁寧に部屋を清掃するのは宿泊業を営む者として当たり前のこと」と。
テレビについても同じことが言えるんです。確かに、恵まれた自然環境に滞在するわけなので、そのエクスペリエンスを存分に楽しんでほしいという宿側の考えは理解できます。でもそれが、見たい番組を視聴してはいけないという理由にはならない。快適さの基準が人によって違うなかで、テレビを置かないことを宿側が一方的に決めてしまうのは本質的じゃない気がするんです。
——本来サービス業はお客が主でないといけないのに、気づいたら提供者側が主になっているという指摘ですね。
茂田:最初は誰かを喜ばせるため、豊かにするためにというお客さま視点でモノやサービスを考えるんですが、気づいたら予算や納期が最優先になっているんです。もちろん予算や納期を無視していいわけではないけれど、それは決して「主語」ではなく、目的を実現するための「副詞」なんです。予算や納期を理由に、人を喜ばせるといういちばん大事なものが犠牲になるというのはそもそも変な話で。でもそれを指摘すると、今度は「協力メーカーに迷惑がかかりますから」という話になるんです。
——そこのマインドセットも含めて、「教育」が必要なんでしょうね。
茂田:お客さまにいいものを提供したいという思いを共有できたら、人って意外とそのわがままに付き合ってくれるものです。僕自身がそういう経験を何度もしてきていて、周りに迷惑をかけたことは一度や二度じゃない。だけど、みんなどこかで「しょうがねえなぁ、茂田が言うんなら」という感じで、苦笑いしながら僕のわがままに付き合ってくれました。協力者に迷惑をかけてしまうと考えるのは、ものづくりに対する思いや熱意を共有できていない弱さの現れなんです。そこをきちんと知ってほしい。プロとしてそれをしないでものをつくることは決してあってはならないという姿を永山さんは示してくれたように思いました。

美しさを哲学することに関して自分のなかに落とし込めた感覚があった。
——「美容とは何か?」という茂田さんの本業ともつながるテーマで対談したウェルネスプロデューサーの岸 紅子さん(第15回)の話も気づきが多かった回でした。そのなかで「健康を求める行為は、自分だけでなく地球環境の健康や自然の再生にもつながっていく」という岸さんの言葉が印象に残っています。
茂田:そうでしたね。美しく健康であることと、自然が美しく健康であることは同じという岸さんの指摘は、安齋さんとの話で出てきた言葉を借りれば、「心地よさとの対峙」なんです。正しい心地よさとは何か? 自然と同調して生きる人間にとってそれと向き合う行為は当然地球環境における心地よさともつながっていくでしょう。
僕自身、今年は特に美容という仕事をやってきてよかったと思えた1年でした。きっと美しさを哲学することに関して自分のなかに落とし込めた感覚があったんだと思います。
——茂田さんが「ロマンチックの師匠」と呼ぶ、日本におけるクラフトジンの第一人者である三浦武明さん(第16回)も印象的でした。
茂田:武さんは僕のことをずっと応援してくれている人です。地元の小学生に講義をしたときも、「茂ちゃんは偉いよ」と言ってくれた。武さんの存在は僕のなかでやっぱり大きいですね。
——三浦さんが話された「Think locally, act globally(地域で考え、地球規模で行動する)」 という発想もすごく響きました。地域のことから考えて、それを世界に広げていくことは、世界が多様な豊かさを取り戻す重要なアプローチだと感じます。
茂田:クラフトジンをつくろうと思うと土地のことを深く理解することが不可欠です。武さんのクラフトジンの定義は、「その土地の風景を閉じ込める」ですから。ただし、土地の個性は魅力である半面、制約条件にもなり得ます。両者を天秤にかけながら、最大限のクリエイションを行う。それこそまさに長所も短所も含め、ありのままを受け入れるという自尊心そのものなんです。自分がいま立っている場所にいったいどんなリソースがあり、どんな価値を秘めているのか。ローカルガストロノミーやクラフトジンの世界が素晴らしいと思うのは、やっぱりそこに地域や土地への自尊心があるからです。レストランの「ノーマ」だってそうじゃないですか。デンマークという国は決して先進的な料理を出す国ではなかった。でもノーマは地元の食材にこだわり、現地で取れる「旬」に絞ることで新たな価値を見出し、北欧料理を定義し直したんです。

自分とまったく違う思考性を持った人がこの世界には存在しているという事実を知ること。
茂田:最近、会う人会う人に「ぜったい見たほうがいい」と言っているものがふたつあります。ひとつは「HOKUSAI-ぜんぶ、北斎のしわざでした。」展。もうひとつが2020年版の「東京ラブストーリー」です。前者はまさに日本文化の自尊心の話で、なぜ北斎が世界最古のグラフィックデザイナーと呼ばれるのか、なぜ世界はあんなにも北斎に注目したのか、ヨーロッパの食器の絵付けに北斎がどう影響を及ぼしたのかなどが展示を観るとわかる構成になっていました。また、北斎の評価の一因として、作品が美しいかどうか以上に、表現技法に対する探究心が大きく関係していることも見て取れました。そうした技術的なプロセスへの評価は日本の美術全般に言えることかもしれません。
——2020年版の東京ラブストーリーが茂田さんの琴線に刺さった理由も伺っていいですか?
茂田:僕なりの解釈ですが、90年代版では織田裕二が演じた永尾完治のもとから鈴木保奈美が演じた赤名リカがなぜいなくなってしまうのか、完治がどういう経緯で幼なじみの関口さとみと付き合うようになったのか、それらの経緯についての細かな描写がないんです。2020年版ではそのプロセスがきちんと描かれていて、それを観て「あれは人間の多様性の話だったんだ」と腹落ちしたんです。
クリエイティブ思考の人間とそうでない人間が決して相容れない、そんな悲しさや寂しさを描いた話だったんだと。そういう心理描写を丁寧に描いてくれたので、リカが完治のもとから消えた理由が30年近く経ってようやくわかりました。同時に、自分はクリエイティブじゃない側の人の気持ちがまったく理解できていないことにも気づかされた感じで。そういう意味からも面白い体験でした。
——その気づきが茂田さんにもたらした変化とは?
茂田:人の多様性を簡単にわかった気になるのをやめようと思いましたね。多様性のなかの端と端を無理やりつないでも、それは決して幸せなことではないんだと。
——「多様性の尊重」がブームのようになっていることへの疑問をきっかけに訪れたのが、障害福祉サービス事業所のPICFA施設長を務める原田啓之さん(第21回)でした。
茂田:原田さんの回の編集後記にも書きましたが、最近、多様性イコール弱者救済みたいな風潮になっていることにすごく違和感を感じるんです。本来の意味はそうじゃなく、自分と違う人間のことを知る、というシンプルなことです。2020年版の東京ラブストーリーが言わんとしているのもまさにそこです。
自分とまったく違う思考性を持った人がこの世界には存在しているという事実を知ること。そこから多様性の尊重は始まるんです。難しいことだと思います。だって、自分にない感性を理解することだから。その難しさを見事に描写したのが2020年版の東京ラブストーリーでしょう。自分と違うからかえって惹かれるというリアルさも含めて。
結局、会社経営やチームビルディングは多様性をどう捉えるかの話なんです。そのなかで原田さんから、PICFAには何年かかっても絵を1枚として描き上げないのに施設のムードメーカーになっている人の話がありましたよね。会社組織においてはそういう人の評価がいちばん難しいんです。
——チームの一員と言いながら、評価の段階ではどうしても個々人になってしまうのが会社組織における人事評価です。でも、原田さんはその人のムードメーカーという才能を分ち持たれた組織に欠かせないものとしてきちんと評価していました。共同体のひとりとして役割を認めているからこそできる評価だと思います。
茂田:マネジメントをする人間は危険状態になるから異端分子は混ぜるなという発想をしがちです。そういう判断がかえって多様性の分断を生んでいるんです。うちの会社にもクリエイティブなことを日々やっている人間と真面目にコツコツお金を数えている人間がいますが、そこを「危険だから混ぜるな」にしておくと究極のパフォーマンスは発揮されないでしょう。
わかり合う必要はないけれども、違うということに気づくこと。同じだと思っているからわかり合えないことに腹が立つんです。違うことがハッキリ理解できれば、わかり合えないことも悪いことではないと思えるはずです。原田さんはそこをずっと体現してきた人です。

科学がすごくロマンチックなものだということを伝えたい。
茂田:2026年は自分の命題として、冒頭でも触れたように「茂田の寺子屋」みたいなことを面白おかしくできればと考えています。マーケティングや財務、経営とは何たるかという話は勉強しようと思ったらいくらでもできる。むしろいまの若い人たちはそのリテラシーは意外と高い気がします。日本の教育でいちばん足りないのは「生きるとは何か?」です。幸せとは何か?ではなく、生きるとは何なのか? それを教えてくれる人がいないんです。
昨年同様、今年も小学校で講義をしますが、いまの子どもたちって知識はたくさん詰め込んでいるけれども、知性に関する学びが不足しています。知識は使い方によって凶器にもなり得るんです。
——それを抑制するのが知性なんですね。
茂田:知識だけでなく、人的リソースも資金的リソースも使い方を間違えれば人を傷つけてしまうんです。知識やリソースをどう美しく使うか、それを伝えるプログラムがいまはどこにもない気がします。
——小学生に対してそういう話をされるんですか?
茂田:数分間フリートークをやっていいと言われたので、そんなことを話そうと思っています。いまの物価高とその対策について話をしたところで、答えが出ない問題の答えを延々と議論する感じじゃないですか。それはあまり意味がないように思うんです。今回の米騒動で政府が備蓄米の放出を決めましたが、それまで安く買い叩かれてきた米農家の実態についてはあまり対策が講じられませんでした。米価が安くなったら米の生産者がさらに減り、さらなる米の価格高騰を招く事態になる。まさに「悪魔の証明」状態ですよね。
じゃあ、そんな無限ループから脱却するには何が必要か? 何が足りてないのか? そういうことを考える教育が不足しているんです。僕は「適量を知る」ということが重要だと思っていて、それを知っていれば米が多少高くても生活は困窮しないはずです。実際、貯金残高がある程度あるにもかかわらず米が高いことに怒っている人が多いように思います。そういうことが生まれるのも、やっぱり教育が足りてないことが原因でしょう。お金は自分のため、あるいは自分の子孫存続のためにしか使ってはいけないという考えが強すぎるんです。自分は全体の一部として存在していて、全体が悪化したらいくらお金を持っていようとそれは無価値なものになってしまうことに気づくべきでしょう。それは究極、生きるとは何か?につながる問いでもあるんです。そういうことを一緒に働く仲間も含め、自分の周りにいる人にどうやって伝えていくか。いまはその作業を僕自身がきちんとやらないといけないと考えています。

——中盤、茂田さんから「美容の仕事は美しさを哲学すること」といった趣旨の発言がありましたが、これは12月に対談する石津智大さんの研究テーマ「神経美学」にもつながってくるんでしょうか?
茂田:美×科学=哲学なのか、美×哲学=科学なのか……。おそらく科学がこの方程式における×(エックス)の役割を担っているんでしょう。その×を紐解こうとしているのが自分自身のような気がしていて。だから石津さんとの対談はすごく楽しみなんです。彼はサイエンティストとして、起きた事象をどうエビデンスとして示すかという仕事をしています。それは再現性を見出していく作業とも言い換えられる。再現性があれば多くの人と共有できます。逆に言えば、再現性がないものは一時的に共有できたとしても、価値観が変わった瞬間に共有できないものになるんです。
再現性が不可欠な科学の世界は、価値観は違えども共有、共感できる。その意味でものごとを科学化することは、人類全員が共有できる事象としてすごく価値を持つものと言えます。僕が皮膚科学のセミナーなどであえて科学という言葉を使っているのもそういう理由からです。
——科学化とは数値化したり、データに置き換えたりすることを意味しているんですか?
茂田:再現性が高く、エビデンシャルであるということかもしれません。そこを僕は大事にしていきたい。美しさを科学する人はたくさんいますが、どこかでみんな精神論やスピリチュアルな方向に行ってしまうんです。きっとそこにも共感し得る何かがあるんでしょう。僕は科学がすごくロマンチックなものだということを伝えたいんです。
——言葉だけでイメージすると、科学よりも、医師であり、アートにも造詣が深い稲葉俊郎さん(第14回)が言っていた「未科学」のほうがロマンチックな気がしますが。
茂田:きっと、未科学から科学になるプロセスがロマンチックなんだと思います。
——そのあたりの話も3年目に突入する12月の対談でしていただきましょう。今日はありがとうございました。

Profile
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茂田正和
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ。04年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業ヘルスケア事業として多数の化粧品ブランドを手がける。17年、スキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」を創立しブランドディレクターに就任。21年にはOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、22年にはOSAJI、kako、レストラン「enso」による複合ショップ(神奈川・鎌倉)をプロデュース。23年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド「HEGE」を仕掛ける。同年10月、株式会社OSAJI 代表取締役CEOに就任。著書に『食べる美容』(主婦と生活社)、『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)があり、美容の原点である食にフォーカスした料理教室やフードイベントなども開催。24年11月にはF.I.B JOURNALとのコラボレーションアルバム「現象 hyphenated」をリリースするなど、活動の幅をひろげている。
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聞き手・文:上條昌宏
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写真:小松原英介